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Ipomoea  作者: Tanahituzi


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第15章 丸の間の道

 最後の住所を写すと、橋の北側だけが白く残った。アルバは地図へ置いていた左手を退け、診療所の紹介控えと、倉庫で押収した帳簿から書き出した一覧を見比べた。カイが温室へ来てから、六週目に入っていた。本人が話せるようになって照会先は増え、昨日までに、ほかの窓口から同じ治療へ紹介された者の住所も届いている。実際に送られた者には丸、説明を受けただけの者には短い線を入れた。どちらの印も、川の曲がる内側と、旧城壁の外へ寄っていた。


 同じ番地でも部屋の違う者をキースが示し、アルバは丸の脇へ人数を書き足した。二度載っていた名は一つへ戻す。グラントは窓側の端を押さえ、地図が巻き戻らないよう、空の瓶を置いた。


「上の方が、ずいぶん空きましたね」


 グラントが言った。アルバは一覧の職業欄を読んだ。荷役、運搬、工房。以前していた仕事の横に、事故後休職、紹介先なし、魔力使用不可と書き足されている。カイの行も、河岸で働いていた頃の名簿と、診療所へ通っていた頃の控えでは、記載が違った。


「書類がここからしか出てないせいか」

「別の地区の窓口にも照会は出ています」とキースが答えた。

「まだ返事のない所はあります。ただ、同じ案内を置いている二か所では、対象になる者がいないと」


 二通とも、照会した治療案内は扱っている。アルバは受け取った範囲を地図の余白へ書いた。王都全体の名簿ではないが、同じ案内がほかにもあるのに、ここから集まった者だけが狭い範囲へ寄る理由は要った。


「対象の条件を取る。職を探しに来た者へ、誰が治療の話を出したかも」


 グラントは今日行く窓口の住所を確かめ、地図から瓶を退けた。


 


 畳む前に、アルバはカイの家へつけた丸を見た。受取の紙を出した母親と、靴の紐を買うと言った妹が、あの丸の家で待っている。その近くにも、家族のいる者が何人も載っていた。本人の署名と、家へ渡った金の記録は増えている。今の腕がどうなっているかを記した紙は、エヴァンから来るカイの分しかなかった。アルバは住所の一覧を上に重ね、地図ごと紐を掛けた。


     *


 渡し場の手前で馬車を降りると、三人は川から離れる道へ入った。昼近くの通りには、炭を運ぶ籠と、空の木箱を積んだ荷車が出ていた。診療所の庇の下では女が子供の袖をまくり、職員が椅子を一つ外へ持ってきている。アルバはその前を塞がず、壁側を抜けた。職業斡旋所は、そこから工房を二棟挟んだ先にあった。


 戸の脇へ掛けられた札には、今日人手を求めている仕事が並んでいた。荷揚げは朝のうちに人数が埋まり、残っているのは石炭運びと、工房での夜番だった。下の方に、泊まりで受ける治療の案内が貼られている。紙だけは新しく、雨の染みも、端を剥がした跡もなかった。アルバが足を止めると、中の卓にいた男がこちらを見た。窓口を預かっている者だという。軍の照会状を確かめ、待っていた人を奥の係へ回してから、帳面を一冊出した。


「患者の話でしたら、診療所にも聞いていただきたいんですが」


 男は表紙を開きながら言った。


「こちらで腕を診ているわけではありません。仕事の相談に来た方で、治療を受けたいという人がいれば、向こうへ紹介します」

「こっちから勧めることもあるか」

「あります。以前できた仕事が、怪我のあとでは難しくなる方もいますので。治れば、また紹介できる仕事が増えます」


 アルバは卓の脇へ立っていたが、男の視線が腰の短剣へ下がったので、入口に近い椅子を引いた。


 男が示した頁には、仕事を探した日と、診療所へ渡す紙を出した日が、別の欄に記されていた。一度来てすぐ治療へ回った者も、何度も仕事を尋ねてから話を聞いた者もいる。キースが一覧にある名を伝えると、男は二つ前の頁へ戻り、欄の下へ指を置いた。


