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Ipomoea  作者: Tanahituzi


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第9章 次に来る日

 玄関の戸が閉まっても、鎖の音はしなかった。少年は紙包みを抱えたまま、軍人の手と、戸の内側を見た。鍵穴の上には横棒を渡す受け金があったが、棒は壁に立て掛けてある。学者が灯を点けると、廊下の先に階段と、半分開いた戸が見えた。軍人が腰の短剣を壁の鉤へ掛けたので、少年はそこから目を離さず、片足だけ敷物へ載せた。


「靴の泥を落とせ」


 軍人に言われ、足を戻した。敷居の外で靴底を擦ると、川の土が乾いて小さく割れた。二人とも自分の靴は脱いでいる。少年は革の潰れた踵を直し、紐のない方から抜いたが、靴を壁際へ並べる前に、外へ向いたままの爪先を揃えた。


「ほかにもいるの」と聞くと、学者が灯を持ち上げた。

「住んでいるのは、僕とアルバだけです」

「あんたは」

「ニルです。さっきは、仕事のことしか言っていませんでしたね」


 長かった研究所の名をもう一度聞かされる前に、少年は階段の下へ目を移した。


 台所からは冷えた灰の匂いがした。卓上には器も食べ物もなく、戸棚は左右で容器の形が違い、片側にだけ小さな紙が貼られていた。アルバはそちらへ入って水を出し、ニルは階段へ向かった。どちらも少年を引っ張らず、後ろへ回って戸を塞ぐ者もいない。寝床をくれると言って、こんなに出やすいところへ入れるものだろうか。少年は玄関を見返してから、灯の方へついていった。


 二階で示された部屋には、低い寝台と椅子があった。窓の前に空の鉢が重なり、寝台の足元には蓋を閉めた荷箱がある。ニルは灯を棚へ置き、一番上の鉢を下ろした。中に残った土が床へ落ちると、袖で払おうとして、ほかの鉢を先に運び出した方がよいかと言い直す。


「少し待ってください。これを退ければ使えます」


 少年は戸のそばに残り、箱と寝台の間、窓までの幅を見た。窓の留め金は部屋の内側にあり、硝子の向こうには、塀で囲まれた小さな庭が見える。


 アルバが後から来て、箱を持ち上げた。蓋の隙間で金具が鳴ったので、少年は一歩退いたが、箱はそのまま別の部屋へ運ばれた。残った鉢をニルが両腕へ抱える。


「客室なんですけど、誰も来なかったので」

「誰か来たら、僕が出るの」

「今のところ、来る予定はありません」


 ニルは戸へ鉢をぶつけないよう身体を横にした。出なくてよいとは言わなかった。少年は寝台の埃除けの布を見ながら、来る予定ができた時には、先に気づかなければと思った。


 部屋が空くと、アルバは寝台の布を外し、畳んで椅子の背へ掛けた。下には薄い敷布と枕があり、押したところだけ柔らかく沈む。少年は近づく前に、戸の外側を見た。錠を通す金具はなく、内側にも鍵はついていない。


「戸は閉めていいの」

「構わん」

「閉めた後、何か掛ける?」

「掛けん」


 アルバは掛布を寝台へ置いた。少年がまだ戸の脇にいるのを見て、窓の方へ顎を向ける。


「開けるなら、留め金を上げろ。下は庭だが、ここから飛ぶな」


 少年は窓をもう一度見た。塀へ下りるなら、先に軒の幅を確かめる必要があった。


 手を洗う場所と、用を足す場所を教えられた。廊下の奥の二つの戸は、それぞれ二人の部屋だという。ニルは自分の戸を開け、倉庫から持ってきた鞄を中へ置いた。窓辺にも棚にも植物があり、机には紙が重なっている。振り返られ、少年は背の裂け目を壁へ向けたが、聞かれたのは、水を飲む器を持っているかだった。「ない」と答えると、台所のものを使うよう言われた。


 階下へ戻る頃には、竈に火が入っていた。アルバが鍋へ切った玉葱を入れている。棚の中ほどにパンがあり、横には蓋のある器、床には豆の袋が置かれていた。鍋から離れた位置に包みを置くと、アルバはそちらを取らず、水を足した。「座れ」卓の椅子を指されたが、少年は戸の見える方へ回った。椅子を引く音でニルが顔を出し、卓を見てから、「湯は、後でいいです」と上へ戻っていった。


