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Ipomoea  作者: Tanahituzi


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第6章 帰りを待つ靴

 橋を渡ってから二つ目の角で、アルバは大通りを外れた。河岸から来る荷車はまっすぐ先の広場へ向かっていたが、その車輪の後をついていけば、工房の外壁を半周することになる。染め桶を洗った水の流れる溝を跨ぎ、庇の低い道へ入ると、背後でキースが紙を畳む音がした。荷役の名簿から写した住所は聞いている。地図を開き直す必要はなかった。


 窓から渡した紐には、洗濯物と、乾かしている革の端切れが混じっていた。腰の高さまで下がった布を避けると、左腕の傷が袖の下で少しひきつった。工房の火事で擦ったところは塞がりかけているが、まだ布の当たる位置によっては痛む。アルバは腕を下ろし、向こうから桶を抱えてくる女へ道を空けた。キースも壁際へ寄ったが、グラントの肩は庇の支えに届きそうだった。「表の道なら、三人並んで歩けましたがね」と言われ、アルバは次の角を指した。


「こっちが短い」


 曲がる手前にはパン屋があった。店先へ張り出した板には、まだ焼き色の薄い丸パンが並び、奥の窯から来る熱で、軒下だけ空気が乾いている。入口の脇にある細い戸は閉じていたが、その下には粉をこぼした白い筋があった。以前は粉袋を入れる時だけ開ける戸だった。アルバは横を抜け、建物の裏へ続く通路を選んだ。川へ出る方には魚の木箱が積まれ、蓋から落ちた水が道を濡らしていた。


「そっちは行き止まりでは」とグラントが言った。

「壁の間を抜ける」

「見えませんよ」

「箱の先だ」


 キースが先へ寄り、箱と壁の間を覗いた。


「通れます。階段が三段」


 アルバは頷き、積み上げた箱を動かさずに横を通った。狭いところを出れば、古い排気口のある壁へ出る。今は上の工房で何かを煮ているらしく、鉄の格子から湿った熱が漏れ、油と焦げた穀物の匂いがした。


 


 冬には、この壁の前だけ凍らなかった。表の石が白くなっていても、格子の下には濡れた土が残る。小さかったアルバはそこへ靴を寄せ、足の指が動くようになるまで待った。もう一人の少年も、同じ壁へ背をつけていた。そちらの靴は片方の爪先が開いていて、熱が出てくるたび、裂けたところへ足を近づけた。近づけすぎると格子に触れる。先にそれをやった方が、相手の脚を蹴って位置を戻した。


 パンを一つ持っている時は、壁の前で割った。乾いた皮を押してもなかなか裂けず、強く引けば小さい方が崩れる。少年は落ちた欠片を膝で受け、服についたものまで掌へ集めていた。食べ終わっても壁を離れたくはなかったが、工房の人間が出てくればそこにはいられない。戸の向こうで足音がすると、二人ともパンを口へ押し込み、立ち上がった。


 格子の中で金属が鳴り、アルバは壁から顔を離した。今の熱は襟の内側へ入るだけで、近くに立ち続ければ汗をかく。グラントが後ろから通路を見返していた。


「ずいぶん細かい道をご存じで。こっちの育ちですか」


 アルバは壁際に掛けられた籠を避けた。


「昔来た」

「一度や二度では、あの隙間は覚えませんよ」


 返事をせずに先へ進むと、グラントもそれ以上は聞かなかった。キースは住所の紙を取り出し、通りの名の下に、パン屋と三段の階段を小さく書き足した。


 カイの名が見つかった荷役の名簿には、しばらく前から出勤の印がなかった。職場を移ったかと尋ねると、腕を傷めて来なくなったと教えられた。住所はその時のままで、家には母親と妹がいるという。アルバは紙にある戸数を、井戸から順に数えた。木戸に刻まれた数字は塗り直されて薄くなっていたが、四つ目の家だけ、戸の下に水桶が二つ置いてある。片方の取っ手を直した細い針金が、日を返した。


