第3章 雨の向こうから
雨が強くなったのは、夕刻の測定を半分ほど終えた頃だった。大温室の屋根を叩く音が棚の奥まで満ち、ニルが帳面をめくっても、紙の擦れる音は聞こえない。硝子の継ぎ目を伝う水の向こうで、実験棟の窓がぼやけていた。昼間は開けてあった高窓も今は閉じられ、通路に溜まった湿気は、葉の裏へ指を入れるだけで分かった。
朝顔の花はすでに萎んでいた。薄紫の花弁が互いに貼りつき、その下で、まだ開いていない蕾が支柱の方へ傾いている。昼のうちに小温室から移した三鉢には、移動前と同じ位置に測定片を留めてあった。明日の朝の値と比べるには、今の反応を取っておく必要がある。ニルは鉢札を裏返して番号を確かめ、傷のある茎へ細片を寄せた。傷の脇にできた筋は、二日前より上まで追えるようになっていたが、測定片が示す明るさは、それほど増えていなかった。
棚の端に置いた箱から、栽培係が空の受け皿を取り上げた。「そろそろ閉めますよ」と言われ、ニルは最後の鉢を示して「これが終わったら出ます」と答えた。帰りに借りた記録を返す用事もある。帳面の下にはその綴りを重ねてあり、濡らさないよう布で包んで持ち帰れば、鞄にはまだ収まるはずだった。栽培係は正面の通路へ戻り、途中の棚に掛けた灯を一つ消した。明かりが減ると、硝子の外の雨が急に近くなった。
裏の搬入口で、金具が鳴った。土や大きな鉢を運び込むための扉で、内側の閂はまだ下ろされていない。栽培係が戻ったのかと思ったが、続いた音は車輪でも鉢の触れ合う音でもなく、木戸に重いものを押しつけたようだった。ニルが筆を置いた時、扉が半分ほど開き、濡れた男がその隙間へ身体をねじ込んだ。
男は入ってすぐ、背中で扉を押した。泥のついた片手を閂へ伸ばしたが、指がうまく掛からず、鉄の端を二度滑った。ニルへ顔を向けないまま、足だけが通路へ一歩進む。雨水が外套の裾から落ち、靴の下に小さな水溜まりを作った。頭を覆っていた布は肩までずれていて、額には髪が貼りつき、ひどく速い呼吸が聞こえた。
「どうしました。そこは搬入用ですけど」
ニルが棚の間から出ると、男はようやく顔を上げた。目が合う前に、肩、髪、手に持った帳面を順に見られた。男の唇には血の気がなく、頬だけが不自然に赤い。こちらを確かめるように目を細め、「ニルか」と言ったので、ニルは足を止めた。
「そうですが。どなたですか」
男は返事をせず、右腕を胸の前へ引き寄せた。破れた袖口から、細い光が見えた。濡れた服についた結晶の欠片かと思ったのは一瞬で、光は手首の内側から肘へ、皮膚の下を走っていた。指が曲がるたびに別の線が明るくなり、同じところで二つに分かれて、少し先でまた合わさる。細い根を薄い皮膜の下へ広げたような形だった。
「あんたの名前があった。だったら止め方くらい知ってるだろ」
男が腕を差し出しかけ、途中で顔を歪めた。ニルは帳面を台へ置いて近づいたが、触れるより先に、袖の隙間にある分岐に目を引かれた。太い線の途中から細い枝が出て、元の流れに沿って少し進み、ずれた位置へ戻っている。枝の幅と、合流するまでの長さが、見覚えのある釣り合いになっていた。前の研究所で、何度も計算をし直した形だった。
「腕を、もう少し見せてもらえますか」
「見てどうする。止めろって言ってるんだ」
「止めるためです。袖が、ここに掛かっています」
男はニルを睨んだまま、左手で袖を引いた。布が肘に引っ掛かると、右の指がいっせいに開き、掌の下に一瞬だけ白い光が溜まった。近くの棚で受け皿が震えた。ニルは男の手を棚から離し、通路の中央へ向けたが、掌に触れた自分の指の方が冷たく感じられた。雨に濡れた身体なのに、皮膚は熱い。