 椀は一つだけ出された。煮えた豆と玉葱が入り、湯気に混じって、少し肉の匂いがする。少年は匙を手にしたまま、アルバが鍋へ蓋をするのを見ていた。


「これも、後で払わなくていいの」

「要らん」


 アルバは台を拭き、パンを切り分けた。倉庫でも同じ答えだった。二度言われたからといって、明日もそうだとは限らない。少年は椀の縁へ口を寄せたが、熱さで舌を引き、息を吹きかけてから一口飲んだ。豆は歯を立てると潰れ、乾いたパンの時のようには喉へ引っ掛からなかった。


 食べているあいだ、アルバは座らなかった。使った板を洗い、余った物を棚へ戻している。少年が空の椀を持って立つと、流しの前が空いた。自分で洗っても叱られず、布を探すと、掛けてある方を指された。ニルはまだ下りてこなかった。鍋には残りがある。少年は蓋の下から漏れる湯気を見て、椀を伏せた。次にここへ入った時、どこを見れば食べ物があるかは、もう分かっていた。


 


 寝台へ横になると、肩の下が沈んだ。脚を動かすだけで敷布が擦れ、戸の外まで聞こえそうだった。少年は起き上がり、紙包みを椅子へ置いた。廊下では二人の足音が別々の戸へ入り、しばらくして、階下で水音がした。寝台からは、戸が開いても、近づいてくる足が先には見えなかった。


 棚の灯を吹き消し、掛布を床へ下ろした。壁へ背をつければ、前に寝台があり、斜めに戸が見える。靴は階下に置いたままだったので、一度取りに下りた。アルバは台所にいたが、何も聞かなかった。戻って靴を手の届くところへ置き、掛布を膝まで引き上げる。床は硬かったが、身体を寄せても動かなかった。少年は戸の下の細い明かりを見ていた。誰かが来るなら、そこに影ができる。何度か瞬きをしても影は増えず、明かりが消えた時刻は覚えていなかった。


     *


 翌朝、窓の留め金が鳴る音で目を開けた。少年の部屋ではなく、廊下の向こうだった。背中の下で掛布がねじれ、壁へ寄せた腕だけが冷えている。靴は昨夜置いた位置にあった。少年は音を立てずに立ち上がり、窓から庭を見た。ニルが鉢のそばへしゃがんでいる。水差しを持っているのに、すぐには注がず、土へ細い棒を入れて、抜いた先を見ていた。


 廊下へ出ると、アルバが自分の部屋の戸を開けた。寝台ではなく床に残った掛布へ目を向け、少年の顔を見た。


「そこで寝たのか」

「悪い?」

「下に敷け。冷える」


 そう言って、椅子の背にある厚い布を取った。埃除けに使っていた方だった。広げると端の埃が落ちたので、窓から外へ払う。少年が戸口へ退く間に、布は壁際へ畳んで置かれた。寝台へ戻れとは言われなかったが、今夜も同じところで寝るかは、二人が部屋へ来なくなってから決めればよかった。


 台所では、昨夜の鍋が温め直されていた。ニルが自分の器を洗い、布で水を拭いている。少年が戸のそばの箒を取ると、ニルは鉢を置いた辺りだけ、先に掃いてもらってよいかと尋ねた。掃き集めた土には、細い根が混じっていた。


「ここに捨てるの」

「外の桶へ。白い欠片は、別の方です」

「土じゃないの」

「鉢が欠けたものです。土へ戻すと、次に使う時に混ざるので」


 ニルは受け取った塵取りから欠片を拾い、裏口の脇にある空の鉢へ入れた。少年は同じところをもう一度掃いた。食べた分の働きが足りないと言われるより、先に済ませた方がよかった。


 アルバは別の椀で食事を終えると、軍服の革帯を締めた。ニルも鞄へ帳面を入れ、窓辺に置いた紙を二枚抜いている。少年はパンを食べながら、二人を交互に見た。ここへ来る途中にも、何も言わずに歩き始めていた。今度は、どちらへついていけばよいのか。「行くぞ」とは言われないので、匙を椀へ入れ、靴の踵を起こした。