     *


 戸を叩くと、まず内側で桶が動いた。閂の外れる音のあと、肩までの隙間に女の顔が見えた。アルバの軍服を見て視線が下がり、腰の武器のところで止まる。「カイ・レドの家か」と聞くと、女は戸へ掛けた手を動かさなかった。


「息子に、何か」


 声が掠れたので、アルバは名簿の紙を出さずに答えた。


「王立エヴァン植物医術研究所にいる。治療を受けてる。家族に確かめたいことがある」

「研究所って、どこの」


 女は今度はアルバの顔を見た。


「治療する場所が、変わったんですか」

「そこへ来る前のことを聞きに来た。今は医師がついてる」

「話せるんですか」

「まだ目は覚めてない」


 戸の隙間が少し広がった。後ろにいた女の子が、母親の袖を掴んでいる。八歳ほどに見えた。女はその手を自分の腰の後ろへ移し、「腕のことですか」と尋ねた。アルバが頷くと、ようやく戸が開いた。


 部屋の奥には、布で仕切った寝床が二つあった。窓の下の卓には洗い終えた器が伏せられ、その脇で、豆を選り分けた皿に布が掛けてある。母親は卓の皿を退けようとしたが、アルバは戸口に近い椅子を引いた。


「ここでいい」


 キースは壁側に立ち、グラントは入口から中を見て、「私は外にいます」と女へ言った。三人とも入れば、寝床までの道が塞がる。母親が返事をする前に、彼は戸の外へ戻った。


「息子は、治るって」


 母親は退けかけた皿を持ったまま言った。


「働けるようになるから、しばらく帰れないって。熱が出ることはあると聞いてましたけど、目が覚めないほどなんですか」

「誰がそう言った」

「診療所で。新しい治療を紹介してもらったんです。腕を治せるところがあるからって」


 アルバは彼女が皿を持っているのを見て、卓の中央にある器を端へ寄せた。空いた場所へ皿が戻ると、その上の布が少しずれた。


「腕を傷めた時から話せ」


 カイは河岸の荷役だけでなく、荷の少ない日には工房で運搬もしていた。腕を痛めたのは、そちらの仕事中だったという。荷を下ろす台で魔力結晶が割れ、右腕へ熱が走った。皮膚の傷は塞がったが、以前のようには魔法を使えなくなった。母親は自分の右手を卓へ置き、指を握って見せた。


「物は持てるんです。匙も、桶も。でも、少し重いものを動かそうとすると、ここから震えて。無理をした晩には眠れなくなりました」

「それでも、仕事へ行ったか」

「最初は。左もあるからって。ですが、荷を落としたら困ると言われて。ほかの仕事を探した時にも、腕のことを聞かれました」


 隣に立っていた妹が、卓の脚に足を寄せた。


「結んだ紐を、ほどくのが遅くなった」


 母親が顔を向けると、妹は左手で自分の袖口を触った。


「こっちでやるから。前は早かったのに」


 アルバはキースの書き取りが止まるのを待ち、事故の時期と、仕事へ行かなくなった時期を別々に確かめた。


 母親が言った日付は、名簿の印が途切れた頃と合っていた。怪我をしたその日に職を失ったのではない。何日か間を置いて行き、短い仕事だけ受け、やがて呼ばれなくなった。卓の向こうでは、妹が布の端から出た豆を一つ戻していた。アルバは帳面に目を落とすキースへ日付をもう一度言い、母親に「診療所へは、前から通ってたのか」と聞いた。


