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滅亡世界の果てで  作者: 漆之黒褐
第3章
47/52

責任

 背中から襲い掛かってきた強烈な衝撃、熱気。

 続いて、身体の前側が目の前にあった壁にぶつかる。

 ドラゴンの息吹によって吹き飛ばされたのだとすぐに分かった。


 自らが斬った鉄格子の隙間で、逃げ道の無い壁へと叩き付けられる。

 それだけでは終わらず、背後から勢いよく吐かれるドラゴンブレスによって壁に押し付けられ、押し潰されていく。

 生きたまま身を焼かれながら潰されていく。

 視界が紅炎一色に染まり、自身が炎の海の中にいるのだと理解する。

 後はただ死を待つだけだった。


 だが、先に目の前の壁が強度限界を越えてしまったのか、身体へかかっていた圧力が急に消失する。

 圧殺死に至る前に解放される。

 ジワジワと焼き殺されるよりもまだマシだと思っていた死因が失われる。


 強烈な息吹の勢いにのって、壁に開いた穴から放り出された。

 分離した壁の一部と別れ、回転運動がうまれる。

 次いで、重力に引かれて体勢が崩れる。

 回転の中心軸が変動し、きりもみしながら地面の上を転げ回る。

 たまらず身体を丸め、手足が衝撃で駆動範囲を越えて曲がるのだけは防ぐ。

 そんな事をした所で、すぐ先に待っているのは未来は間違いなく焼死だというのに。

 〈不動心〉によって冷静に対処してしまう。


 壁に開いた穴に一時的に収束された灼熱の息吹が、穴を出てすぐに放射状へと広がっていく。

 その息吹の勢いに押され、俺の身体が横へと反れていく。

 だがすぐに何かにぶち当たり,急激に進行方向を変えられた。

 まるで押し出されるように、息吹の有効範囲から抜け出す。

 背中に背負っていた荷物が時折クッション代わりになるが、その逆もあった。


 回転運動がゆっくりと止まる。

 それと同時に、思い出したかの様に全身が痛みを訴え始める。

 熱さは感じなかった。

 既に身を焼き尽くされて感覚神経を失ったか。


 地面が冷たい。

 このまま俺は死に逝くのだろう。

 後は待つだけ。

 意識が徐々に薄れていく。

 身体が急速に冷えていく。


 寒い。

 ……寒い……。

 …………寒い…………。


 ……。

 寒い?