「どこへ行く」とアルバが聞いた。

「あんたらは」

「基地だ」

「僕は研究所へ」


 ニルも戸口で答えた。少年は椀へ目を戻した。二人が同じところへ行くのではないことは、倉庫で聞いた仕事から分かる。では、昨夜使った部屋は、起きたら返すものだったのか。


「僕は?」

「ここにいて構いませんよ」


 ニルは階段に置いていた鞄を取った。アルバの手が革帯で止まった。


「一人で置くのか」

「……あ。あなたも出るんですか」

「基地だと言った」

「今からとは思わなかったので」


 少年は椀を持ったまま、二人の顔を見た。昨日、荷箱を一人で運んだ男と、階段の下で長い話をしていた学者が、ここでは互いに相手の出る時刻も知らない。アルバはニルの鞄を見て、「何時に戻る」と聞いた。ニルはすぐには答えず、入れたばかりの帳面をまた取り出した。


「午後は測定があるので。その前に帰るなら、昼には」

「午前の予定は」

「記録を渡して、試料を置けば。続きをするのは午後でもできます」

「一人でも平気だけど」と少年が言うと、ニルは少し顔を緩めた。アルバは竈のそばと、裏口を見た。

「飯と水は」

「棚にあります。それと、火は自分で使わない方が」


 ニルは卓へ戻り、紙を一枚出した。


「場所を書いておきますね。戸棚の右と、飲む水は――」


 ペンが走り、下へ小さい字が足された。紙を回し、少年の椀の横へ置く。少年は黒い線の集まりを見た。右も水も、その中のどれなのか分からなかった。


「読めない」と言うと、ニルが顔を上げた。

「あまり細かい字にはしていませんが」

「小さいからじゃない。読めない」

「書く方は」

「そっちも無理」


 ニルは紙を見て、少年へ目を戻した。アルバが短剣を鉤から外しかけ、また掛け直す音がした。箒は使えた。食べた器も洗った。読めないことまで、今ここで直さなければならないのなら、別の仕事を聞いた方がよかった。


 ニルは紙を裏返し、戸棚と水差しを順に示した。


「では、こちらです。パンはここに。水はこの器から飲んでください。もし出かけることがあったら、鍵が」

「俺がいる」


 アルバが言った。ニルの手が止まる。


「お前は昼までに戻れ。それから出る」

「そちらの用は、いいんですか」

「届ける物は渡す。昼から行く」


 少年は二人の間から台所を見た。今、全部の場所を覚えなくてもよくなった。だが、ニルが紙を鞄へ戻さず、卓の端へ置いたので、それがなくなるまで、近くへ水をこぼさないようにした。


 


「こういう時、何が要るか、姉様へ聞いてみます」


 ニルは別の紙を出した。アルバが肩越しに見ると、日付と宛名だけを書いて顔を上げる。


「姉様なら、家を借りる時にも手続きをしてくれたので」

「聞け。倉庫で見つけたことと、今ここにいることを書け」

「身元が分からない子供を拾いました。何か手続きが必要ですか、と」


 書きながら言われ、少年はパンを握る手を止めた。


「僕、落ちてたんじゃないけど」

「見つけた、の方が正確ですか」

「食い物を取りに行ったんだ」


 ニルは頷き、次の行へそれも書き足した。先の行を消すことはしなかった。


 紙を封じる間に、アルバも短い報告を作った。ニルは両方を、研究所へ向かう途中で預けると言った。玄関の戸が閉まると、家にはアルバの足音だけが残る。少年は椀を洗い、裏口へ行った。庭へ下りる段は低い。塀の下には水の流れる隙間があり、門の留め具は、背を伸ばせば届く高さだった。台所へ戻る時、アルバは卓で紙を折っていた。どこを見たかは尋ねなかった。


     *


 セリュシアという人が来ることは、前の晩に聞いた。返事を受け取ったニルが、明日の午後、二人とも家にいるようにというところを読み上げた。知らない大人が増えるなら、部屋を片づけておく。少年は床の布を畳み、椅子を戻し、どちらの持ち物にも触れた跡を残さないようにした。