「ここから近いので。薬をもらって、腕が熱くなった時には診てもらってました。最初は冷やして、使わないようにと言われたんです」


 母親は戸口の方を見た。


「使わないでいれば痛みは減ります。でも、仕事はできませんから。新しい治療の話を聞いた時は、本人が、もっと詳しく教えてほしいと」

「その場で決めたのか」

「いえ。一度帰ってきて、私に話しました。治療費が要らなくて、向こうに泊まっている間も手当が出る。家族にもお金を送ってくれる、と」


 妹が椅子の背へ顎を乗せた。


「帰ったら、河岸に戻るって言ってた」

「ほかの工房でもいいって。腕が治れば、今より遠いところでも探せるから」


 母親の声は、そこだけ少し速くなった。


「泊まる場所も食事もあるんです。ここで薬を飲んで待っているより、いい話だと思いました。息子も、そう言ってました」


 アルバは窓の下に置かれた作業靴を見た。底には釘が残り、左右とも、紐を通す穴の近くが擦り切れている。働くための靴が、今も左右揃っていた。


 


「家族への金は来たか」

「はい。二度」


 母親は答え、寝床を仕切った布の手前へ行った。低い棚から蓋のついた木箱を出す。蓋は固いらしく、片側を押すと、妹が反対側を支えた。中には糸の束や替えの針、小さな袋と、折った紙が入っていた。母親は袋を退け、紙を二枚取り出した。


「まだ残ってます。もらった時に、名前を書くように言われました」


 紙には、受取日と金額、カイ・レドの名があった。その下の受取人欄には、別の筆跡で母親の名が書かれている。アルバは折り目を開き、二枚の日付を比べた。額は同じだった。母親が名を書いたところの横には、同じ窓口印が押されている。


「どこで受け取った」

「診療所です。知らせが来たら行くようにと。息子の分から家へ回してもらうお金だと聞きました」

「二度とも、同じ人か」

「窓口は同じです。人は、二度目は違いました」


 母親は紙を押さえるアルバの手を見ていた。


「お金も、ちゃんと届いてたんです」


 最初に言ったことを確かめ直すような声だった。


「息子を呼び出して、そのまま何もなくなるような話なら、私だって。ですが、約束した日に、言われた額が」


 アルバは紙から指を離した。


「届いたことは書く」


 キースが顔を上げたので、紙を向ける。母親はまだ何か言おうとしていたが、筆が二度分の日付を写し始めると、口を閉じた。


 金を受け取った日の翌日には、家賃を払ったという。母親は袋を箱の中へ戻しながら、薬代の借りも返したと付け加えた。妹が豆の皿の布を直し、「お兄ちゃんが帰ったら、靴の紐を買う」と言った。


「今のは結び目が三つあるから」


 アルバは窓の下へもう一度目をやった。片方の紐は足首の近くで継ぎ足され、余った端が革へ押し込まれている。帰ってくる時のために買うものが、まだ一つ残っていた。


「治療先から手紙は」

「最初に一通。着いたと、本人から。その後は、診療所へ聞けば様子を教えてくれました。昨日も、治療中だと」


 母親は箱からもう一枚、今度は小さく畳んだ紙を出した。短い手紙には、食事が出ること、部屋で寝られること、家へ回る金を受け取ってほしいことが書かれていた。場所の名はない。アルバは封筒も見せてもらったが、送り主の住所があるはずのところは空いていた。


「本人から直接、これ以外に連絡は」

「ありません。治療している間は忙しいんだと思って」


 妹は椅子の背から顔を上げた。


「書けないくらい、腕が痛いの」

「まだ本人には聞けてない」


 アルバが答えると、彼女は手紙へ目を戻した。右腕が使えなくても書けることを、今ここで言う必要はなかった。カイがあの紙をいつ書いたか、熱のある腕でどれだけの文字が書けたかも分からない。「会えますか」と母親が聞いたので、アルバは研究所までの道を尋ねたことがあるか確かめた。彼女は首を振った。聞いたことのある建物の名だが、この地区からどう行くかは知らないという。


「面会の時刻は医師に確認する。ここへ知らせを持たせる。知らない者に連れていくと言われても、先に軍の詰所へ確かめろ」


 アルバはキースに別の紙を出させ、研究所の名と、軍からの知らせを確認する窓口を書いた。母親はそれを受け取ってから、「息子は、何か悪いことをしたんですか」と小さく聞いた。軍服を見た時から、そこも気にしていたのだろう。


