第八章 玄海原発
六月中旬。
篠原からの定時通信に、不穏な一言が混じった。
――*美咲ちゃん。一つ確認してほしいことがある。北九州の黒木さんか、藤堂さんか、誰でもよか。玄海原発の状況を知っとう人はおらんか*
美咲は中村に伝え、中村が黒木に聞いた。
黒木の返事はこうだった。
「玄海原発は唐津の近く。この一年、誰も見に行っとらん。あそこには行きたくなかった。正直、怖くて」
篠原が通信で説明した。
「返答データの第四ブロックを解読しとう途中で、あいつの――空の上のあいつの観測範囲に関する記述が出てきた。あいつは地球全体を観測しとったけど、特に**高エネルギー放射線源**に対して重点的にモニタリングしとった形跡がある」
「原発のことですか」美咲が聞いた。
「おそらく。あいつにとって、原子炉は『理解すべき対象』の優先度が高かったらしか。問題は、蘇生信号を止めた今、あいつが原発に対してどういうスタンスを取っとうかたい」
中村が割り込んだ。
「そもそも、原発は今どうなっとう。一年間電源を失っとうんやろ。メルトダウンは」
篠原の声が少し震えた。
「日本の原発は、あの日の時点でほとんどが停止中やった。福島以降、再稼働しとったのは数基だけ。玄海は二基が稼働中やった。電源が失われた場合、非常用ディーゼル発電機で冷却を続けるはずやけど――ディーゼルの燃料は七十二時間分しかなか」
沈黙。
「一年前に燃料が切れて、冷却が止まっとう可能性がある。もし冷却が止まっとったら、燃料棒が溶融して、格納容器が――」
「福島の二の舞ですか」美咲が言った。
「最悪の場合は、そうなる。ただし、停止中の炉なら崩壊熱は小さい。稼働中やった二基が問題たい」
中村は地図を広げた。唐津市の玄海原発。福岡から西へ約七十キロ。
「見に行かないかんですか」
「行かないかん。状態を確認せんと、この辺り一帯が住めるかどうかの判断がつかん」
中村は藤堂に声をかけた。
藤堂は地図を一瞥した。
「原発か。行くべきやろう。俺の部下に、元原子力規制庁のエンジニアがおる。小野っちゅう男たい。あいつを連れて行け」
「来てくれるか」
「俺が命じれば来る」
「命じるんやなくて、本人の意思を確認してくれ」
藤堂は一瞬、何か言いかけて、やめた。そして頷いた。
「……わかった。聞いてみる」
翌日、小野という三十代の痩せた男が美咲たちの前に現れた。
「小野です。元規制庁の検査官でした。玄海は担当区域やったけん、構造は頭に入っとります」
「危険は」中村が聞いた。
小野は眼鏡を押し上げた。
「最悪のケースなら、半径二十キロは立ち入り不可になっとう可能性があります。ただし、あくまで最悪のケース。現地に行って線量を測らんと、何とも言えません」
「線量計はあるか」
「藤堂さんの部隊が陸自の基地から回収したものが一台。それで足ります」
六月二十日。玄海原発調査隊が出発した。中村、美咲、小野、佐々木の四人。
唐津への道は、福岡市内とは違う荒れ方をしていた。海沿いの道路は潮風と塩害でガードレールが錆び、路面が崩れかけていた。途中の町は福岡以上に静かだった。人口が少ない分、遺体も少なかったが、その分、一年間の自然の浸食が進んでいた。蔦が家を覆い、鹿が道路を横切った。
「生き残ったのは人間だけやなかとですね」美咲が言った。
「動物は死んでも蘇ったけど、人間と違って群れにならんかった。散り散りになって、そのうち自然に朽ちたんやろう」小野が答えた。
玄海原発が見えてきた。
白い建屋。巨大なドーム型の格納容器。見た目は一年前と変わらないように見えた。だが、周囲に異様な静けさがあった。
小野が線量計のスイッチを入れた。
全員が、小野の手元を見つめた。
数値が表示された。
小野は眉を寄せた。
「……0.15マイクロシーベルト毎時。通常のバックグラウンドレベル。問題ない」
美咲が息を吐いた。
「大丈夫なんですか」
「今のところは。ただし、これは屋外の値。建屋の中がどうなっとうかは、入ってみんとわからん」
四人は原発の敷地に入った。ゲートは開いていた。守衛の遺体が一体、ゲートの脇に横たわっていた。制服のままだった。美咲がノートに記録した。
中央制御室に向かった。
建屋の中は暗かった。非常灯は当然消えていた。懐中電灯の光が、計器盤を照らした。
小野が制御盤を確認した。一つ一つのメーターを、丁寧に読んでいった。
十分後。小野が振り返った。
顔色は悪かったが、最悪ではなかった。
「結論から言います。二基のうち一基は、非常用電源が切れた後、自然冷却で安定状態に移行しとう。問題なか」
「もう一基は?」
「もう一基は――部分的に燃料棒が損傷しとう。メルトダウンには至っとらんけど、冷却水が蒸発して燃料棒の一部が露出した形跡がある。格納容器は健全。外部への大規模な放射性物質の放出はなか」
「つまり?」
「今すぐ危険はない。ただし、長期的には格納容器内の汚染水の処理が必要になる。それと、状態監視を続けないかんけど――」
小野は言葉を切った。
「この施設を維持管理できる人間が、日本に何人残っとうか。それが一番の問題です」
帰り道、美咲は海を見ながら考えた。
原発は「今すぐの危険」ではなかった。だが、「いつか向き合わなければならない問題」として、静かにそこにあった。
文明が作り上げたもの。便利で、強力で、そして人間がいなくなった途端に牙を剥くもの。
この世界には、そういうものがいくつも残されている。原発だけではない。ダム。化学工場。石油備蓄基地。人間が管理し続けることを前提に作られたもの全てが、管理者のいない世界で、静かに朽ちていく。
再建とは、何を再建するのか。
全てを元に戻すことなのか。それとも、元に戻すべきものと、戻すべきでないものを選ぶことなのか。
美咲にはまだ答えがなかった。