 何故、寒い。

 熱いのではなく、何故寒い。

 感覚神経を失ったのならば、後は何も感じずに意識を失っていくだけだというのに。

 死ぬ今際には寒さを感じると言うが、これがそうなのか。

 それにしては物凄く寒い。

 どんどん身体が冷えていく。

 まるで氷付けにされているかの様だ。


 これが死なのか。

 それとも、これは死の前触れなのか。

 寒い。

 いや、冷たい。

 冷たすぎる。

 なのに、背中だけは温かい。

 いや、背中だけではない。

 少女と密着している部分は温かかった。


 どうしてだ。

 何故、温い。

 何故、寒い。

 何故、冷たい。

 どうして冷たいと感じる。

 どうして温かいと感じる。


 何故、まだ意識を保っていられる。

 それとも、これが死なのか。

 死ぬ寸前に感じた事をずっと引き摺るのが死なのか。

 俺は死んだのか。

 背中の少女は死んだのか。


 分からない。

 分からない。

 何が分からない。

 寒い理由が分からない。

 温い理由が分からない。

 冷たい理由が分からない。


 俺は死んだのか。

 俺は死んでしまったのか。

 ドラゴンブレスに焼き尽くされて炭と化したのか。

 それとも、まだ生焼け状態で死の淵にあるだけなのか。


 分からない。

 分からないから、とりあえず身体が動くか試してみよう。

 何を動かす。

 何処を動かす。

 何処を動かそう。


 動かすのは腕だ。

 いや、動かすのは指だ。

 最も動かしやすい場所だ。


 俺の指はまだ繋がっているのか。

 俺の腕はまだ繋がっているのか。


 意識を集中し、神経を通わせる。

 頭、首、胸、肩、二の腕、肘、上腕、手首、手の平、その先にある人差し指。

 命令だ。

 指よ。

 動け。


 果たして指は動くのか。

 だが、動いた事をどうやって確認する。

 感覚が失われていれば、例え動いても分からない。

 麻酔をかけられた状態と同じ。

 動かしても気付けない。

 動いても気付けない。


 感じない。

 何も感じない。

 何も感じなければ、俺の指は無い。

 そう考えるしかない。


 だが、腕がある事は分かっている。

 痛みが発生しているので分かっている。

 寒いから分かっている。

 少女と触れ合っている部分が温かいから分かっている。


 俺の腕はある。

 俺の腕は確かにある。

 これが錯覚では無いのだとしたら、俺はまだ生きている事になる。

 まだ死んでいない事になる。


 生きている。

 俺は生きている。

 ならば指も動くはずだ。

 腕も動かせるはずだ。


 命令だ。

 指よ。

 動け。


 命令だ。

 腕よ。

 動け。


 動いた。

 腕が動いた。


 動いた。

 指も動いた。


 俺はまだ生きている。

 生きているなら立ち上がれ。

 意識があるなら立ち上がれ。

 立て。

 立つんだ。


 目を見開け。

 そして見ろ。

 己がどんな状態にあるのかを確認しろ。


 俺はまだ生きている。

 生きているという事は、死んでいないという事。

 まだ死んでいないならば、まだ生きていられるという事。

 生きているならば望みはある。

 立ち上がれ。

 目を見開け。

 そして見ろ。

 俺がまだ生きているという事を。

 俺がまだ生きていられるという事を。


 確認しろ。

 確認するんだ。

 俺はまだ生きている。

 望みを捨てるな。

 意識を保て。

 眠りにつくな。

 永遠の眠りに誘われるな。


 俺よ。

 覚醒しろ!