袖がずれると、腕の内側が肘の上まで見えた。自然の導路に重なっているのではない。途中から外へ回り、別の線で繋ぎ直されている。ニルは流れを追うために息を止め、すぐに、止めていたことに気づいて吐いた。根元の二本を分ける比率も、戻る枝を細くする位置も、自分が組んだ基礎式と一致する。人体の中で、この形が光っているのを見るはずはなかった。
「あんたが作ったんだろ」
男の声が低くなった。ニルは顔へ目を戻した。何をされたのか、どこから来たのか、聞かなければならないことがいくつもあるのに、そのどれより先に、腕の下で次の枝が明るくなった。
「……僕の研究です。でも、僕が作ったものではありません」
男はニルの襟へ手を伸ばしたが、布を掴む前に指が落ちた。膝が折れるのを見て、ニルは脇へ腕を入れた。支えたつもりの身体は予想より重く、二人とも棚の脚にぶつかりかけたので、背中を柱へ寄せながら床へ下ろした。男の靴が石を擦り、外套の内側から水が流れた。「医療区画の人を呼んでください」と声を上げると、正面の通路で足音が止まり、栽培係が戻ってきた。
「どうしたんです、その人」
「分かりません。ここから入ってきました。意識が落ちかけています。マレナ部長にも知らせてください」
男の顎が下がったので、ニルは濡れた襟を緩め、呼吸を確かめた。目はまだ開いているが、こちらを見てはいない。栽培係が走り去ると、男は扉の方へ顔を向けようとして、「来る」と言った。ニルが聞き返す前に、右腕の筋が張り、踵が床を叩いた。
「名前を教えてください。呼ぶ名前がないと、困ります」
少し待つと、唇が動いた。「カイ」と聞こえ、続いた音を確かめるためにニルは顔を近づけた。「カイ・レド」と、今度はかろうじて分かった。返事をしようとした時には、目の焦点が外れていた。呼び直しても反応はなく、雨音の中で、荒い息だけが続いた。
*
大温室に隣接する準備室へ運ぶ間にも、カイの右腕は二度、担架の縁に強く当たった。布で受けても、手首の下の線は消えなかった。医療区画から来た当直医が呼吸と脈を確かめ、運び手に準備台の上へ下ろすよう指示した。鉢を置くための板を外し、厚い布を敷くと、濡れた外套から移った水が、すぐにその端まで染みていった。
ニルは温室へ戻って測定片と帳面を取り、台の横へ置いた。腕に出ている光は、今は分岐の一部を照らすだけだった。測定片を肘の近くへ寄せると、見えていない線のところにも反応が現れた。細い枝は皮膚の表面に近く、奥にある元の導路とは少しずつ位置が違う。そのずれを確かめようと片を傾けたところで、医師の腕が前へ出た。
「先に処置をする。測定は後だ」
「待ってください。そこには別の線があります」
医師はカイの上腕に当てようとしていた遮断片を止めた。
「見えている。導路の暴走なら、末端へ行く量を落とさないと」
「その片では、奥の導路だけ先に止まります。浅い方に反応が残っているでしょう。肘のこの枝へ、まだ流れています」
ニルは相手の手から遮断片を取らず、測定片をその脇へ差し入れた。医師の片が近づくにつれ、奥の反応は薄れ、皮膚に近い線だけがはっきりした。
「一枚だけで抑えないでください。深さが違います」
医師はニルの顔を見てから、助手へ別の片を出すように言った。もう一枚が台へ置かれるまでのあいだに、カイの肩が強く上がり、喉で息がつかえた。
医師が身体を横へ向けると、ニルは測定片を外した。助手が顎と肩を支え、口元を確かめる。腕を押さえる手が増えても、指の震えは止まらなかった。光が手首へ集まり始めたので、ニルは二枚の遮断片を少し離して置き、一方を腕の下へ回した。深い方から反応を落としすぎないよう、もう一方の角度を変える。掌の白さが薄れると、医師が肩に当てていた手をわずかに緩めた。
「そのまま。呼吸はある」