「それを調べに来たんじゃない。追ってきた者がいる。そっちを調べてる」

「息子を、連れ戻しに」

「まだ確かめてる」


 母親の手が、もらったばかりの紙を折ろうとして止まった。


「治療のところからなら、戻した方が」


 アルバは彼女を見た。


「今ついてる医師が、動かせる状態かを決める。誰かが迎えに来たというだけでは渡さん」


 右腕にあった光を思い出した。全部を強く押さえれば止まるわけではないと、ニルは図の同じところを何度も示した。ここへ来る前に届いた記録でも、二枚の片は別々に調整している。どこが治療先であれ、その配置を外して運ばせるわけにはいかなかった。


 紹介された時の紙も、箱に残っていた。患者が診療所へ持っていく番号札の控えと、泊まりで治療を受ける人の家族へ渡す案内だった。給付を受け取る場所は書かれているが、治療施設へ直接訪ねる道順はない。アルバは裏も確かめ、キースに窓口名を写させた。同意の手続きに使った紙はカイが持っていったという。母親は何枚あったかまでは覚えておらず、妹も、兄が紙を畳んで鞄へ入れるところしか見ていなかった。


「紹介の紙は預かる。受取の紙は、写したら置いていく」


 そう言うと、母親は手紙も差し出した。アルバは一度受け取ったが、封筒にも文面にも施設の名がないことをキースに記録させ、窓口の案内とは分けて卓へ戻した。


「これは残せ。ほかに届いた物があれば、封筒ごと取っておけ」


 母親は手紙を箱へ戻さず、先ほど受け取った連絡先の紙と重ねた。


 キースが写しを終えるまで、妹は母親の隣で待っていた。椅子へ座ろうとしかけ、また背に手を置く。アルバが「熱は、来た時より下がってる」と伝えると、母親は顔を上げた。


「でも、治るかは」

「今は言えん」


 返事の後にも、母親の視線は動かなかった。約束できることはそれ以上なかったが、アルバは立たずに待った。やがて母親が受取の紙を畳み直し、角を揃えて木箱へ入れた。娘には蓋を任せ、連絡先だけを窓の近くへ置いた。


 戸の外へ出ると、グラントが井戸の方から戻ってきた。母親は戸口まで来て、研究所の名をもう一度言った。長い名の途中で詰まったので、アルバは紙を指し、最初の部分から言い直した。妹が母親の脇で同じ文字を追っていた。


「知らせを待っていてくれ」


 それに頷く顔を見てから、アルバは道へ向き直った。背後で木戸が閉じ、しばらくして、閂が戻る音がした。


     *


 診療所は二本先の通りにあった。家からは近いが、井戸を回って表へ出れば、荷車の並ぶ道を渡らなければならない。アルバは裏の細い道を選び、途中の工房から運び出される炭の籠を待って先へ進んだ。グラントは母親から預かった案内を持っている。紙をもう一度広げ、「向こうで泊まれて、家へ金が来る。働けなくなった人間には、いい話に聞こえますね」と言った。


「金は来てる」

「ええ。そこを嘘にはしてない」


 アルバは彼の手にある紙を見た。家賃を払い、薬代を返したという声が、日付の数字に重なった。もし自分があの家で、使えなくなった腕を抱えていたなら、窓口へ行くだろう。行かずに明日の仕事が得られるわけでも、家賃の催促が止むわけでもない。アルバは案内を受け取り、折り直す前に、給付の項を指で押さえた。


 カイ一人のことしか、まだ聞いていない。同じ治療へ紹介されたほかの者が、どこで何をしていたかは分からない。それでも、ここに来る前は薬の番号から行き先を追っていたのに、今はこの窓口へ来る人間の方が気になった。