「この方は、右脚です。運搬は無理で、座ってできるものを、と。今の工房は経験者で埋まっていますから、治療の案内を渡しました」

「夜番は」

「見回りがあります。火事の時に走れない方は、雇う側が受けません」


 戸口で待っていた男が、奥の係に呼ばれた。片方の袖がまくられ、反対の手で鞄を持っている。窓口の男はそちらを見て、「できる仕事があれば出します」と、別の控えを広げた。短い仕事を得た記載もあった。一日で終わったもの、腕の熱が強くなり途中で帰ったもの。アルバはそれも写させた。空いている仕事と、来た者にできることを重ねれば、残るものは少なかった。


「紹介したあとは」とアルバが聞いた。

「診療所で、治療を受けられる状態か確かめます。本人が署名してから、移送の窓口へ」

「カイ・レドも、ここを通ったか」

「診療所へ直接行く方もいます。その方は、こちらにはありません」


 男は申込控えと紹介票を並べた。受付番号は、移送の手配へ引き継がれる。倉庫の帳簿にもあった番号の付け方だった。


 グラントが家族への給付案内を出すと、男は同じものを棚から取った。滞在中の手当、食事、寝床。本人の分から家へ渡す額と、受取の窓口。診療所で金を受け取ることも、母親に聞いた話と合っていた。


「家族にも金が入ります。治療している間、働けないわけですから」


 男は案内を地図の包みから離れたところへ置いた。


「志願です。こちらで誰かを連れていったり、署名を代わりに書いたりはしていません」

「他に選べたのか」


 アルバが尋ねると、男の手は、案内を揃える途中で止まった。


「治療を受けないことは、選べます」

「そのあと、何で食う」

「救貧の窓口もあります。家族が働けるなら、そちらの仕事を探すことも」


 男は言ってから、自分の前に置いた仕事の控えを見た。


「この方の妻には、洗い物の仕事を出しました。ですが、毎日ではありません。子供も二人いるので」


 アルバは、治療へ送られた者の名へ目を戻した。本人の行の下に、妻の仕事の日数はなかった。


 救貧で貰える額を尋ねると、男は奥へ確認に行った。戻った答えでは、家族の人数と、その月の収入で変わる。まだ支払いを待つ者もいる。治療の手当は、案内にある額が、決まった日に渡るという。


「同じ日に、選べる金じゃないな」


 アルバが言うと、男は案内を見たまま、「だから、話を聞きたいとおっしゃるんです」と答えた。声は、それまでより低かった。


「私たちも、ここへ来る方に、何もないと言って帰すよりは」


 そこで言葉を切り、同意の説明は診療所で行っていると付け加えた。アルバはその先を急がせなかった。男が言ったことを、キースの紙に収めるまで待った。


 紹介対象の条件を書いた紙は、治療案内とは別にあった。導路の損傷については診療所が判断する。その前にここで確かめる項には、事故後に職を失ったか、長く滞在できるか、家へ給付を必要とする者がいるかとあった。アルバは地図を開き、余白にある二つの返答を示した。


「こっちは、同じ案内を置いてる。対象になる者はいないと来た。何が違う」

「療養しながら、元の工房に籍がある方は、別の紹介になります。雇い主が治療費を出す場合もありますから」


 仕事が残った者や、別の治療費を払える者は、ほかへ回る。そのどちらもない者の欄だけが、地図の丸へ繋がっていた。


「この条件は、誰から来た」

「診療所の運営窓口です。こちらで増やしたものはありません」


 男は同じ紙をもう一枚出し、受け取った日を帳面で確かめた。


 グラントが費用を尋ねると、男は受入れの印を指した。


「この確認が戻れば、取扱費が出ます。書類と使いの分です」

「一人ごとか」

「はい」


 診療所の紹介控えにも、紹介取扱費とあった。こちらでは、一人分ずつ支払いが記されている。


「患者の家へ渡す金とは、別だな」

「別です。家族への分をここで引くことはありません」


 署名する場所、送る者、家族へ金を渡す場所。それぞれに担当がいて、同じ番号で紙が進む。アルバは患者の行を指で押さえた。そこを通った人間の身体に何が起きたか、答える欄はなかった。男はその指を見て、「送り先の治療が、何か」と聞いた。