ニルは頷いた。額から落ちた髪を直そうとして、片を持つ指まで動きかけ、やめた。この配置を保てば、今の噴き出しは抑えられる。それ以上は分からない。片を外した後に同じ流れへ戻るのか、別の枝へ移るのかさえ、測らなければ判断できなかった。知りたいことが増えるたびに目は腕へ戻り、医師にいまの反応を聞かれると、一拍遅れて顔を上げた。
マレナが入ってきた時、準備室の床には、運び込んだ雨水と、助手が使った布が残っていた。彼女は台の周囲を見て、「移送は」と医師に聞き、今は動かさない方がいいと答えられると、戸口にいる職員へ医療区画の人員をもう一人呼ばせた。それからニルの隣へ来て、外套の下から出た右腕を見た。
「何なの、これ」
「後から作られた導路です。少なくとも、右腕のここは。僕が前の研究所で扱っていた構造と、基礎が同じです」
「あなたが関わった患者?」
「知りません。人にこの形を入れたことはありません」
マレナはすぐには返事をせず、ニルの置いた片と、医師が見ている測定値を順に確かめた。「名前は?」と聞かれ、ニルはカイ・レドと答えた。助手が記録用紙に書き込んだが、その下の年齢も住所も空いていた。ニルは自分の名前をどこで見たのかも聞けなかったことを思い出し、カイの顔を見た。瞼は閉じたままで、頬の赤さだけが残っていた。
正面の廊下で、誰かが走った。準備室の扉からは、大温室の通路を斜めに見通せる。ニルが目を上げると、警備員が二人、棚の向こうから搬入口へ向かっていた。先ほどの栽培係がその後ろで足を止め、「裏に、また人が」と言った時、木戸を押す音が雨の中へ響いた。
濡れた外套の男が一人、入口の内側に立っていた。その後ろにも人影がある。警備員が前へ出て、何の用かと尋ねた。男は準備室の灯を見てから、「ここへ若い男が来ただろう」と言った。扉は半分開いたままで、雨水を踏んだ靴の跡が、カイを運んだ方へ続いていた。
「閉所しています。用があるなら正門へ」
「連れ戻す。そいつは、うちで預かっている」
「どこの方です。身分を示すものを」
男は懐へ手を入れた。紙を出すのかと思ったが、動いたのは反対の腕だった。警備員の肩が押され、棚に重ねた空鉢が鳴った。もう一人が男の前へ棒を差し出すと、入口の外にいた人影が脇を抜けようとした。鉢が一つ落ち、割れる音に、台の上のカイの指が跳ねた。
ニルは腕へ目を戻した。二枚の片の間で、光が再び濃くなっている。位置がずれたのかと思い、角度を確かめたが、片はそのままだった。カイの息が速くなるたびに、肘の枝へ反応が戻る。医師が声を掛けても目は開かず、ニルは助手に腕の下の布を寄せるよう頼んだ。
「戸を閉めて」とマレナが言った。
「中の職員は実験棟へ。警備の責任者をここへ呼びなさい」
職員が準備室の扉へ手を掛ける前に、入口の男の腕から、鎖のついた金具が垂れた。開いた輪の内側に、薄い板が重なっている。警備員が棒を返すと鎖が絡み、男が引いた拍子に輪の片方が床へ落ちた。「錠具だ」と、低い声が聞こえた。男は拾いに屈みかけたが、奥から別の警備員が来るのを見て、外へ下がった。扉の隙間に外套の裾が消え、閂が落ちたところで、準備室の戸も閉じられた。
雨の音は変わらなかった。閉じた扉の向こうでまだ声はするが、近づいてはこない。ニルは測定片を見ながら、カイが言った「来る」を思い返した。今の男たちを見たのか、声を聞いたのか、知りようがない。額へ当てられた布の下で眉が動いたが、名前を呼んでも返事はなかった。
ほどなく警備の責任者が入り、マレナへ落ちた金具を見せた。濡れた鎖の先に二つの輪があり、一方の留め金は曲がっている。「軍で使う型です。魔法を使う相手を押さえるものだ」と言われて、ニルは薄い板が重なった内側を見た。片を置く位置が腕の太さに合わせて変わるようになっている。あれを、カイの腕へ締めたらどうなるのか。台の上の線へ視線が戻り、考えた配置を頭の中で消した。