「……って。なんだ、全然元気じゃないか」


 目を見開いて自分の身体をよく見てみると、これといって焦げている様な場所はなかった。

 強絹糸製装備の耐熱性を甘く見ていたようだ。

 もしくは、ドラゴンブレスの威力が大した事が無かっただけか。


 脱力しきっていた身体に渇を入れ、立ち上がる。

 そしたら背中に背負っていた少女がドサッと地面に落ちた。

 どうやら少女を固定していたロープはドラゴンブレスの火焰に耐えきれず、このタイミングで切れた様だった。


 未だに意識を取り戻さない少女の状態を確認する。

 少女もまた五体満足で、しっかり息をしていた。

 どうやらアクアの為に作った服が強絹糸製だった事でドラゴンブレスの直撃を受けても大丈夫だったらしい。

 フードも被せていたし、念の為グローブやブーツも履かせていたので完全防御した様だった。


 但し、打ち身だけはどうする事も出来ないので、目が覚めたら盛大に痛みが襲ってくるだろう。

 まぁ命が助かったのだから、それぐらいは勘弁して欲しい。


「というか、何で一面銀世界?」


 少女の容態を確認したあと、ようやくその事に触れる。

 見ると、周囲一体が白く凍結していた。

 雪が積もっている訳ではない。

 ただ、此処は氷の世界だと言わんばかりにあらゆる場所が凍っていた。


 俺の腕もそう。

 地面に触れていた指が凍っていた。

 指が動かなかったのはそれが原因らしい。

 寒いと感じたのも、冷たかったのも、感覚が麻痺していたのも、すべてこの凍てつく世界が原因だと言う事はすぐに理解した。


「いったい何が……」


 その原因が何であるのか、周囲に視線を走らせた瞬間。

 ピシリ、という何か亀裂が走る様な音が聞こえてきた。


 背中に何とも言えない怖気が走る。

 それが何の音であるのかすぐに思い至るも、思考が途端に停止してしまい意識を反らしてしまう。

 もう一度、少女の身を心配してその顔を見る。

 少女は死んだように眠っていた。


 身の危険を感じ、再びその少女を肩に担ぐ。

 そしてその場から走り出そうとした瞬間。

 強烈な破砕音が響き渡り、圧倒的な存在感が背後に出現した。


 背後に発生したその凶悪な気配に思わず息を呑む。

 怖くて振り返りたくない。

 だが確認しなければならないだろう。


 ……振り返ると、そこには空を仰ぎ見るドラゴンの姿があった。


 ドラゴンが、檻より出たよ、さあ大変。

 見て見ぬ振りを、しちゃおうかなぁ


 今の心情を短歌に詠んでみた。


「さよなら!」


「いえ……逃がしませんよ、サイさん」


 スタコラサッサと走り出したら、その行く手をレベッカに遮られた。

 白いバージョンのレベッカが現れた。

 そして瞬時に悟る。

 この一面銀世界は、白麗のレベッカによるものだと。


 前後を敵に塞がれる事となった。

 前門にレベッカ、後門にドラゴン。

 どう考えても、迷う必要はない。

 美女一択。

 陽之御前を抜き放ち構える。

 その瞬間、背後のドラゴンが大きく羽ばき、周囲一帯を一掃するほどの烈風が巻き起こった。


「きゃぁっ!」


 いざ前に踏み込もうとした所に不意打ちで襲い掛かってきた風に呆気なく吹き飛ばされ、俺はレベッカに猛烈なアタックをする形となった。

 想像以上の速度で迫ってきた俺に、レベッカも対処が間に合わず可愛い悲鳴をあげる。


「いつつ……だ、大丈夫か?」


 風がおさまり目を開けると、レベッカに覆い被さる体勢で俺達は倒れていた。

 軽装備とはいえレベッカは鎧を着ていたため、胸タッチなどのイベントが起こる訳もなく。

 すぐに俺は立ち上がり、レベッカに手を差し伸べる。


「あ、はい。有り難う御座います」


 何の躊躇いも無くレベッカが俺の手を掴み立ち上がる。

 突然の事に少し混乱しているのか、今のレベッカからは殺意や戦意が感じられなかった。


「じゃ、俺は急いでるんで」


 なんか色々と有耶無耶に出来そうだったので、軽く逃げてみる。


「お待ち下さい」


 そしたら掴んだ手が瞬時に凍って離れる事が出来なかった。

 やべ。


「大変な事をしてくれましたね、サイさん。あれを解き放ってどうするというのですか」


 殺意は無いが、冷たい瞳を浮かべたレベッカが俺にそう言いながら斜め上を見上げる。

 つられてそちらの方を見ると、ドラゴンが大空の自由を今まさに満喫している真っ最中だった。

 まるで喜びにはしゃいでいるかのように空をグルグルと旋回してドラゴンは咆える。

 天空の王者が空に帰還し、その姿をまるで人々に見せびらかすようにキロスの街の上空を優雅に舞っていた


「別に解き放ったつもりはない。あいつが勝手に檻から出ただけた」


「……その言葉を信じろと?」


「そう言われてもな。あの檻から出るために鉄格子と壁を壊していたら、あいつが急にブレスを吐いてきたんだ。危うく俺は殺されるところだったんだぞ」


「自業自得です。いらぬ刺激を与えなければあれは比較的大人しい性格なのです」


「大人しい? ドラゴンがか?」


「ドラゴン? 違いますよ。あれはリザード系モンスターの亜種、フレイムリザード・ワイバーンです。ドラゴンと比べるとかなり小さくて弱い生き物です」


 衝撃の事実だった。

 まぁ、何となくそうじゃないかなとは思っていたが。

 ベロッと舐めてきて人なつこかったのもそうだが、この世界のモンスターは基本サイズがばかでかいので、改めて良く考えると火トカゲの一種だと言われても不思議ではない。

 そうか……あれはドラゴンじゃないのか。

 ちょっと残念。


「まぁ、ドラゴンの赤子ならばあの大きさぐらいだとは思いますが、それでもドラゴンの赤子の方がブレスや咆吼の威力は上です。あれが本物のドラゴンの赤子ならば、その口から吐かれる息吹はこの辺りの建物であれば跡形もなく消し飛ばされるでしょう。もちろん、普通の檻で囲うなど意味はありません」