「一人、戻りたいと言っても戻れなかった。今は別の医師が診てる」

「中止すれば危険だという話ですか」


 男は、案内の危険性の項を探した。


「治療中は、医師の指示を受けるとあります」

「帰ったあとも必要な薬を貰える場所は、どこだ」


 男は紙を裏返した。裏には申込に必要な書類しかなかった。診療所へ尋ねる、と答えたので、アルバはその返事も残させた。ここにない答えを、男の口から作らせても役には立たなかった。


 受領用紙が揃う頃には、窓の光が卓を外れていた。袖をまくっていた男は、廊下で何か書いている。アルバはその手を見て、今すぐ行き先を止め、一覧の者を片っ端からこちらへ連れてくることを考えた。だが、移るための処置は、カイ一人の分でさえ、ニルと医師が何度も確かめていた。


「新しく紹介する時も、記録を残せ。渡した説明と、受け取った返事を分けろ」


 アルバは言った。


「引き継ぐ窓口も。紹介したら終わりにするな」


 男は頷き、給付の継続についても照会すると答えた。アルバが立つと、膝へ椅子の角が強く当たった。いつの間にか、机の方へ身体を寄せていた。


 


 外へ出ると、通りは洗った布の匂いがした。窓から窓へ渡した紐に毛布が掛かり、水を含んだ端が、戸の前まで垂れている。その下で二人の子供がしゃがんでいた。片方が籠を抱え、もう片方は毛布から落ちる滴を避け、肩を同じ壁へ寄せている。アルバは歩幅を緩めた。濡れた毛布の厚い匂いに、乾いていたはずの古い布の匂いが混じった。


 セインと使っていた毛布は、端が一度、縫い直されていた。毛が抜けたところでは向こうの明かりが透け、二人で肩まで上げると、足は外へ出た。セインが先に身体へ巻いてしまうので、アルバはその端を引き、背中の下へ入れた布まで取り戻した。「引くなよ」と言われても、離せば自分の肩が出る。二人とも横にならず、膝を腹へ寄せ、どちらの靴が濡れているかで足を置く場所を揉めた。セインの開いた爪先からは、灰色の指が見えた。


 その日のパンは、アルバが店の裏で取ったものだった。荷を運ぶ男が戻ってこないか、セインが角に立って見ていた。逃げる時にはセインへ渡したのに、隠れた壁の陰へ着くと、皮の厚い方はもう齧られていた。


「先に食うな」

「お前も、持ってる時は食うだろ」


 セインは口を動かしながら言った。


「俺が見てなきゃ、あそこで出られなかった」

「それ、半分よりでかい」


 取り合う手の中でパンが潰れ、割れた端から、柔らかいところだけが掌へ落ちた。


 アルバはそちらを先に口へ入れた。セインが服についた屑を払ったので、それも取ろうとすると、手を叩かれた。アルバが皮の残る方を取ると、セインは小さい方を握り、後でまた足りないと言った。どちらが余計に食べたか、次に取った時にも覚えているつもりだった。


 眠っているセインの服から、残してあった端を取ったこともある。逆に、朝まで置くつもりだったパンが、自分の腹へ押し込んだ布の中からなくなっていたこともあった。怒れば喧嘩になり、離れれば、一枚の毛布を持っている方だけが寒さを避けられた。夜、セインが肩を動かすと、縫い直された端がアルバの背から抜けた。アルバは肘で相手を押し、戻った布へ顎を埋めた。二人の息は毛布の内側で湿り、上げた膝の間だけ、少し暖かかった。


 荷車の軸が高く鳴り、アルバは毛布の下にいる子供へ目を戻した。籠には洗い物が入っていた。大きい方が立ち上がり、荷車を避けるために小さい方の肩を押した。二人とも、こちらを見てはいなかった。アルバは腰の袋へ伸ばしかけた手を下ろし、通る幅を空けた。グラントは少し先で、預かった紙を布に包んでいた。