「軍へ知らせて。これを持っていたことと、警備を押し退けて入ろうとしたことを、どちらも伝えてください」とマレナが言った。
「正門から出なさい。裏へ一人で追わないように」
警備の責任者が出ていくと、準備室には医師の指示と、器具を置く音が戻った。ニルは濡れた帳面の端を裏返し、使える頁に腕の線を描き始めた。羽ペンの先が紙へ強く食い込み、最初の枝だけ実物より太くなった。削ろうとして手を止め、別の場所へ描き直す。何度も見た形なのに、どの位置から写せば全体を見失わずに済むのか、すぐには決められなかった。
*
医療区画から寝台と追加の器具が来て、担架の濡れた布が片づけられた頃には、温室の外は暗くなっていた。準備台の上ではカイの服が乾いたものに替えられ、右腕だけが布の外へ出ている。ニルは一枚の片を台の留め具へ固定したが、もう一枚は角度を直す必要があり、まだ手を離せなかった。医師が記録する脈の間隔は、初めより揃っていた。それでも、肘の下の線は途切れずに光っている。
廊下から重い足音が近づいた。準備室の前で一度止まり、別の足音が先へ進む。その歩幅を、ニルは家の階段で知っていた。扉が開くと、雨を被った軍服の肩と、腰に下げた短剣が見えた。アルバだった。後ろに年長の兵がいて、部屋の中へ入る前に、廊下の職員へ何かを確かめていた。
「出入口は」とアルバが聞き、マレナが正面の廊下と搬入口を示した。アルバは一度だけ台の上を見て、後ろの兵へ「グラント、正門。職員の出入りは確認して通せ」と言った。年長の兵が頷き、廊下へ顔を向ける。
「キースは裏に回ってます。サーラには温室の外を見させます」
「追わせるな。まず人数を取れ」
返事を聞く前に、アルバは警備の責任者を戸口へ呼び、台までの通路を空けさせた。
ニルはアルバの手が短剣へ行かないことを見ていた。家で会う時と同じ顔だったが、マレナの答えを聞きながら、椅子の位置、閉じた窓、廊下へ出る扉へ、順に視線が動いた。彼が来たことで部屋に人が増えたのに、台の周囲は先ほどより広くなった。ニルの脇に置かれていた空の担架も、兵の一人が廊下へ運び出した。
「運べるか」
アルバが医師へ尋ねた。医師は右腕を示し、「身体の方は落ち着いてきたが、これが残っている。測定を続けている」と答えた。アルバが台の横へ来たので、ニルは測定片から顔を上げた。軍服の袖が光を遮り、奥の反応が見えにくくなった。
「そこを少し空けてください。片の内側が見えません」
アルバの目がニルへ戻った。眉がわずかに動いたあと、半歩だけ横へ退く。家の台所で道を譲る時のように待っていたら、こちらが退くところだったが、今は腕の反応を見なければならなかった。ニルは片を傾け直し、帳面の数字を一つ書き換えた。
「何が起きてる」
「この人の導路は、元からあるものの外側に別の経路が作られています。自然の枝に見えますが、合流部の構成が違います。そもそも導路というのは――」
「結論」
「まだ説明を始めてもいません」
羽ペンを置いて言うと、アルバは口を閉じたまま待った。ニルはその顔を見て、先ほどから自分が片を持っている時間まで説明する必要はないのだと思い直したが、合流部を省けば、普通の導路障害と同じ扱いにされる。
「人工の導路が、本人の意思と関係なく魔力を流しています。今は二箇所で抑えていますから、外して運ばないでください。触れていなくても、手の近くへ物を置くと弾くことがあります」
「力を足す必要は」
「ありません。測定の反応が混じります。先に、人が入ってこないようにしてください」
