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運動部の視察を終え、俺たちは文科系クラブの部室が集まる三棟にやってきた。
三棟は元々特別教室が集められた校舎で、今は使用されなくなったそれらを部室として活用しているために部室棟とも呼ばれる。ここの最上階にある旧音楽室が今の吹奏楽部の部室である。同様に旧美術教室は現在の美術部部室として使用されている。最初に俺たちが訪れたのは美術部だった。
美術部、という言葉に少し引っ掛かりを覚える。
双色紗季は形式上美術部の部員だ。だが俺は紗季が入学からこっち、いや、二年になって屋上の鍵が付け替えられてからはここに来ているところを見たことがない。さすがに入学したての頃は顔を見せていたみたいだが。
そんな美術部の部員が、紗季に対して反感を覚えているのではないかという不安があったのだ。
九ノ瀬がスライドのドアをノック。擦りガラスで中は窺えない。ややあって、女子生徒の声が入室を許可する。九ノ瀬は丁寧な動作で扉を開けて室内に入った。どこへ行っても同じような反応だが、女子がいる部活ではこれが顕著だ。九ノ瀬の登場に教室内が大きく沸いた。
「え、え、生徒会長……?」
さっきノックの後に続いた声が若干裏返る。他の生徒はペンや筆を片手に近くの生徒と盛り上がり始めていた。そんな様子を悠然と九ノ瀬が見渡す。お忍びで来日したスターがファンに見つかってしまったみたいな光景だ。もっとも、九ノ瀬は忍ぶ気持ちなど微塵もない。なんなら手を振っているぐらいだ。
「生徒会執行部、会長の九ノ瀬渚です。今日は皆さんの活動風景の視察に来ました」
よそよそしく何やら言っている。張り付いた笑顔はファッション誌の表紙になりそうだ。
当然、それを聞いた女子生徒――多分部長だろう、この場を仕切る雰囲気がある――は動揺していた表情を強張らせた。視察、という言葉にどこか固さを感じたのだろう。この雰囲気で冷静に観察される立場である自分たちを理解できるのは、なるほど確かに部長の器だ。
女性との緊張を九ノ瀬は見逃さない。すかさず二の句を紡ぐ。
「大丈夫ですよ。視察と言ってもそんな厳格なものではありません。いつも通り活動していてください」
「は、はいっ!」
視察に対する緊張は解れたみたいだが、部長さんは別のことで緊張していらっしゃる。赤面が丸解りだ。最後のウインクは余計だろ、と九ノ瀬に視線で訴える。無言の批難を背中で感じたのか、九ノ瀬は俺に目配せして親指を立てた。何のつもりだ。さてはこいつ、楽しんでやがるな。
九ノ瀬は室内をぐるりと見渡した。美術室は一般教室とは違い、木製の長机が六個ほど置かれている。後は適当に椅子が散らばっていて、生徒がそれに自由に腰かけている感じだ。ざっ、と見渡した後九ノ瀬は、
「美術部の部員数は確か二十二名でしたね。ここにいるのは君を含めて十九名ですが、残りの三名は欠席ですか?」
問われて、赤面の部長さんは唖然とした表情を作る。今の一瞬で生徒数を数えたことや、部員数を記憶していたことに驚いているのか。九ノ瀬は確かに手に資料のようなものは持っていない。そして事実、こいつは全部活動の部長と副部長、そして現在の予算配当率や部員数を記憶している。
生徒会長らしからぬ生徒会長は、その実生徒会長として十分な能力を持っているのだ。
「え、ええと」
焦りながら部長さんはきょろきょろし始める。その挙動がちらちらと部員たちを窺っていることから、おそらく出席人数が九ノ瀬の言ったもので合っているか確かめようとしているのだろう。そりゃあ、いちいち出欠を確認したりもしないだろうしな。
部長さんも直ぐに数えることは諦め、その負い目からか九ノ瀬の目を見なくなった。つま先辺りに話しかける。ぽつりぽつりと呟く。
「ふ、二人は欠席の連絡を貰っています。風邪と、それから――」
「あ、いいですよ。確かめたかっただけですので、それ以上は結構です」
果たして、安売りスマイルは部長さんへ届いた。声音の優しさが安心を取り戻させたのか、再び部長さんが九ノ瀬を見上げる。生徒会長はそれを暖かな笑顔で迎えた。ええい、忌々しい。
「皆さん随分と意欲的みたいですね」
「は、はい」
「美術部は生徒会としても期待していますよ。去年も幾つか賞を貰っていましたし」
「あ、ありがとうございますっ」
称賛に部長さんの頬に朱が差す。さっきから完全に九ノ瀬のペースだ。部長さんは手玉に取られているようにしか見えない。今にも飛び跳ねて喜びだしても可笑しくない様子である。しかし、喜色に影が差したのはその直後だった。
「でも……」
と、続けた後、部長さんは教室の隅、キャンパスの構えられた窓際の角を横目で見ながら、
「それも全部、双色さんのおかげなんだけどね」
そこにいない誰かに、静かに感謝するように言った。
不思議と教室が静まり返った、気がした。
九ノ瀬の登場からざわめきが絶えなかった教室が一瞬静寂に包まれる。部長さんも言い終えて、はっ、としたみたいに口を閉じた。九ノ瀬は変わらない笑顔でそれを眺める。だが、俺には解っていた。九ノ瀬のこの笑顔は作り物だ。中身の伴わない、外交用のペルソナ。
「あ、ごめんなさい」
「いや。ああそうか。最後の一人は紗季なんだな。なるほど。だったら風邪を除けば全員出席か……」
言って、九ノ瀬が俺を振り返る。ここに来てようやく九ノ瀬は張り付けていた笑顔を緩めた。標準装備の微笑になって俺に、後は任せた、なんて押し付けをしてくる。
「後少しだけ見ててくれればいいんだよ」
「ってもよお」
「俺は一階から順番に上がって行くつもりだ。それを追いかけてきてくれ」
じゃあな、と九ノ瀬は美術室を出て行った。




