八十二話 婚約
「…………どこまでが夢だ……?」
チュンチュンという鳥の囀りで目が覚めた俺は、昨日何が有ったかを必死に思い出そうとしていた。
「昨日は確か……クラリッサへの謝罪の為に来たんだよな……? あれ、茶会で倒れたのは夢か……?」
「現実ですわよ」
扉が開く音と同時に、クラリッサの声が聞こえた。ノックはしてくれ。吃驚し過ぎて心臓が口から飛び出たらどうしてくれるんだ。
「弱ってお口がスルスルになっているフェリーチェ様は、とてもお可愛らしかったですわ」
瞬間、顔に熱が集まる。朧げだが、キャラ崩壊レベルで色々喋ってしまったという覚えだけは有る。
「で、出来れば忘れて欲しい……」
俺は基本的にオリヴァーにしか心の弱みを見せないから。オリヴァー以外が相手となると、かなり恥ずかしい。
「いいえ忘れませんわ! とっても可愛らしかったですもの」
「あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」
婚約者決め、早まったかもしれない……。助けて、オリヴァー……。
婚約を成立させるには、両家の父親と本人の署名が必要。アルストロとクラリッサの署名を貰ったので、次は父さんの署名が必要。
転移で連れて行こうかとも思ったのだが、クラリッサから「ゆっくり行きたい」との要望が有ったので竜飛車を用意した。
ヒリュウは今休暇中なので、竜飛車は竜騎士が運転する。
八人乗りの竜飛車に俺、クラリッサ、クラリッサの侍女、アルストロの四人で乗り、俺の休暇終了日の夜にサージスに到着した。
「た、ただいま……」
「おかえり、フェリーチェ。休暇終わりなのにお疲れだね……って、アルストロ公爵!? クラリッサ様も……どうなさったのですか?」
「俺の、婚約者だ」
「……………………は?」
そりゃ驚くだろうな……。オリヴァーには俺が恋愛に対して消極的だって伝えてあるし。
「父さんにサインを貰いに来た」
「幹部作業室に居た。後で話聞かせてよ、部屋で待ってる」
「ああ、ありがとう」
応接室に皆を案内し、俺は幹部作業室に向かった。
「分かった。すぐそっち行くよ」
父さんは街の時計台をパワーアップさせるべく、総合建築物管理課と共に話し合っていた。俺が応接室に来てほしいと伝えると、要件も聞かずに作業を終わらせてくれた。
「それで、この三日間は休めたか?」
「まあ、そこそこ。とりあえず、俺を悩ませてた問題の一つは解決しそうだ」
「そうか。それで、父さんは何で呼び出されたんだ?」
「このためだ」
ガラッと引き戸を開けるとアルストロとクラリッサがお茶菓子を口いっぱいに詰め込んでいるところだった。
「……お、おかわりを頼む」
かなり恥ずかしそうに顔を伏せて、アルストロがおかわりを要求した。ちゃっかりしてるな。
「では、後でお部屋に持っていきます」
「フェリーチェ……も、もしかして……」
「ああ、クローシアのアルストロ公爵とクラリッサ嬢だ。今回は、これに署名をしてほしくて呼んだ」
婚約証明書を見せると父さんは細い瞳を限界まで見開いて驚いていた。この場に居るメンツの関係で声を上げることは我慢出来たみたいだが、その反動か数分間フリーズされてしまった。
「う、うん。良いんじゃないかな。フェリーチェが決めた相手なら父さんは反対しないからね。うん」
動揺が残っているのか、手はプルプルと震え、サインがふにゃふにゃだ。二枚の婚約証明書にサインをした父さんは、おぼつかない足取りで応接室を出て行った。ゴンッという音と呻くような声が聞えたから、どこかに足でもぶつけたのだろう。
「ここから一年間の婚約期間を経て、籍入れとなる。また後日、顔合わせ会をしよう。婚約発表はいつ頃にしたいかの希望は有るか?」
「俺は特に。クラリッサの準備が出来次第で」
「帰国したらすぐに準備しますわ。フェリーチェ様はルーク叔父様の親戚にもなるのでクローシアのお城で婚約パーティーを開くことになるのだけれど、大丈夫かしら?」
そうか、アルストロとルーク王って兄弟だったな。建国して王になったら先輩王の親戚になるってとんでもねえ……。
「ふ、服を用意しておくよ……」
ミラに頼まないとな。張り切りそうだ……。今度は採寸に何時間かけられるだろうか……。
少し憂鬱になった俺の精神を叩き切るようにスパンッと引き戸が開けられた。
「な、何者ですの!?」
「ロイ!?」
「ちょっと! アタシのこと置いてくなんていい度胸してるじゃないの!」
「ミラまで……何やってるんだ。二人とも」
ロイとミラがダッシュで来た。来客有りって言った筈なんだけど……。
「おれ達にお二人の衣装デザインをさせてください!」
怖い。