 本物だったら俺は消し飛んでいた、と。

 フレイムリザードのブレスだったので、強絹糸製装備でも十分に耐えられたのか。


「ですが、流石に私も肝が冷えました。あなたの命は私が必ず刈り取ると心に決めていたのに……あれがブレスが吐いた時にはもうダメかと思いました。すぐに氷門の結界を張り巡らせましたが、それで完全に防げるとは思っていませんでしたので」


「俺を自分の手で殺す為に、わざわざ俺の命を守ってくれたのか。喜んで良いのか判断に困る動機だな。だが、助かった。有難う」


「……これから殺される相手に感謝の言葉を言うのですか?」


「それを言うなら、さっき俺が手を差し伸べた時にレベッカも俺に感謝の言葉を言ってたよな」


「あれは人として当然の言葉です」


「だったら、俺の感謝の言葉も素直に受け取ってくれ。俺に他意は無い」


「……逃げる気満々で言わないで下さい」


 さっきから懸命に腕を引っ張って逃げようとしていたが、意外にレベッカの力が強く氷漬けにされた腕はうんともすんとも動かなかった。


「ところで、ずっと気になっていたのですが、1つ聞いても宜しいでしょうか」


「それは別に良いが、質問1つで貸し1つだぞ。今は確か貸しが2つあるから、質問は2つまでだ」


「割に合っていません。1つは先程命を助けた件だと思いますが、それが質問1つで帳消しというのはどうにも納得がいきません。それに、もう1つの貸しとは何の事でしょう?」


「……初めてレベッカにあった時の件」


「あれは貸しではなく罪です! しかも3つです! 私から逃げた件。私の相棒を神の貢ぎ物として捧げた件。そして、わ、わた、わたしの……はじ、はじめてを……」


 こっちのバージョンのレベッカはちょっとシャイらしい。

 白い顔をほんのり赤く染めながら、最後の1つをなかなか口に出せないでいた。


「なら質問は4つまでだ」


 ちょっと可笑しかったので、苦笑しながらついそんな言葉を口に出してしまう。


「……あんた、マジで私に殺されたいのかい?」


 げ、変身が溶けた。

 髪が白から赤へと変わり、赤身を帯びた頬が怒気の色へと変わっていく。


「ギブギブ! 痛い痛い痛いっ!」


 ついでに、俺の腕を捕縛している氷も溶けたが、レベッカは俺の腕を握り潰さんばかりに握力を込めてきたので、どちらにしても逃げ出す事は出来なかった。


「貸しが1つ、罪が3つ。その利子分だけで私の質問答えてくれるよな?」


 握り絞める対象を腕から首に変えてレベッカがお願いしてくる。

 お願いというか、脅迫というか。

 頷く以外の選択肢は無かった。


「この街であんたと再開してからずっと思ってたんだが……サイ、あんたが身に着けている装備、いったい何処で手に入れたんだい? 私が持ってた剣を加工して作ったというあの短剣といい、フレイムリザードのブレスを防ぎきったその服といい、明らかに普通じゃないよ。そんな名工、この辺りにいるって話は聞かないんだけどね」