「ほかの紹介も、同じ条件か確かめる」


 アルバが言うと、キースは帳面の端へ印を入れた。


「職場の話も続けますか」

「続けろ。事故を見た者と、紹介した者は分けて取れ」


 声が強くなったので、アルバは一度口を閉じ、次の言葉を短くした。


「名簿の住所も残せ」


 診療所の庇には、雨に濡れて色の薄くなった木札が掛かっていた。無料で診察する曜日と、薬を渡す時刻が書かれている。戸口のそばには杖をついた男が座り、その向こうで、咳をしている子供を女が膝へ抱き直していた。ひとつの椅子へ二人が腰を掛けているため、立ち上がるたびに場所を譲り合う。奥から出てきた職員が、水の入った器を女へ渡した。女が腰の袋へ手を入れると、職員は首を振り、次の人の名を呼んだ。


 アルバが庇の下へ入ると、入口にいた若い職員の目が軍服で止まった。待っている人々もこちらを見たので、アルバは列の正面を避け、戸の脇へ寄った。


「紹介のことで来た。診察を止めるな」


 職員は案内を見て、紙の印を確かめた。


「泊まりで治療を受ける方の窓口ですね。こちらで待っていただけますか」


 示されたのは診察室ではなく、薬を渡す窓の横だった。棚には、同じ案内が何枚も揃えて置かれていた。


 窓口の係はカイの名を聞くと、母親が昨日来たことを覚えていた。アルバは本人がエヴァンで治療を受けていると伝え、紹介した医師と、手続きを扱った者に話を聞きたいと言った。係は奥へ声を掛け、戻ってから、医師は往診へ出ていると答えた。帰る時刻は決まっていない。アルバは今日ここにいた者の名と、明日話を聞ける時刻を確かめ、軍の連絡先を渡した。カイの診療記録は、こちらの医師から正式に照会させる。棚の案内だけを見て、診察の内容まで決めるわけにはいかなかった。


 係が用紙を探す間にも、薬を受け取る人が二人来た。一人は瓶にある印を読めず、いつ飲むかを尋ねていた。係は新しい紙を足す代わりに、朝と夜の食事の後だと繰り返し、相手が言い直すまで待った。もう一人には、痛みが強くなれば次の診察日まで待たずに来るよう伝えている。アルバは家族に渡された案内を畳み、キースの写した窓口名と重ねた。ここで腕を冷やし、薬をもらっていたカイが、その先の治療を尋ねた。そこから先を辿るには、今見た窓口の仕事と、紹介先で行われたことを別々に取る必要があった。


 庇を出る時、グラントが一度、診察を待つ列へ目を戻した。


「今日聞けた分は、先生のところへも届けますか」

「案内と受取の記録を写せ。預かった原本は詰所だ。面会の返事も頼む」


 アルバはキースの帳面を借り、家族へ伝えたことを書き添えた。治るとは言っていない。医師へ確認して知らせると言った。その返事を、腕の解析とは別の用件として残しておく。母親が戸口で繰り返した研究所の名を思い出し、行く時には道の分かる者をつけるよう、一行足した。


 


 大通りへ戻る頃には、朝より荷車が増えていた。パン屋の板には残りが少なく、グラントが人数分を買う間、アルバは店の裏口を見た。小さい戸が開いて、粉袋を担いだ男が入っていく。今の自分なら、あの袋を一つ運べば食事代を得られるだろう。腰に武器があり、軍服を着て、帰る先もある。アルバは自分の分の代金をグラントへ渡し、紙に包まれたパンを受け取った。窯から離れたものでも、掌の中にはまだ熱があった。


 川沿いの道へ出かけたところで、空箱の脇に子供がしゃがむのが見えた。店先から掃き出された屑の中へ手を入れ、捨てられたパンの端を拾っている。土のついた皮を指で剥がし、下から現れた白いところを確かめる。その手つきに、アルバの足が止まった。格子から漏れる熱も、冷えた足も今はないのに、隣の壁際から、小さな声だけが一瞬戻ってきた。


 中は、まだ食える。そう言った少年の息の近さまで思い出した時には、もう声は消えていた。目の前の子供は、パンを握ったまま、まだ顔を上げていなかった。

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