俺は多少人の気配を感じる事が出来るのだが、気配は一切感じられなかった。幹部作業室には二人共いなかったから、父さんから事情を聞いて来たとも考えられない。
「ど、どこで知った……?」
「……まあ、別に良いじゃないですか。魔法で覗き見なんてしてないですよ」
「それ自白って言うんだぞ、ロイ」
風属性でどう覗きをしたのかは分からないが、知らない方が幸せな事も有る。忘れてしまおう。
「それで? 衣装デザインだっけ?」
「はい。おれがデザインしてミラさんが制作を――」
「良いわね!」
言い終わらないうちにクラリッサはロイの手を握った。
「私、結婚式の衣装はこの二人にお願いしたいですわ! クローシアの婚約式はお抱えの商会に作らせるのだけど……結婚式はサージスでやりますものね! お父様!」
「す、好きにしなさい……」
アルストロはお疲れみたいだ。新婦父からの許可も降り、三人はキラキラした瞳で俺を見つめてくる。
「分かった。頼むよ、二人に」
デザインがロイなら採寸もロイになる筈。ヘトヘトになるまでマネキンとして捕まらずに済みそうだ。
「やったっ! ありがとうございますフェリーチェ様!」
「ちょっと! その抱え方やめて!」
満足したロイはミラを俵持ちしてスキップして帰ってしまった。
クラリッサはポカンとしている。
「あいつ等はずっとああなんだ。結婚すると毎日ああいうのに絡まれるけど、大丈夫か? ノックはしないし来客でもお構いなしだし。外に行けば大人しくなるんだけど」
「楽しそうなので大丈夫ですわ!」
恋愛感情を持たなくても良い。人だろうが魔族だろうが区別なく接する事が出来る。女装まで見られているし、それなりに気心が知れた仲。
結婚相手としてはこれ以上無いくらいの女性じゃないだろうか、クラリッサ・スウィート。
「フェリーチェ様……?」
「え?」
「どうかなさいましたか?」
急に黙ってしまった俺の顔を覗き込み、クラリッサが聞いてくる。身長差が有るので上目遣いの構図になってしまっている。
「いや。クラリッサが俺の事好きになってくれて良かったって思っただけ」
「なっ……!」
「フェリーチェ君!」
「は、はい! 何でしょう?」
急にアルストロが声を荒げ、俺の肩を掴んだ。俺は成長期で百八十の大台に乗ったので、百七十のアルストロも見下ろす形だ。
「ルークが貴方を人誑しだと言っていたが……軽々しく娘を口説かないでくれないか……?」
「く、口説いてなんかいませんが……」
歯の浮くようなセリフを言った覚えはない。
「いいや口説いた。見てみろ。こんなクラリッサ、見た事が無い」
俺がクラリッサが立っていた所に視線を持っていくと、何やら聞き取れないくらいの声量で早口言葉のような何かを永遠に呟いていた。大丈夫だろうか。
「と、とにかく俺は人誑しじゃありませんっ! 言いがかりも大概にしてくださいよ……」
「じゃあこれはどう説明してくれるんだ!?」
「知りませんよ!? 俺は事実を述べたまでですから」
ふんぞり返って腕を組むと、アルストロは何かに怯えるような表情をした。
「馬鹿正直な奴って怖い……」
馬鹿正直とは何だ。失礼な人だ。俺だって嘘くらい吐けるぞ。
その後、人を誑かすな、とか発言には気を付けろ、とか三時間に渡る説教を受けた。解せぬ。
ああ……酷い目にあった……。
アルストロに説教されてヘトヘトになった俺は、オリヴァーの部屋に向かった。もう遅いし寝ているだろうと思ったが、まだ扉からはライトの光が漏れている。
「ごめん、遅くなって」
「良いよ。ちょっと聞こえてたから」
オリヴァーの部屋と応接室って結構遠いんだけどな……。アルストロの奴……。大声で説教しやがってもう。
「それで? あんなに結婚嫌がってたのに何で急に?」
「本当は断らないとって思ってたんだ。俺は誰かと恋愛するのが怖い。そう言ったら恋愛でも家族愛でも愛は愛だって言われて……」
「折れたんだ」
「まあ、そう」
我ながら最低だとは思うけど、同意の上だから大丈夫だ。
「説教されてたのはそれで?」
「いや。クラリッサは魔族を見下したりしないし、多少は気心も知れた人で恋愛しなくて良いって言ってくれてる。だから、俺を好きになってくれて良かったって言ったら娘を口説くなって怒られた」
失礼だよな、と言うと、オリヴァーもアルストロと同じ目をした。
「それは怒られても仕方ないと思うよ……。その気が無いのに思わせぶりな事言うのは」
「でも本当の事なんだけどな」
「正直なのも考えものだね」
何で呆れられるんだろ。俺が悪いのか……?
それからオリヴァーからも「気持ちを正直に伝える事が正しいとは限らないんだよ」とのお叱りを受けた。
どうやら今回は俺が悪いらしい。