 質問って、そっちか。

 てっきり賞金をかけられた経緯とか、何でゴブリンを捜しているのかを聞かれるのかと思っていた。


「……答えないとダメか?」


 正直、一番質問されなくない内容だった。

 この世界の基準で考えると、レベッカの言う通りちょっと普通じゃない性能だったために。

 鉄よりも防御力が高くて火のブレスも防ぐ絹って、さて何だろうな。


 たぶん正解は、才能:製造、細工、加工、あとたぶん錬成も加わって作られた新素材がガチガチに性能強化された影響だと思う。

 森で家造りをした時にも思ったが、すでに俺の職人レベルは異常を越えて超越技もしくは神技になっている可能性が高い。

 流石に限度はあると思うが。

 現に、レベッカの剣で強絹糸は斬られていたし。


「ああ、ダメだ」


 しかしレベッカはそんな俺の気持ちなど気にした様子なくスッパリ答える。


「答えないと?」


「殺す」


「答えると?」


「次の質問が待っている」


「……その次の質問にも答えると?」


「更に次の質問が待っている」


「全部答えると?」


「責任を取ってもらう」


 答えたくないな……。

 だが、殺されるか責任を取らされるかだったら、後者しかない。


「ちなみに、あんたは嘘を吐き慣れてないみたいだからね。嘘を吐いたらすぐに分かるよ」


 嘘を吐こうとしたら、先に釘が刺された。

 しかも抜けそうにない。

 さて、この釘の痛みを〈不動心〉で無効に出来るか……。


「レベッカ、俺は御前の事が嫌いだ。いや、今嫌いになった」


「うん? わざわざ今そんな嘘を吐く理由が分からないね。ま、ちょっと嬉しかったからそういう嘘なら歓迎するよ」


 見破られた。

 何でだ……。


「前にも言った気がするんだが……全て自前だ」


「あんた、また嘘を……言ってる訳じゃないみたいだね」


 レベッカの目が一瞬だけ釣り上がった。

 その瞳には不思議と、強い疑いの色は無かった。


「ハハッ、なるほど……あんた、見かけによらず相当な修羅場を潜って才能を身に着けてきた口か」


 値踏みする瞳が睨んでいたので、出かけた言葉を喉で止める。


「そうか……それだけの腕の持ち主なら、殺すのはちょっと惜しいね。あの剣を加工出来るだけの技術を持った職人は、この大陸に何十人もいない。その上、この私と打ち合えるだけの実力者。これが世間に知れれば、間違いなく国ですらきっと獲得に動くだろうね」


 サラッととんでもない事を口走っていたが、聞かなかった事にする。


「ま、それだけの技術を持ちながらこんなところで馬鹿をしているぐらいだから、国なんかには縛られない質なんだろうけど。国に仕えれば富も権力も女も手に入れ放題だってのにそれを欲しがらないのは、間違いなくその技術を戦争に使われる事を嫌っての事かい?」


 言われてみれば、確かに俺の技術は国にとっては喉から手が出る程のものだった。

 今はまともな素材が無から石や木、絹などでしか物は作っていない。

 設備もまるで整っていない。

 だが、それだけでもフレイムリザードのブレスに耐えられるだけの性能を持った防具を作っているし、石剣や木剣一つとっても耐久性はあまりないがかなりの斬れ味を誇る。

 これが鉄製品になり、設備も一式揃えば、どれだけの名剣が生まれるか分かった物じゃない。


「あまり世に出したくないのは確かだな」


 一度魔王に世界を滅ぼされ文明レベルが大きく退化しているので、街には今でもまだ鉄製品ですらまともに出回っていない惨状。

 胴や青銅が多く、純度もあまり高くない。

 それでも街の外にいる動物型のモンスターを倒すぐらいならば、才能次第で問題無い。

 しかし、そんな武器では俺が作る強絹糸製の防具は傷付けられない。

 それは強絹糸の網篭手で剣を簡単に防いだ事からしても明らかだった。


 レベッカが持っている武器は流石にその類ではなく、どうも一線を画す業物か何かの様だが、そういう物を持っているのは恐らく稀だろう。

 少なくともこの街の露店では見かけた覚えは無い。

 これまで出会った者達が手にしていた武器も、一目ですぐに分かるほどほぼ全てがなまくらに等しい粗悪品ばかりだった。


「私も国に仕えるなんてまっぴらだからね。その気持ちは分かるよ」


 レベッカの目は、俺を見ている様でその先にある何かに向けられていた。


「んで、それよりももっと気になってる事があるんだけど、聞いても良いかい?」


「……伺いをたてるなら、せめて首を解放してからにして欲しい」


「あんたにはまるで屈服する気が感じられないからね。用心の為だ」


 レベッカが威嚇するように獰猛に笑う。

 捕食者の目をしていた。


「あんた、いつ着替えたんだい? あの部屋に落ちる前はそんな格好じゃなかっただろ? それに、そこに転がってる女もあんな服は着てなかった筈だ」


 レベッカは顔に笑みを浮かべていたが、その瞳はまるで笑っていなかった。

 