 倉庫を出た日から三日後、家の前で馬車が止まった。窓から覗くと、女が降り、その後ろから、少年より背の高い若者が出てきた。女は細い書類鞄を提げ、もう一人は布包みを抱えている。ニルが玄関へ出て「姉様」と呼んだので、少年は階段の途中で止まった。顔が似ているか見比べるより先に、女の目が自分へ向く。「この子?」と尋ねられ、ニルが頷いた。


「拾った?」

「はい。倉庫で」

「あなた、手紙の書き出しを読んで、私が何を想像したと思うの」


 セリュシアは鞄を持っていない方の手を額へ当てた。少年は段の端を指で擦った。やはり、拾うという言い方はこの人にも変らしい。ニルは廊下へ道を空け、「帰る場所がないそうなので。空いていた部屋を使ってもらっています」と答えた。


「その前に、どこかへ届けたの」

「手紙は出しました」

「私にね。発見の届けは」

「まだです」


 台所からアルバが出てきた。セリュシアがそちらを向くと、「俺に言うな。俺も止められなかった」と言った。


「止めるのは、連れて帰る方じゃなくて、何もせずそのままにする方でしょう」


 セリュシアの返事に、アルバは廊下へ置いていた椅子を居間へ運んだ。ニルが部屋は空けたと説明しても、セリュシアは頷くだけで、鞄を開くのをやめなかった。少年は上へ戻る道を残し、階段の下で話を聞いた。


 布包みを持った若者は、女の隣へは座らなかった。「ヴァレット、そちらを置いて。茶器はいつもの場所よ」と言われ、台所へ回る。袖口の揃った仕事着を着て、ニルよりもアルバよりも若い。包みには布巾と、小さく切った菓子が入っていたが、少年の手へは渡さず、皿に載せて卓へ置いた。声は自分より少し低く、長い袖を折り返す手つきが速かった。


「倉庫の報告は軍にある」アルバが言った。

「帳簿と業者は預かっている。この子がここへ来たことも報告した」

「それは捜査の記録ね。この子の住む場所を誰が保証するかは別です」


 セリュシアは紙を三つに分けた。


「身元不明児の発見届。一時保護と居住の保証。親族や、行方不明の届けとの照合。まず、この三つを出します」


 ニルは最初の紙を覗き、「寝る部屋と食事があれば、それでよいのかと思っていました」と言った。セリュシアの指が、下の空欄で止まった。


「今日用意したものを、明日も用意する責任を誰が持つのか、役所から見えるようにするの」


 少年は卓の端にある菓子を見た。紙へ名前を書いたら、どこかへ連れていかれるのかもしれない。「どこに住むって書くの」と聞くと、セリュシアが顔を上げた。


「今は、ここの住所よ」

「あの二人が出たら?」

「そこも決めてもらいます」


 彼女はニルへ紙を戻し、空いている欄を示した。昨日も一昨日も、昼に一度ニルが戻り、アルバが出た。明日どうなるかは、まだ聞いていなかった。


「ニルの収入と住居の記録を添えます。保証人は私。同居している成人として、アルバにも書いてもらうわ」

「全部、僕の名でいいのでは」

「あなたがいない時のことを、あなたの名前だけで済ませないで」


 セリュシアは一枚をアルバへ回した。


「業者に身内だと言われても、すぐ引き渡さないようにしてあります。軍の報告も添えてください」


 少年は菓子から顔を上げた。倉庫で自分を渡せと言った男の声を思い出した。書いてあるものは読めないが、今の言葉は聞けた。


 ニルが住所を書く横で、セリュシアは少年がいた場所と、見つけた時刻を確かめた。少年も倉庫にはいつもいたわけではないと答えたが、その前はと尋ねられ、通りの名を知らないことに気づいた。河岸からなら、店と橋で言える。


「赤い庇が二つあって、橋の下へ行く方」


 セリュシアは途中で遮らず、紙の別のところへ書いた。知らない名を勝手に足されるよりはよかった。それでも、全部を教えれば、どこへ出ても見つかるようになりそうで、少年は階段の方へ身体を寄せた。


 


 茶器を下げに来たヴァレットが、その前で足を止めた。少年の背ではなく、外を向いている顔を見ている。「庭に変な虫いたけど見た?」と、小さい声で聞いた。少年は卓にいる三人を見た。セリュシアは年齢を書く欄について尋ね、ニルはアルバに、軍へ送った報告の控えがあるかと聞いている。虫を見て何が分かるか、何を答えなければならないかは、ヴァレットは言わなかった。「見る」と答えると、「裏から出よう」と、器を台所へ運んだ。


