第七章 記録
六月。
福岡市の遺体焼却作業が始まった。
北九州から三十人の応援が来た。藤堂の部下十五人と、黒木のキャンプからの志願者十五人。福岡の三十三人と合わせて、六十三人態勢。
焼却班。収集班。記録班。三つに分かれて作業した。
収集班が市街地の遺体をリヤカーで集め、焼却地点に運ぶ。記録班が遺体の場所、着衣、所持品を簡潔に記録する。焼却班が可燃物と遺体を積み上げ、火を放つ。
焼却地点は大濠公園が選ばれた。広い芝生と池。風通しがよく、周囲に延焼の危険が少ない場所。
最初の日。
美咲は記録班として、天神交差点周辺を担当した。
ノートとペンを持って、一体一体の前に立った。
遺体番号00001。天神一丁目交差点北西角。男性推定。身長約170センチ。スーツ着用。右手にビジネスバッグ。財布あり。免許証――
美咲は免許証を開いた。
山田健太郎。昭和五十三年生まれ。住所、福岡市東区。
四十代の男性。出勤途中だったのだろう。革靴が片方脱げていた。
美咲はノートに「山田健太郎」と書いた。この一年で腐敗した遺体に、名前が戻った瞬間だった。
一日の終わりに、美咲は三十七体分の記録を取った。名前がわかったのはそのうち十一体。残りは身元不明のまま、着衣と場所だけが記録された。
大濠公園の焼却地点から、黒煙が上がった。
甘い、嫌な匂いが風に乗って街中に広がった。人が焼ける匂い。美咲は何度も吐いた。
それでも、記録を続けた。
一週間。二週間。三週間。
記録ノートは一冊では足りなくなり、二冊目、三冊目に入った。美咲の字は最初の頃より荒くなっていたが、一体も省略しなかった。
焼却班の藤堂の部下たちは、効率的だった。感情を排して、作業として遺体を処理した。元自衛官としての訓練が活きていたのだろう。だが、その効率性が、時に他の作業員との間に軋轢を生んだ。
ある日、福岡の帰還隊の一人――五十代の男が、焼却場の前で動けなくなった。リヤカーに載せた遺体が、自分の妻だったのだ。
男は遺体を抱えて泣いた。作業が止まった。
藤堂の部下の一人が声をかけた。
「気の毒やが、作業を止めるわけにはいかん。遺体を置いて、離れてくれ」
男は動かなかった。
藤堂が歩いてきた。部下を手で制し、男の傍にしゃがんだ。
「奥さんか」
男は声にならない声で答えた。
藤堂は黙って立ち上がり、焼却場の隅にスコップで穴を掘り始めた。一人で、黙々と。
二十分後、人一人分の穴ができた。
「ここに埋めろ。個別に弔え。記録は田中さんがつけてくれる」
男は嗚咽しながら、妻の遺体を穴に降ろした。美咲がノートに名前を書いた。
藤堂は黙ってその場を離れ、焼却作業に戻った。
美咲はその背中を見た。
この男は、冷酷なのではない。感情を知っていて、それでも効率を優先せざるを得ないことを理解している。弔いの時間を全員には与えられない。だが、目の前で崩れた一人の男に、二十分だけは与えた。
美咲は思った。正しさは、たぶん一つではないのだと。