「分かった」
アルバは台から離れ、廊下に残った兵へ指示した。ニルは、もう一度説明を求められると思って顔を上げたままでいたが、彼は警備員の話を聞き始めていた。落ちた拘束具が乾いた布の上へ置かれ、その脇に、搬入口までの簡単な見取り図が広げられた。軍服の左袖から、白い包帯が少し覗いた。ニルがそれに目を止めた時、医師に片の反応を聞かれ、腕の方へ向き直った。
軍の衛生兵が入ってきて、医師から処置を聞き取った。空いた器を取り替え、脈を数える役が一人増えると、医師はカイの上腕まで測定する余裕を得た。ニルは台の端にあった器具を退け、腕の下へ鏡面の板を入れた。内側へ回る枝もこれなら追える。助手が灯を弱くすると、肘の近くで薄れていた線が、別の角度からはまだ明るいことが分かった。
「部長、僕の研究室の下の棚に、紺の綴りがあります。古い論文をまとめてあるものです。それを持ってきてもらえますか」
マレナは職員を一人呼び、鍵を受け取って渡した。「どこまで一致してるの」と聞かれ、ニルは鏡面の上へ出た枝を指した。
「ここと、その先の合流です。式を同じにすれば似た形になりますけど、分岐の位置までこう揃うのは――」
言いかけて、カイの腕を見直した。まだ全体を測ったわけではない。見えている形だけで、作った者も、その方法も決められない。ニルは言葉を切り、「図を並べて確認します」と続けた。マレナは「確認できたことだけを書いて」と言い、医師の記録を覗くために反対側へ回った。
アルバは戸口から戻り、カイの顔を見て、「話せるか」と尋ねた。医師が首を振ると、今度はニルへ目を向ける。
「お前は何を聞いた」
「カイ・レドと名乗りました。それから、僕の名前があったと言いました。どこにあったのかは、聞けていません」
「以前、会ったことは」
「ありません」
言い切ってから、ニルはカイの閉じた瞼を見た。入ってきた時、自分の顔を確かめていた。名前を聞いただけの相手を、どうしてあのように探せたのか。何を信じてここまで来たのか。質問を並べるほど、倒れる前の「あんたが作ったんだろ」という声が、同じ位置へ戻ってきた。自分の知らない場所で何が続いていたのか、考えると指の内側が冷たくなった。それなのに、腕の光が変わると、問いはすぐに、どこへ繋がっているのかに置き換わった。
紺の綴りが届くと、ニルは手に持っていた遮断片も台の留め具へ固定し、空いた手で表紙を開いた。湿った指が紙へ触れないよう布で拭き、見覚えのある図の頁を探す。新しい研究所へ移る時にまとめ直したものだった。端に折り癖のある一枚を開くと、図の下に、自分が後から加えた小さな訂正があった。今の帳面より細い筆で、合流部の条件を二つ書き足している。
その二つを読んだ途端、腕の奥を測り直したくなった。どちらの条件を使ったのか、他の方法で同じ流れを作ったのか、確かめる位置は思いつく。ニルは測定片へ手を伸ばし、カイの指がまだ震えているのを見て止めた。今の配置を崩して調べるわけにはいかない。それでも、次に反応が薄れる場所を、目は先回りして探していた。
雨はまだ屋根を打っていた。温室の通路に灯が戻され、準備室の窓には、棚の朝顔の葉が暗い影になって映っている。医師が新しい記録用紙を重ね、衛生兵が乾いた布をカイの肩まで掛けた。アルバは扉の脇に立ち、廊下から来た兵の短い報告を聞いていた。ニルは古い図を台の横へ置き、腕の内側が見えるよう灯の位置を少し下げた。
カイの肘の下で、細い光が分かれた。一方は真っ直ぐ先へ進み、もう一方はその脇を回って、紙に描かれた合流点と同じ位置へ戻る。図には、そこで一本になる線が、同じ太さで描いてあった。
治療台の上の腕に、ニルの古い論文と同じ分岐が光っていた。