 ニルが「どこへ」と尋ねた。「庭です」とヴァレットが答えると、「鉢の札を抜かないでください」と言われた。少年は触るつもりなどなかったので、返事をせずに段を下りた。石は日の当たるところだけ温かい。ヴァレットは隅の低い木へ寄り、横から枝の間を覗いた。少年も同じ方へ回ったが、最初は枯れた葉しか見えなかった。


「どれ」

「あの枝の上。さっきまで、こっちを向いてた」


 指の先を辿ると、曲がった小枝のようなものが一つある。表面に細い節が並び、木の皮とは色が少し違った。少年が顔を近づけると、一方の端が離れ、身体の真ん中が山のように上がった。後ろが追いつくと、また真っ直ぐになる。


「歩いてる」

「変でしょ。一度縮まないと、前に行けないのかな」


 ヴァレットが隣へしゃがんだ。少年はもう一度動くのを待ち、「脚、足りないんじゃないの」と言った。


 ヴァレットは下から見ようとして、枝へ肩を当てた。虫が揺れ、すぐに動かなくなったので、少年は「揺らすなよ」とその袖を引いた。


「ごめん。見えた?」

「お前が邪魔」

「じゃあ、こっち」


 ヴァレットが反対側へ回ると、葉の隙間が空いた。少年は地面へ片膝をつき、枝の下へ顔を入れた。前と後ろに、小さなものが木を掴んでいる。何本あるか数える前に、背中へ乾いた葉が触れたので、片手で退けた。ヴァレットは裂けた服の方を見ず、虫の頭がどちらかを確かめようとしていた。


「こっちだと思ったけど」

「今進んだ方だろ」

「後ろへ歩いてたら?」

「じゃあ、分かんない」


 少年が言うと、ヴァレットは声を出して笑った。分からないことを怒られたのではなかった。少年も口の端を少し動かしたが、ヴァレットがそれを見る前に、虫が次の葉の縁へ届いた。二人ともそちらへ顔を寄せる。枝はまだ先へ続いているのに、虫は葉へ移り、端で止まった。「そこ、もう道がないぞ」と少年が言うと、ヴァレットも葉の先を見た。


「戻るかな」


 居間の窓から紙を動かす音が聞こえた。少年は振り向いたが、呼ばれてはいない。ここでは、虫が向きを変えるかを見ていればよかった。ヴァレットが立ち上がりかけたので、少年は葉を指した。


「まだ戻ってない」

「じゃあ、もう少し」


 そう答えたヴァレットが、また身を低くする。急いで何かを終わらせるために来たのではないらしかった。


 葉の端は少し欠けていた。虫はそこに留まり、細い頭だけを動かしている。二人で待っても一歩も進まなかったので、ヴァレットが小さな石を一つ、木の根元へ置いた。


「次に見る時、こっちの枝って分かるように」

「いなくなるかも」

「そしたら探そう」


 少年は塀の下の隙間を見た。外へ出る道として覚えたところにも、葉の屑が溜まっている。何かいるかと顔を寄せかけた時、裏口からセリュシアがヴァレットを呼んだ。


 馬車は待たせたままだった。ヴァレットが立つと、少年も膝を払い、後ろから家へ入った。卓上には書いた紙が残り、セリュシアの鞄へ入れる分と、家に置く分が分けられている。ニルが控えはどこへ置けばよいか尋ねると、セリュシアは、次に来る時に見つけられる場所へ、と答えた。少年にはどれも同じ白い紙に見えたが、ヴァレットは持ち帰る封筒を一つ受け取り、曲がらないよう鞄の脇へ入れた。


 玄関で、少年は自分の靴を履いた。セリュシアが振り返り、何か用があるのかという顔をしたが、先にヴァレットが石の上へ下りたので、少年も敷居を跨いだ。門までの短い道を、二人の数歩後ろからついていく。ヴァレットの膝には、払い落とせなかった土が少し残っていた。セリュシアが馬車へ足を掛けると、彼も手に持った鞄を持ち直す。少年は門の内側で立ち止まり、布包みを持って来た時には知らなかった名を呼んだ。


「ヴァレット、次いつ来る?」

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