「残りの家も、順に確かめます」キースが言った。

「今の住所で、人がいるかどうかを」


 アルバは地図の包みを受け取った。


「送られた者の家からだ。金が届いた日も聞け」

「人数は分けましょう」とグラントが言った。

「一軒で長く掛かる。今日と同じ話を、家族にも聞くなら」


 アルバは一覧の上から目を動かした。一人ずつ会い、何を言われたか聞けば、紙に書かれていないところを埋められる。最初の家へ行く道は、もう分かっていた。


     *


 家の戸を開けると、居間から少年の声が聞こえた。「それ、同じじゃん」と言う少年へ返すニルの声は、何かを説明している時の速さだった。アルバは戸を持ち上げて閉め、上着を脱いだ。廊下へ出てきた少年は、台所へ向かう途中で足を止め、腰の革帯を外す手を見てから、棚の方へ顔を戻した。内袋から、紙の角が少し出ている。少年はそこを肘で押さえ、空いていた器を取った。


 アルバが手を洗いに入ると、保存食の籠には、硬い焼きパンが一包みだけ残っていた。今朝はその上に二つあった。少年の襟の下へ入り込んだ屑が見え、アルバは、毛布の中で残りを確かめた手を思い出しかけた。だが、少年が器を卓へ置き、「ニルが、草を全部持ってくる」と言ったので、そちらへ顔を戻した。


「全部か」

「いっぱい。僕の独楽、回すとこない」

「卓で育ててるのか」

「切ったやつ。似てるのを並べて、違うって言う」


 アルバは買ってきたパンと干し果物を籠へ入れた。少年が包みを開け、中を見てから戻すあいだ、何をどれだけ部屋へ持っていったかは聞かなかった。内袋の角は、まだ押し込んだままだった。


 居間の卓には浅い皿が二つあり、葉のついた短い茎が並んでいた。窓側には独楽が立ち、その前に、少年が引いたらしい境目の紐がある。ニルは茎を一本ずつ、紙に描いた図のそばへ置いていた。研究院から来た日誌は脇へ重ねられ、皿の下には使わない紙が敷かれている。「これ、抜いてきたんですか」とニルが聞くと、少年は器を持ったまま、「道のとこ。掃く時に邪魔だった」と答えた。


「全部、邪魔だった草かもしれません。ですが、全部が同じ種類ということではなくて」

「だから、草だろ」


 アルバは地図を棚へ置き、卓に寄った。少年が一方の皿へ集めた葉には、細いものと、縁の丸いものが混じっていた。ニルはその中から二本を取り、葉のつき方が見える向きへ並べる。


「たとえば、こちらは一つの位置から両側へ出ています。こっちは、少しずつ位置がずれます。似た形でも、茎につく順番が違うでしょう」

「今、形で分けろって言った」

「形だけで全部を分けるとは言っていません。花や実も見ます」

「花、ないじゃん」


 少年は自分の皿を引き寄せた。ニルが押さえる前に、茎が二本、図の上から戻される。


「そうです。今は咲いていないので、ほかのところを見ないと」

「じゃあ、これは全部、花がない草」


 ニルは口を開き、一度、葉の方へ目を落とした。


「それも分け方ではありますが、知りたいことが変わります。同じ種かどうかを調べたい時に、今日花があるかだけで分けると、別のものが一緒になります」

「ニルだって、薬になるやつを一緒にしてる」


 少年は棚にある瓶を指した。


「あそこ、違う葉っぱだろ」

「使い方で分ける時は、そうします。ですが、その前に何という植物か分かっていないと、必要なものと、似ているだけのものを混ぜてしまいます」

「だから僕は、掃く時に邪魔なやつで分けたの」


 少年が皿を押すと、ニルはその端を押さえた。


「それは、君が掃いた場所で決まるでしょう。庭の隅にあれば、同じ草でもそちらへ入りません」

「隅なら邪魔じゃないから」


 アルバは二人の間にある紐を見た。葉が一本越えるたび、少年が自分の側へ押し戻している。


「結論」とアルバが言うと、ニルが顔を上げた。

「名前が違うのか」

「違います。ただ、今しているのは、どの特徴で分けるかという話で」

「なら、分けて置けばいいだろ」

「その分ける理由が」


 ニルが葉を持ち上げると、少年は椅子の背へ身体を預けた。


「あんたが聞いたら、短くなると思ったのに」


 アルバは空いている椅子を引いた。すぐ説明が終わらないことは知っていたが、少年の方も、もう同じくらい話していた。


 ニルは茎から葉の出る位置を描いた。少年は字を見ず、手元の茎を絵と同じ向きへ回した。


「こいつは、片方取れただけじゃないの」

「それなら、反対側に跡があります」

「下は」

「下の方にも」


 節を示されると、少年は隣の茎も持ち上げた。全部草だと言っていたのに、今は二本を裏返し、取れた跡を自分で探している。アルバは卓へ肘を置き、その指が止まるまで待った。


