第二十六章 亀裂
篠原はデータの公開に応じた。
「隠す理由はなか。私も自分の頭が百パーセント正常やとは言い切れん。独立検証は歓迎する」
プロトコルの文法体系と、返答データの生数列が、九州全体の通信網を通じて共有された。
鹿児島のキャンプに、元暗号解析の自衛官がいた。その男が独立して解読を試みた。
一週間後。結果が返ってきた。
「篠原先生の解読と、おおむね一致します。ノード数が四であること、各ノードの特性記述、スケジュール情報。いずれも検証できました。ただし――」
「ただし?」
「第九ブロックの解釈が、一箇所だけ異なります。篠原先生は第一ノードの自己評価を『負の評価』と訳されとうが、私の読みでは、これは単なる負ではなく、**『未完了の評価保留』**に近い。つまり、まだ最終判断を下しとらん可能性がある」
篠原が反論した。
「構文の第三修飾子が否定辞を含んどう。これは明確な負の評価を示す」
「いえ、第三修飾子の否定辞は、文脈によっては**暫定否定**――つまり、条件付きの否定を意味する場合があります。プロトコルの文法体系を見る限り、その可能性は排除できません」
篠原は黙った。
翔太が横から言った。
「先生、確かにその読みも文法的にはあり得ます」
篠原の顔が強張った。
美咲は見ていた。篠原が――初めて、自分の解読に自信を持てなくなる瞬間を。
二十日間の干渉を受けた脳。その脳が下した解釈。別の脳が下した解釈と食い違う。どちらが正しいのか。あるいは、どちらも間違っているのか。
「解釈が割れた場合、どちらを採用するかは合議で決める」永田が言った。
「合議?」篠原が振り返った。「科学的事実を合議で決めるんですか」
「科学的事実を確定する手段がない以上、合議しかないやろ」
「それは科学やない。政治たい」
「今はその政治しかなかとです、篠原さん」
篠原は唇を噛んだ。
美咲は二人の間に立った。
「落ち着いてください。二人とも」
だが、美咲自身もわかっていた。これは二人の問題ではない。
知識をどう管理し、誰が判断を下すのか。それは共同体の**根幹**に関わる問題だった。篠原の専門知識を信じるのか。合議で決めるのか。合議で決めるなら、脳を干渉された全員の判断は信頼できるのか。
疑い始めたら、どこにも着地点がなかった。