「あんたが作る装備は確かにまともじゃないけど、この異常に比べたらまだ納得出来るレベルでしかない。サイ、あんたはこれだけの物をいったいどこにしまっていたんだい?」


「そ、それは……」


 思わず目線を反らしてしまう。

 せめて一度ここから逃走し時間をおいた後でレベッカに遭遇していればまだ何とでも誤魔化す事は出来ただろう。

 が、あの巨大な部屋へと飛び降りる直前まで一緒にいて、その部屋から出た直後に現れたレベッカの目には、明らかな異様としてしか映らない。


 まだ服はいい。

 ジャケットを脱いだと言いはれば片が付く。

 しかし、グローブやブーツの色合いがガラッと変わったのは流石に説明しにくい。

 だが一番の問題はそこには無かった。

 どうやっても言い逃れが難しい場所が1箇所だけあった。


 それは……顔を隠している装備品。

 怪人風仮面だったのが、いきなりフルフェイスの兜に変わればそりゃ誰でも気が付くだろう。

 そんなもの、いったいどこに隠していたんだと。


 逃走を前提とした装備にいち早く着替えてしまったのがいけなかった。

 せめて布の仮面にしておけば突っ込まれなかったというのに。


「実は俺、召喚魔法も使え……」


「あん?」


 レベッカの瞳がギロッと睨む。

 忘れていた。

 今のレベッカには嘘が通じないという事を。


 諸手を挙げて降参する。

 もはやこれまで。


「……俺の信仰神に出会ったならレベッカも知ってるだろう。歪の神アズリ……その神から授かった力を使って取り出した」


「歪の神? やっぱり聞いた事が無い神様だね。なるほど、あんたが色々持っている才能やらスキルやらが特別なら、信仰している神もやはり特別なのか。試しに今何か出せるかい」


「いや、今は……」


「出せるみたいだね」


 くそ……嘘が吐けないというのは本当に不便だな。

 レベッカはいったい俺の何を見て事の真偽を判断しているのか。

 森に帰ったらアクアに相談してみよう。


「はぁ……来い、凶剣(まがつるぎ)!」


 仕方ないので、ここはご機嫌取りという事でレベッカから拝借した大剣の片割れを〈アイテム空間〉から取り出した。

 わざわざ口に出したのは、何となく。


「驚いた。まさか本当に今すぐに取り出せるとは思わなかったよ。何も無い所から急に剣が出てくるなんて、いったいどういうスキルなんだか……って、それ! あたしの剣じゃないかい! 折って加工したんじゃ無かったのかい!?」


