【ミゲルたち】再会
ここはメキシコ市にあるネザ・チャルコ・イツァ地区。一日中空に向かって懺悔していた老人もいつの間にか寝むりこけ、炎症をおこした右足の小指をドブネズミにかじられていた。辺りは漆黒の闇に包まれ、下水と香水の入り混じった匂いのする路地を、ミゲルたちは歩いていた。
古びたレンガの街並みも途切れ、石畳の道も砂利道に変わると、錆びたトタンが無造作に並べられた場所へさしかかった。闇は更に増し、その奥から痩せ細った犬がこちらを睨みながら唸っていた。ミゲルは立ち止まり、しばらくその一角を見つめた。
「あそこか」
一歩足を踏み入れると、そこは汚染された土壌と様々な人の体臭が入り混じった、鼻に刺すような刺激臭がして、臭いに敏感な龍次は、吐き気を必死に堪えていた。
「何度も言うが、これは俺の個人的な問題だ。お前らは来なくていい」
「なに言ってるんスか!? 俺たち、もう帰り道もわからないスよ!」
修一がかなり顔を近づけた。
「チッ、面倒くせえ奴らだな。ま、お前らはここから出るだけでもかなりの鍛練になるだろう。後ろを見てみろ」
二人は振り向き目を凝らしてみたが、広がるのは暗闇だけで、何も見えない。
「地ベタだよ」
目を凝らして真っ暗な足元を見てみると、おびただしい数の殺気を感じた。
「うわっ」
修一はたまらず声を上げた。
「ざっと50くらいか。ただでさえ飢えているヤツらだ。日本人で小奇麗な服を着たお前らは、身ぐるみ剥がされるどころか、下手すりゃ髪の毛や臓器まで持っていかれちまうぜ」
「ど、どうすりゃ良いんだよ!?」
「俺の近くにいろ。ヤツらだって無駄死にはしたくないだろう」
ミゲルは決して油断した訳ではなかったが、ふと前を見ると、身長は170cmにも満たないほど小柄で、まるで少年のような童顔の男が、ニコニコしながら目の前に立っていた。
「久しぶりですね、ミゲルさん」
「ジルか」
「ハハッ。久しぶりの再会です、もっと喜んでみたらどうですか?」
「何の用だ」
「つれないなぁ。でもメキシコに戻ったなら、まずボスに挨拶するのが筋じゃないですか?」
「嫌だと言ったら?」
「もちろん、力ずくで」
ミゲルは周りを見渡し、もう一度ジルの目を見た。
「お前、一人で来たのか?」
「ええ」
「……舐められたもんだな」
不気味なまで満面の笑顔を浮かべていたジルの眉間に、ほんの少しシワがよった。
「確かに昔はアンタに勝てたときなかったけど、俺はアンタがいなくなってからもずっと毎日地下で戦っていたお陰で、今では誰にも負けなくなったよ。何なら試すかぁ?」
目を見開き、一瞬声のトーンが高くなったが、またすぐ笑顔に戻った。
「ま、今ここで騒ぎを起こすのは賢明じゃないけどね」
ここメキシコでは警察とマフィアは完全に癒着していたため、捕まると色々な理由を付けられ、いつ出られるかわからなくなるのは明らかだった。
「うわ、来た!」
少しずつ地面を這って近づいてきたヤツらは修一と龍次の目前に迫り、ガサガサと音をたてながら今にも飛び掛かってくる勢いだった。
「フッ、短気なところは相変わらずだな、ジル。わかった、連れて行けよ」
「俺が短気なら、今頃アナタは死んでいますよ。ま、いいや。彼らは仲間ですか?」
「知らねえ」
「また何言ってるんスか!?」
「仲間だよ、仲間」
「じゃ、こちらへ」
ジルは暗闇の中に消え、3人もその後を追った。何も見えない中を歩いていると、不気味なV8の野太いエンジン音が聞こえてきた。そこからまたしばらく進むと、闇の中に黒塗りのマーキュリー・グランド・マーキスが見えてきた。その車は年代物だがよく手入れされており、脇には屈強なSPが二人立っていた。
「へぇ、この車はまだ現役なんだな」
「ええ。これは俺が地下で初めてチャンピオンになったとき、ボスにもらったんです。今日は特別にこれに乗せてあげますので、しばらく大人しくしておいて下さいね」
ジルがSPに目をやると、一人は運転席に回り、もう一人はドアを開いた。ジルが最初に乗り、その後修一、龍次、ミゲルと続いた。中はマホガニーの木目が美しい装飾がなされ、天井には煌びやかなシャンデリアが飾られていた。黒革のソファは座ると深く沈み込み、窓には黒に近い紫色のカーテンがあって、外は全く見えなかった。しばらく走らせた後に車が止まると、運転手が窓を開け、守衛と話している。大きな門が開くと再び走りだし、しばらくしてまた止まった。
ドアが開き、3人が降りる頃には既に夜は明けていて、キラキラと朝日が差していた。目の前にある噴水を中心としたロータリーの奥は、手入れが行き届いた庭園が広がっていた。横を見ると、高さは3メートル近くあるココボロの木で造られた、重厚な観音開きのドアが存在感を放っている。
SPがドアを開けると、白い大理石が敷き詰められたロビーがあり、左右からは階段が二階に延びている。壁には大きな肖像画が飾ってあり、ドーム型の天井からは煌びやかなシャンデリアが朝日を受け眩しいばかりに白く輝いていた。




