第二十章 綻び
十二月十五日。
症状は深刻さを増していた。
単なる物忘れではなくなっていた。拠点で、人が人を間違えるようになった。妻の名前を夫の名前と取り違える。昨日の出来事と一週間前の出来事の区別がつかなくなる。
最も深刻だったのは、技能の喪失だった。
畑の作業手順を忘れる者が出た。種の蒔き方を間違え、水やりの量を誤る。調理班が塩と砂糖を間違えた。些細な混乱だったが、積み重なると生存に関わった。
そして、人間関係に亀裂が入り始めた。
「あんた、昨日俺に暴言吐いたろう」
「言っとらん。何の話か」
「言った。はっきり覚えとう」
「お前の記憶がおかしいんやろ」
拠点の至るところで、記憶の食い違いによる口論が起きた。誰の記憶が正しいのかわからない。全員の記憶が揺らいでいるのだから。
藤堂が美咲のところに来た。
「田中さん。俺の部下が三人、命令系統を混乱させとう。昨日出した指示を覚えとらん。別の指示を受けたと言い張る。規律が崩壊しかけとう」
「藤堂さん自身は大丈夫なんですか」
藤堂は一瞬、答えを躊躇した。
「……正直に言う。今朝、自分の部隊の人数を数え間違えた。十五人のはずが、十四人だと思い込んどった。名簿を見て気づいた」
藤堂の声は平静だったが、目の奥に恐怖があった。この男が恐怖を見せるのは、初めてだった。
「記憶が信用できんくなるっちゅうのは、想像以上にきつい。敵が目の前におれば戦える。だが、**自分の頭の中が敵になったら**、どうやって戦う」
美咲は答えられなかった。
同じ頃、篠原にも変化が出ていた。
翔太が気づいた。篠原が同じ計算を三回やり直していた。一回目の結果を忘れて、二回目をやる。二回目の結果も忘れて、三回目を始める。
「先生」
「ん?」
「同じ計算、三回やっとうです」
篠原は画面を見つめた。そして、自分のミスに気づいた。
「……私にも来とうか」
篠原の顔から血の気が引いた。科学者にとって、思考力の喪失は死に等しかった。
「翔太。私がおかしなことを言い始めたら、止めてくれ。そして、私の計算は全部ダブルチェックしろ。一人の頭が信用できんなら、二人で確認するしかなか」
「わかりました」
「それと――解読を急ぐ。返答データの残りに、第二ノードへの対処法が書いてあるかもしれん。時間がない。私の頭がまともなうちに」




