十二章 ユキの言葉
八月の夜。
美咲は拠点の屋上に一人で座っていた。
疲れていた。体も心も。毎日、遺体を見て、焼ける匂いを嗅いで、疫病の患者を看て、会議で大人たちと議論して。
十八歳がやる仕事ではなかった。だが、やる人間が他にいなかった。
「美咲ねえちゃん」
ユキだった。屋上の階段を上がってきた。七歳。翔太に連れられて、先週島から本土に移ってきたばかりだった。
「ユキ、こげん遅くに何しようと。寝んね」
「寝れんもん」
ユキは美咲の隣に座った。
「ねえ、美咲ねえちゃん。大人たち、いっつも怒っとうね」
「怒っとう?」
「うん。声おっきい人と、メガネの人と、黒い服の人。いっつも言い合いしとう」
藤堂と永田と黒木のことだろう。子供の目からは、あれは「怒り合い」に見えるのだろう。
「あれはね、怒っとうんやなくて、話し合いしとうと」
「話し合い? でも、みんな怖い顔しとう」
美咲は答えに詰まった。
「ねえ」ユキが空を見上げた。「お空の人は、もう来んと?」
美咲も空を見上げた。夏の夜空。天の川が見えた。街の灯りがない世界では、星がこんなにも近い。
「わからん。来るかもしれんし、来んかもしれん」
「来たら、また怖いこと起きると?」
「……かもしれん」
「ふうん」
ユキは星を見ながら、不思議そうに言った。
「でもさ、前のお空の人は、美咲ねえちゃんが『なんで?』って聞いたら止まったんやろ?」
「うん。まあ、そんな感じ」
「じゃあ、次のお空の人にも、『なんで?』って聞いたらよかやん」
美咲は笑いそうになった。だが、笑えなかった。
七歳の子供の言葉が、あまりにもまっすぐだったから。
「……そうやね。聞いたらよかね」
「うん。あとね、大人たちにも聞いたらよかと思う。『なんで怒っとうと?』って」
美咲はユキを見た。
「なんでって聞いたら、怒っとう理由がわかるけん。理由がわかったら、怒らんでよくなるかもしれんやろ? お空の人と一緒たい」
美咲は黙って、ユキの頭を撫でた。
この子は正しい。たぶん、この場にいる誰よりも。
「なぜ」と問いかけること。それは空の上の存在に対してだけではない。隣にいる人間に対しても、同じように必要なことだった。
藤堂はなぜ権力を求めるのか。永田はなぜ効率にこだわるのか。黒木はなぜ合意を重んじるのか。
その「なぜ」を聞かずに、正しい・間違いの判断だけをしていたのではないか。
「ユキ」
「ん?」
「ありがとう」
「なんで?」
美咲は笑った。今度は本当に笑えた。
「なんでやろうね」




