第二十三章 五分間
佐々木と原口がドーム方面へ走った。
ポリタンクのガソリンの一部を使って、ドームの駐車場に放置された車に火を放つ。最初は小さな炎だったが、隣の車に燃え移り、やがて黒煙が上がった。
轟音。ガソリンタンクに引火した車が爆発した。
ゾンビたちが一斉に反応した。数百の灰色の顔が、爆発の方向を向いた。そして、のろのろと、だが確実に、音と炎に向かって動き始めた。
タワー周辺のゾンビが減っていく。だが全てではない。数十体が、動かずにタワーの入り口付近に留まっていた。まるで――命令されているかのように。
「全部は動かん。残った奴は突破するしかなか」中村が言った。
三人は走った。
タワーのエントランスまで百メートル。残存するゾンビの間を縫うように駆ける。中村が先頭で鉈を振るい、道を切り開いた。左から腕が伸びた。美咲が身を低くして躱した。右から一体が飛びかかってきた。中村が横薙ぎに払った。
エントランスのガラスドアは割れていた。三人はガラスの破片を踏みしめて中に飛び込んだ。
ロビーは暗かった。非常灯の残光すらない。翔太が懐中電灯を点けた。
白い光の輪の中に、二体のゾンビが浮かび上がった。警備員の制服を着ていた。八ヶ月間、このロビーを「巡回」していたのかもしれなかった。
中村が二体を処理した。
「エレベーターは動かん。階段や」
送信室は展望フロアの上、地上百二十三メートルの機械室。階段で約六百段。
三人は駆け上がった。
階段の踊り場ごとに、ゾンビがいた。一体、また一体。タワーに入り込んでいた者たち。暗い階段室で、懐中電灯の光に反応して、上からも下からも呻き声が響いた。
十階。二十階。三十階。
美咲の太ももが悲鳴を上げていた。だが止まれなかった。背後から足を引きずる音が追いかけてきていた。
展望フロアに着いた。かつて観光客で賑わった場所は、ガラス越しに福岡の廃墟を一望していた。遠くでドームの駐車場が燃え、その周囲にゾンビの群れが集まっているのが見えた。
「機械室はもう一つ上!」翔太が叫んだ。
最後の階段を上がり、重い鉄扉を開けた。
機械室。送信設備がずらりと並んでいた。八ヶ月間電力を失っていたが、装置自体は無事だった。
翔太は迷いなく目当てのラックに向かった。
「これ。Ku帯高出力増幅ユニット。型番も合っとう」
レンチとドライバーでボルトを外す。翔太の手が震えていた。
階段から呻き声が近づいてきていた。
「急げ」中村が扉の前に立った。
翔太が最後のボルトを外した。二十キロの装置をラックから引き出し、背負子に括りつけた。
「取れた!」
その瞬間、鉄扉が外から押された。中村が肩で押し返した。扉の隙間から、灰色の指が何本も伸びてきた。
「降りるぞ! 別ルートは?」
「非常階段がもう一箇所――北側に!」翔太が叫んだ。
三人は機械室の反対側の扉を蹴り開け、北側の非常階段に飛び込んだ。こちらにはゾンビがいなかった。
駆け降りた。六百段を、今度は下りで。膝が笑い、足がもつれた。美咲は二度転びかけ、二度とも中村の腕に支えられた。
一階に降りた時、北側の出口からそのまま外に出た。タワーの裏手。ゾンビの数はまばらだった。
走った。海岸線に沿って東へ。佐々木と原口が待つ合流地点へ。
背後で、タワーのエントランスからゾンビたちが溢れ出してくるのが見えた。だが、もう追いつけない距離だった。
合流地点に佐々木と原口がいた。台車の発電機も無事だった。
五人は船に飛び乗った。
中村がエンジンをかけた。一発でかかった。
船が岸を離れた。
福岡の街が遠ざかっていく。燃えるドーム。傾いた福岡タワー。そして岸壁に立ち並ぶ、無数の影。
美咲は息を切らしながら、翔太の背中の装置を見た。
二十キロの金属の箱。これが、世界を変えるかもしれない。あるいは、何も変えないかもしれない。
でも、鶴田の死が示したものと、この装置が合わされば――少なくとも、問いかけ続けることはできる。もっと大きな声で。もっと遠くまで。
翔太が装置を抱えたまま、笑った。
「先生、喜ぶやろうなぁ」
中村は操舵輪を握りながら、小さく呟いた。
「……鶴田。持って帰ったぞ」
冬の博多湾を、五人を乗せた漁船が、志賀島に向かって走った。
――四キロの街を、五人は往復した。 ――失ったものは、ジャケット一枚と、ガソリン半分と、膝の軟骨。 ――得たものは、二十キロの箱と、空に届く声。




