6/夕凪に消える色
/1
転がってきたソフトボールを投げ返す。九ノ瀬渚はそれだけでグランドに散らばる女子から黄色い声を集めた。素人が見れば気取らない爽やかな笑顔で手を振りかえす。だが俺は知っている。こいつの腹の中の薄汚さと、女癖の悪さを。
何故俺が九ノ瀬とグランドを前に突っ立っているかといえば、それは数十分前に遡る。一応の報告を行うために生徒会室を訪れた俺は、しかしそこで主の不在を知らされた。何をしているのかと思えば、部活の視察らしい。
気候も冷え込む中でソフトボール部の練習を眺めながらとは気が引けるが、それでも俺は話した。何をかは言うまでもない。例の一件は、それなりの大事に発展したのだ。
噂好きの生徒が山から大挙して走ってくる不良を目撃したのが始まりだった。どうやら連中があの神社にたむろしていることは周知の事実だったらしく、血相を変えた連中を見たその女生徒は近くで抗争でもあったと勘違いしたらしい。
しかしこんな小さな街の中で、そんな巨大なヤンキーのチームが抗争を行うほどの規模で二つも存在しているとは普通思わないだろう。あの夜の真実は、当事者たちが一様に口を閉ざしているために知られていない。だから都市伝説にもなり兼ねない謎の噂が、まさに跳梁跋扈しているのだ。
「気に入らないことがある」
かぁーん、というソフトボール独特の打球音がグランドに響く。
気に入らない、よりも腑に落ちない、の方が正しい。
「腑に落ちないことがある」
「わざわざ言い直すのか……。で、なんだよ」
俺は言った。
「暴れてたのは全部紗季に振られた奴らなんだよな」
「ああ。それがどうした?」
「あいつらさ、全員が全員、髪を下ろした遊季を紗季だと勘違いしたんだ」
それも、ずいぶん間近で見た者もいた。確かに髪を下ろした遊季と紗季を見分けるのは難しい。だが連中は曲がりなりにも紗季を好きだと言った連中だ。誰か一人くらい疑問を持っても可笑しくはない。紗季に瓜二つの弟がいることだって、知られていても変ではないだろう。
腑に落ちないことはそれだけではなかった。
これは俺が独自で調べてみたことだが――妙な噂の中心にいる不良たちは、今旬のトピックなので情報が集めやすい――連中はこの小さな街では一大勢力のならず者の集団だったらしい。そんなのが纏めて紗季に告白し、振られた経歴を持っているというのも俄かに信じ難い。さらに、何よりも、連中がファンクラブなどと称されることが何よりも可笑しい。
現実に俺と遊季を街中で追い回した連中がいかにも、と言った風体だったにも関わらず連中は純正の不良だ。どこにでもいるチンピラ連中である。だが間違ってもアイドルの追っかけなどという路線に走ったりはしないような連中ともいえる。
だから予想できることがあるとするなら、あの中で数人、あるいは昼休みの金ピアスの不良だけが紗季に振られた過去があるんじゃないだろうか。あれはファンクラブなんかじゃなく、たまたま該当する人物が含まれた不良のチームだったという方が、実は自然に思える。
だが、それさえも気に入らない。
ここから先を九ノ瀬に話すか、俺は少し迷った。不良集団(話の中では便宜上紗季のファンクラブとした)を壊滅させたことは既に九ノ瀬に話している。九ノ瀬の中ではもうこの問題は解決した。この後の疑問は俺だけのものだ。それを、九ノ瀬と共有すべきか否か。
「おい律、どうしたんだよ。急に黙り込んで」
「あ、ああ、悪い」
つい考えすぎて話すことを忘れていた。九ノ瀬に話しかけられて俺は忘れていた肌寒さを思い出す。
「連中が紗季と遊季を見分けられてなかったって? まあ、無理もないんじゃないか」
「まあな。だがそんな奴らがファンクラブを自称するのは間違っていないか?」
「律……おまえ、まさか」
九ノ瀬の目が細まる。俺の考えが伝わったのだろうか、怪訝な表情で口元に手を当て、
「その程度で紗季のファンを名乗るなと……なるほど、愛が深い」
「勘違いしてるようだからもう喋るな」
けらけら笑っているところを見ると本気ではないと思うが。
さて。
俺は中断した思考を再度回転させる。九ノ瀬に命じられた双色姉弟ファンクラブ撲滅、それと並行して再発した蒼の男性恐怖症。一見何の関係もないこの二つは、妙な形で絡み合っている。例の神社での一件があったから、蒼の男性恐怖症は治った。ただそれだけと言えばそれだけだが、これはそんな単純な話ではない。
……気がする。
そもそも俺は解散させるべき集団の対象を誤った。結果として、蒼の過去のトラウマと似たような状況が生まれたのだ。そして昔と同じように、蒼はそれを克服した。確か、あの時も助けに入った俺が竹刀で殴られ――そこからは記憶が曖昧であまり覚えていない。
もしも俺が目的通り本当のファンクラブを解散に追い込んでも、蒼の症状は回復しなかっただろう。
はじめから全部仕組まれていた――そんな考えが頭を過る。けど誰にだ?
有り得るとしたら、この絵を描けるのは九ノ瀬だけだ。全てはこの男の指示から始まった。
だが俺がファンクラブと不良集団を間違えた偶然まで操れるものか。今回の件で九ノ瀬は生徒会室を出る行動をとっていない。こいつの手の上で踊らされていたなんて、考えたくもないし有り得ない。
さすがに考え過ぎだろう。一連の出来事が誰かの意図であるなんて。
「よし、律。ここはもういい、次に行くぞ」
「はいよ。次はどこへ?」
「女子、水泳部だ」
「……」
何故、区切ったんだ?
「行くぞ律! スクール水着、いや、競泳水着が俺を待っている!」
俺はさっきまでの九ノ瀬神説を一気に破棄した。