「あの剣の特性を知ってるレベッカなら、だいたい想像がつくんじゃないか? やむを得ず、一本は折らざるをえなかった」


「特性? この剣にかい? 確かにこいつは遺跡から発掘したレアものだけど、特にこれといって特別な能力はついてなかったと思うけどね」


「……男性限定で発動する呪いか。それとも剣が主を選ぶ類か」


 事の経緯を説明してもレベッカは納得してくれなかった。

 何しろ現実に目の当たりした訳では無いので。


「ちなみに、俺が凶剣と呼んでるこっちの剣は、素手で持つと数倍の重さになる」


「へ~、フーランルージュにそんな呪いがかかってたなんて初めて知ったよ」


 折った方の剣はクレセトンベルジュだったそうな。

 どっちも遺跡の中で名前と共に飾られていたのだとか。

 その遺跡、武器博物館か何かだったのだろうか。

 尚、レベッカが今所持している普通サイズの双剣もそれぞれに名前があるらしい。

 今は教えてくれなかったが。


「もちろん、こいつは私に返してくれるんだろうね?」


「いや、しかしそれが無いと俺の攻撃力が格段に落ちて……」


「これは元々私の持ち物だ! ……とはいえ、条件によっちゃあんたに譲っても構わないよ」


「……何か一品、レベッカのために作れと?」


「一品と言わず色々だよ。まさかあんたが犯した罪の数々、忘れちゃいないだろうね?」


 首を絞められながらフーランルージュの切っ先を目の前に持ってこられたらウンと頷くしか無い。

 この後もし本当に責任を取ってレベッカを娶ったら、きっと毎日尻にしかれまくるんだろうなぁ、という嫌な未来が克明に脳裏に浮かび上がる。

 うん、その一線だけは絶対に越えないように頑張って抵抗しようと心に決めた。


「よし、それじゃそろそろ責任を取ってもらおうかね」


 レベッカがニヤッと笑う。

 俺はビクッと恐れる。


「なに、私()も手伝ってやるから、そんなに心配しなくてもいい」


「……達?」


 まさか、いきなり複数人を一度に相手にしろとでも言うのか。


「あれ、何とかしないとねぇ」


 そう言ってレベッカが空を見る。

 俺もそれに続いて視線を向けた瞬間、突然に空から炎の海が迫ってきた。


「はんっ」


 レベッカが俺を突き飛ばし、炎の海へと向けてフーランルージュを振るう。

 元の主に戻った大剣は、まるでそれを喜んでいるかのように押し寄せる炎の海を真っ二つに斬り裂いた。


「その程度の炎じゃ私を燃やすにはちょっと火力が足りないねぇ」


 フーランルージュを背中に収め、斬った炎をまるで吸い上げるように双剣を振るうレベッカが炎髪と化す。

 その光景に若干見惚れていると、右の刃が急に軌道を変えて俺へと突き向かってきた。


「言った筈だよ。サイを殺すのは私だってね」


 首の横を通り過ぎた剣が、俺の背後で何かを弾く音が耳に響いてくる。

 ぎょっとして身を反らし背後を見ると、そこには闇装束を着た何者かが幅広の片刃曲剣を振り降ろした体勢で固まっていた。

 曲剣は、レベッカの双剣の一振りによって軌道を止められていた。


「闇斬りの……セツナ」


 俺は、その攻撃の気配にまるで気付かなかった。

 つまりそれは、確実に殺されていたということ。


「このタイミングでも仕損じるとは。一筋縄ではいかないか」


 セツナが剣を引き、帯剣する。

 これ以上の攻撃の意志は無い……そう思わせておいて、セツナが一足飛びに間合いを詰め俺に斬り掛かってくる。

 その斬撃を、俺は腕を前に差し出して掌で受けた。


「やはり斬れない、か」


 来るのが分かっているなら幾らでも対処のしようはある。

 しかもセツナが持っている武器は、レベッカが持っている様な前時代のレア物ではなく、なまくらの部類に入る市販品。

 一見してそれが分かったので、腕に装備している網篭手で対処可能だと判断する。


 その読みは当たり、細身の曲剣は網篭手の上を鋭く滑っただけで俺の身体を傷付ける事は出来なかった。


「ずっと近くで私達の話を聞いてたんだろ。なら、サイを殺すのは私達のような戦いを糧に生きている者達にとっては大きな損失になるって理解した筈だ。それでもまだサイの首を狙うつもりかい? だったら私が黙っちゃいないよ」


