【ケンジとゲイリー】再会
「ちょっと腹が減ってきたな。ケンジ、お前、金持ってるか?」
「孫にタカるつもりかよ」
「いま持ち合わせが無えんだ。頼むよ。あそこのラーメン屋に入ろうぜ」
そう言いながらゲイリーは油が染み込み、ずしりと重たい、黒ずんだ暖簾をくぐった。
「らっしゃい!」
カウンターが8席しかない店内には大きすぎる、威勢の良い声が奥の厨房から聞こえてきた。
「ラーメンとチャーハン、あと餃子! 全部5人前!」
「相変わらずよく食うなあ。本当に60歳かよ」
「となりの兄チャンは?」
「味噌ラーメン」
「あいよ! 味噌ラーメン一つ!」
豪快に中華鍋を振る音と、ごま油の良い香りが漂ってきた。
「ところで、どうやって忍び込むつもりなんだ?」
「あ? そんなの来た道を戻りゃあ良いんじゃねえの?」
「正面突破かよ? いくら爺さまでもそれは無理だろ」
「じゃあどうすんだよ。お前、良い考えでもあるのか?」
山盛りのチャーハンを、ゲイリーと見紛うような体格の良いマスターが運んできた。
「へいお待ち! まずはチャーハンねって、よく見たらユングさんじゃあないですか!?」
「まあ俺も有名人だし目立つからなあって、お前! 勘太郎じゃねえか!」
「お久しぶりです! お元気ですか?」
「おお、お前、ラーメン屋なんかやってんのか!」
勘太郎はその昔、ゲイリーのピークが過ぎた頃に入団してきて、その実力からゲイリーの後継者として最有力候補のレスラーだった。だが試合中に何度も肩を壊し、若くして引退を余儀なくされた。まわりからはマネージャーとして残るように促されたが、財政面で厳しい団体を気遣い、いつの間にかひっそりと姿を消していた。
「こっちの兄チャンは?」
「俺の孫で、ケンジってんだ」
「へえ、お孫さんいるんですか。よくその年まで残っていましたねえ」
腕組みをしながら懐かしそうにゲイリーが食べる姿を見ていると、店の奥にある油だらけの黒電話が鳴った。
「スンマセン、ちょっと出ます」
勘太郎は急いで厨房に戻り、電話を取った。
「飛龍飯店です! はい、いつものですね。有り難うございます! すぐお持ちします!」
電話を切ると勘太郎は鼻歌を歌いがならコンロに火を入れた。
「あ、いけね」
一端火を止めてカウンターに戻ってきた。
「ユングさん、ちょっとゆっくりしといてもらえますか? 出前が入っちまいました。いつもはバカ息子が帰ってきている時間なんですけどね、どこで道草食ってんだか」
「繁盛してるじゃねえか」
「お陰様で。ほら、この先に元老院の日本事務所ってのがあるでしょ? あそこがいつも大量の注文をくれるんですよ。それをオカモチで運べるのはこの辺りでは俺らだけですから、面白がって贔屓にしてくれているんですよ」
そう言いながら厨房に戻って火を入れると、常人には持ち上げる事も出来そうにない、大きく、重い中華鍋をまた振り始めた。
「ケンジ、お前あの中に入れるか?」
ゲイリーが箸で指し示したのは、先ほど勘太郎が自慢した特製の大きなオカモチだった。
「入れるけど、料理と一緒には御免だぜ」
「バ~カ、出前ってのは、食った後の食器も引き取りに行くんだよ。だからよ、お前をあの中に入れて、引き取りは俺が行く。ガタイはほとんど同じだから、同じ格好してサングラスでもかけりゃわかんねえはずだ。お前は先に忍び込み、夜に俺が行く時までに侵入口を確保しとけ」
「そんな簡単なセキュリティだとは思えないが」
「アイツらには今、前代未聞の事件が起きてんだ。現場は血眼になって俺らを探しているし、道源らは隠蔽に必死だぜ。それにあんなトコには逆にシンプルな作戦が効くんだよ」
「お待たせしました!」
勢いよく注文の品が差し出された。更に出前分も作り上げた勘太郎は、丸太のような上腕二等筋に血管を浮き上がらせ、オカモチを持ち上げた。
「へえ、やるじゃねえか」
「あの後もずっと鍛えていますから。ではちょっくら出ますけど、ゆっくりしといて下さい!」
「おお、任しとけ」
勘太郎はニコッと笑みを浮かべ、表に止めてあったスーパーカブに股がり、エンジンをかけた。サスペンションは強化していたが、それでも悲鳴をあげるようにして走っていった。
「行ったか。アイツも仲間に出来たら良いんだがな」
「あれ見ろよ」
ケンジが指し示した先には、フレームは油まみれだが、中央だけは綺麗に磨かれた写真立てが雑然と並べられた調味料に混じって飾られており、中には勘太郎と奥さん、そして3人の子供たちが満面の笑顔で写っている写真が見えた。
「元老院はここのお得意さんなんだろ? 勘太郎さんは知らないほうが良いんじゃねえの?」
「おー、お前もそういう事が言える年になったか」
2人はそのあと黙々と目の前の料理を平らげた。
程なくすると、遠くからカブの音が聞こえてきて、店の前で勢いよく止まり、戸が開いた。
「遅くなりましたっ! いやあ、よくよく考えたらユングさんに店番頼むなんて失礼な話で、すっとんで帰ってきました。申し訳ないんで、今日はご馳走させてください」
「バカヤロウ、後輩に奢って貰うほど落ちぶれちゃあいねえ。なあ、ケンジ」
いつものようにケンジの頭をもみくちゃにした。
「ただよぉ、一つお願いがあるんだ。器の引取りを俺に行かせてくれねえか?」
「何を言ってるんですか! 店番までしてもらったのに、頼めませんよ!」
「でも、おめえの息子はいつ帰ってくるかわかんねえだろ? それに俺はこの年まで呼んでくれなかった元老院ってのがどんなトコなのか、一度見てみたいんだよ」
「いやぁでもやっぱり申し訳ないですよ」
「知っていると思うけど、爺さまは一度言い出したら聞かないぜ」
「そういうこった」
ゲイリーの目を見ると一点の曇りもなく、これ以上何を言っても無駄なことが理解できた。
「そうですかぁ、ならお言葉に甘えて、お願いします」
勘太郎は申し訳なさそうにバイクの鍵をゲイリーに渡した。
「よし! ケンジ、財布貸せ」
ゲイリーは財布の中に無造作に手を突っ込み、自分と同じくらいの太い勘太郎の右手を握りしめ、クシャクシャになった札を手渡した。
「これは結婚祝いと出産祝いと開店祝いだ。まとめて取っとけ」
「え!? いや、受け取れませんよ!」
「いいから!」
「どうせ爺さまの金じゃねえし」
「うるせえ! じゃあ勘太郎、これ借りてくぜ」
レジの横に置いていた店の名前が刺繍された白い上着を着むと、ゲイリーは店の前に止めてあるカブに跨がり、ケンジが後ろに飛び乗った。
「よし、行ってくる!」
アクセルを全開にしても動かなかったので、少し足でかくと、ゆっくり走り出した。
「……旨かったな」
「ああ」
「じゃあ、ひと仕事終えたらまた寄るか」
「ああ。でも爺さまは先に食器とバイク返さないとダメだろ」
「あ。そうだよなー」
気のないゲイリーの返事を聞き、ケンジに一抹の不安がよぎった。




