第二十一章 問いの限界
十二月十八日。
篠原は送信機の前に座った。
「やるだけやってみる」
前回と同じ手順。増幅ユニットを通じて、観測者のプロトコルで信号を送る。今回の相手は14.7ギガヘルツではなく0.5ヘルツで送ってきているが、プロトコルの文法は共通のはず。14.7ギガヘルツで問合コマンドを送れば、届くはず。
「問合コマンド。『なぜ』。送信」
翔太がエンターキーを押した。
信号が空に飛んだ。
一秒。五秒。十秒。三十秒。
0.5ヘルツの信号は――**止まらなかった**。
それどころか、送信直後に0.5ヘルツの信号強度がわずかに**上昇**した。
篠原が計器を見つめた。
「……読まれとう。こちらの問合コマンドを、観測対象として取り込んどう」
予想通りだった。「なぜ」は武器にならなかった。第二ノードにとって、人間の問いかけは脅威ではなく、**美味しいデータ**だった。
美咲が送信機の横に立っていた。
「効かんかった」
「効かん。こいつは最初のノードとは根本的に違う。最初のノードは『生命活動』の観測者やった。生き物を動かすことに特化しとった。だから、自分が動かしたものを壊しとうことに気づいた時、目的との矛盾に動揺した」
篠原は額を押さえた。思考が少しずつ濁っていくのを感じながら、必死に言葉を紡いだ。
「でも第二ノードは『認知活動』の観測者たい。こいつの目的は人間の思考を観測すること。こいつにとって、人間が問いかけてくること自体が**貴重なサンプル**なんたい。『なぜ』と聞けば聞くほど、こいつは喜ぶ。もっと読みたがる。もっと深く――」
篠原は言葉を切った。頭が痛んだ。
「篠原さん」美咲が肩を支えた。
「大丈夫。大丈夫やけん……」
だが、大丈夫ではなかった。篠原の思考力は目に見えて衰えていた。解読のスピードは三日前の半分に落ちていた。翔太がカバーしていたが、翔太自身にも同じ症状が出始めていた。
美咲は夜、屋上に一人で座った。
星を見上げた。だが、星座の名前が出てこなかった。オリオン座は……あれがベテルギウスで……その隣が……何だったか。
記憶が溶けていく。
母の顔。まだ覚えている。写真を見なくても。でも、いつまで持つかわからない。
「なぜ」では止まらない。問いかけが餌になる。じゃあ、どうする。
美咲は母の写真を取り出した。
暗がりの中で、写真はよく見えなかった。だが、輪郭はわかった。母の笑顔。入学式。桜。
美咲は写真に語りかけた。
「お母さん。前は『なぜ』って聞いたら止まったんよ。でも今度のは、聞いたら喜ぶだけ。もっと読もうとしてくる」
風が吹いた。
「あいつが知りたいのは、私たちの頭の中。記憶。思考。感情。それを外から無理やり読もうとするけん、壊れるんよね」
美咲は写真を胸に当てた。
「じゃあさ。外から無理やり読ませるんやなくて――**自分から見せたら**、どうなると?」
その考えは、屋上の冷たい風の中で、ふいに浮かんだ。
泥棒が家に侵入しようとしている時、鍵を壊される前に**玄関を開ける**。そうすれば、鍵は壊れない。
あいつが脳を覗こうとして壊しているなら、覗く必要がないように**自分から差し出す**。
だが、それは――
美咲は震えた。寒さではない。
自分の記憶を差し出す。母の記憶を。母が死んだ夜の記憶を。自分の手で母の頭に鉈を振り下ろした記憶を。
全てを、あの空の上の何かに、見せる。
「……嫌やな」
美咲は正直にそう思った。
でも、他に方法がなかった。