 炎髪の戦士が双剣を手に一歩踏み出す。

 黒装束姿の暗殺者は瞬時に後ろへ跳び間合いを取る。

 細身の曲剣は鞘に戻され、代わりに刀身が短い剣……ナイフにしては少し長めの曲剣を握る。

 そこには警戒の色はあったが、戦う意思は感じられなかった。


「裏切るのか、レベッカ」


「あんた達と共闘した覚えは無いよ。サイが必ず現れるって聞いたから此処にいただけだ」


「そいつはヴァレリー男爵の怒りを買った。遅かれ早かれ狩られる運命にある。そいつにつくなら御前も一緒に狩られるぞ?」


「狩る? この私を? ヴァレリー男爵如きが? 面白い冗談だね。あんた、本気でそう思っているのかい?」


「金の力、数の力には敵わない。それに、敵がヴァレリー男爵だけですむと思うなよ」


「それはつまり、あんたも敵に回るって事で良いんだよね。なら話は早い。あんたは確か金貨25枚の賞金首だったね。狙った獲物以外は手を出さないって心情だけど、そっちがその気なら狩らせてもらうよ」


 レベッカが無造作に一歩踏み出す。

 その一歩が爆発的な加速をもたらし、レベッカがセツナを斬る……という幻覚を俺は見た。


「それは困るな」


 同じ幻覚を見たのか、セツナが後ろに跳躍して距離を取る。


「選びな。私に今ここで斬られるか、それとも私()に協力するか。協力するならまた(ヽヽ)見逃してあげても良いよ」


 その一方的な要求に、セツナが暫しの間逡巡する。

 少しして結論が出たのか、セツナは手に持っていた短剣を鞘に収めて構えを解いた。


「レベッカから逃げ切れないのは前回、前々回で嫌と言うほど思い知らされた。従うより他ないのか……」


 そう言って、溜め息一つ。

 何となく親近感が沸いた瞬間だった。


「それで? 俺は何をすれば良いんだ? やはり、あれの後始末の手伝いか?」


「ま、そういう事だ。全くお金にならない仕事だけど、あのまま放置しておくのは流石にやばそうだからね。この規模の街がたかだ一匹のモンスターに燃え滅ぼされるのを黙って見ていられるほど、私は人間が腐っちゃいないよ」


 何となく傍観者に徹していた俺に4つの瞳が集まる。

 ちょっと待て、なんでそこで俺を見る。


「やはりあの化け物を空に解き放ったのは貴様か」


「しかも、この私と打ち合えるだけの実力と、あのブレスにも耐えられる強靭な装備で身を固めているにも関わらず、さっさと逃げようとしたときてる、あんたは許せるかい?」


「極悪の極みだな。俺も色々と善人悪人を斬ってきたが、これだけの悪事を働いてまるで心にも止めていない奴を見るのは初めてだ。そこで寝ている女も、どさくさに紛れて浚ってきたんだろう?」


「だろうね」


 レベッカが屋敷を燃やし始めたから連れてきたんだけどな……。

 なし崩し的に悪事のレベルが上がっている気がする。

 ただ、悪い事をすれば《徳》のポイントが下がるのだが、別に下がってはいない。

 つまり、完全に濡れ衣。


「サイ、あれはあんたのしでかした事だ。だから、きっちりあんたの手で始末をつけな」


 キロスの街上空を我が物顔で飛んでいるフレイムリザード・ワイバーンは、時々高度を下げては炎のブレスを吐いている様だった。

 少し前に俺とレベッカに襲い掛かってきた炎の海も、あの空飛ぶ蜥蜴野郎が吐き出した範囲攻撃。

 あの時はレベッカがいて事無きを得たが、他の場所ではまさに大惨事真っ最中。

 見える範囲でも黒い煙が至るところで立ち上がり、空は赤く染まりつつあった。


「正直、まるで気が進まないんだが……それに、空を飛んでるあれをどうやって始末しろと?」


「どうにかしてでも絶対に始末しな。このまま放置して街一つ滅ぼされでもしたら、軍が動くか大陸屈指の英傑がわざわざ会いに来るようになるよ。そんなの嫌だろう?」


 既に金貨100枚の賞金がかけられている時点でもはや手遅れの様な気がしないでもないが。


「あれを倒せば、俺は街を救った英雄になれる……のか?」


 普通ならばそういうフラグの筈なのに。

 何でこうなった。

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