「こっちは、木?」


 少年が別の茎を押した。


「根元、硬い」

「硬さだけでは決まりません。草でも、根元が硬くなることがあります」

「朝顔も」

「ええ」


 ニルは紙へ戻り、今度は茎の断面を描き始めた。アルバが窓へ目を移すと、庭の石はもう暗くなっていた。


「飯にする」


 アルバが立つと、少年は皿を一枚、紐の向こうへ押し戻した。


「こいつらは、ニルの方」

「まだ、どれが同じか」

「後で見れば」


 少年は独楽を取り、図から離れたところへ紐を巻き始めた。ニルは戻された皿を手前へ置き直し、描きかけの断面だけを終えてから、インク瓶に蓋をした。アルバが鍋を温めているあいだに、卓へ椀を置く幅は空いた。葉は種類ごとに並び、端には、少年が残した、硬い茎ばかりの小さな山があった。


 煮込みをよそう時、ニルが横から盆へ手を出した。アルバは先に「ここへ置く」と言い、流しの空いたところへ下ろした。ニルはそのあとで、自分の椀を取った。手首は袖から出ていたが、アルバの手は、鍋の柄へ戻したままだった。あの夜に聞けなかったことも、数日前に隣で眠った理由も、今ここで説明する用事はない。ニルは湯を分けてよいか尋ね、やかんを竈の端へ寄せた。


 三つの椀を居間へ運ぶと、少年は独楽を止めた。「それ、食わないよな」と皿を見て言う。


「食べるものは入れていません。でも、形を覚えておけば」

「食べてる時にまで、草の話するなよ」


 パンを置くと、少年は先に一切れ取った。内袋の包みは残っている。汁へ浸した新しい方を食べる手は、セインのものより小さく、独楽を置いた側を時々気にしていた。


 アルバは自分のパンを割った。隣の皿へ置いた分を少年が食べても、何かが返ってくるわけではない。ニルが片づける草の話をすると、少年は「皿は返す。草は返さない」と言った。


「捨てないでください。明日も見ます」

「じゃあ、独楽のとこへ出すな」


 ニルが皿を寄せると、卓の真ん中に、パンの落ちた屑だけが残った。


 


 食事のあと、少年は椀を洗い、独楽を内袋へ収めて上がった。ニルも皿を窓辺へ移し、日誌を抱えた。


「その紙、広げますか」


 棚の地図を示され、アルバは頷いた。ニルは卓の残りの紙を取り、上へ向かった。階段を上がる足は、ふらついた夜のようには止まらなかった。自室へ入る音を聞いてから、アルバは地図の紐を解いた。


 灯を近づけると、昼に足した取扱費の窓口と、診療所の受付番号が、折り目の脇へ並んでいた。家族へ金を渡す場所にも印を入れ、その近くにある候補者の住所を確かめる。金は実際に払われ、紙には本人の名がある。職を探した控えへ戻れば、治療へ行く前に断られた日も残っていた。アルバは次に聞く家の順番を書きかけ、地図の下半分を広げ直した。


 パン屋の裏から三段の階段を抜け、排気口のある壁へ出る道が、丸の間に見えた。今朝、点を落とす時には、住所の文字を一つずつ確かめていた。その隙間を道として辿ると、冬に風を避けた壁も、夜番が替わるまで待った荷置場も、すぐに場所が分かった。セインと毛布を広げたところには、今は下宿屋の名がある。そこから川側へ指を動かしても、印の途切れる場所は少なかった。


 アルバは筆を置き、地図の巻き戻ろうとする端を掌で押さえた。被験者候補の住所を示す印は、かつてアルバが食べ物と寝る場所を探して歩いた範囲と、ほとんど重なっていた。

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