第9話 固定する男
「断る」
俺が答えると、ガンテツは眉一つ動かさなかった。
「理由を聞こう」
「黒翼竜と戦ったあとだ。疲れてる」
「疲労度を減らせると聞いた」
「腹も減ってる」
「料理なら作る」
「眠い」
「勝負は明朝だ」
「逃げ道を一つずつ塞ぐな」
「元騎士だからな。包囲は得意だ」
ガンテツは宙に固定した金貨を指でつまみ、卓へ戻した。
大きな体に似合わず、動きが妙に丁寧だ。
「なぜ俺と戦いたい?」
「確かめたい」
「何を」
「動かない数字を、お前がどう減らすかだ」
「無理だったら?」
「金貨は俺がもらう」
「元からお前の金だろ」
「勝てばお前のものだ」
卓の上で金貨が光っている。
宿代、食事代、新しい剣。
全部払っても余る。
「明朝、どこへ行けばいい」
「返事が早いですね」
ゼロナが呆れる。
「金貨一枚よ?」
「プラナ、お前までこちらを見るな」
◇
翌朝、ギルド裏の訓練場には人だかりができていた。
噂が広がるのが早すぎる。
昨日、黒翼竜を倒した《-1》と、元王国騎士の《固定》が戦う。
見世物としては悪くないらしい。
地面には直径二十メートルの円が描かれている。
円から出るか、降参した方が負け。武器は禁止。数式の使用は自由。
「殴り合うのか?」
「お前が望むなら」
ガンテツが拳を鳴らす。
俺の頭より大きい。
「遠慮しておく」
「賢明だ」
審判役のギルド職員が、俺たちを円の中央へ立たせた。
距離は五メートル。
「準備は?」
「できている」
「俺は帰る準備なら」
「始め!」
無視された。
ガンテツが右足を踏み出す。
「《固定》」
低い声が響いた。
【ガンテツの防御力:100・固定】
体の表面に、薄い鉄色の光が広がる。
「まずは試す」
俺はガンテツの防御力へ意識を向けた。
「《減算》」
赤い文字が弾ける。
《実行不能》
【防御力:100・固定】
「減らない」
「固定したからな」
「見れば分かる」
「なら、次を考えろ」
ガンテツが歩いてくる。
急ぐ様子はない。
防御力を固定した以上、俺の攻撃を警戒する必要がないのだ。
俺は後ろへ下がった。
「距離ならどうだ」
ガンテツまで四メートル。
「《減算》!」
【4m → 3m】
体が前へ引かれる。
ガンテツの目の前へ移動した。
太い腕が伸びる。
俺の襟をつかもうとした。
横へ転がって逃げる。
「自分から近づいてどうする!」
見物人から笑いが起きた。
俺も同じことを思う。
距離を減らすのは、相手から逃げる戦いに向いていない。
「なら、俺から近づかなくしてやる」
ガンテツが手を向けた。
「《固定》」
【吉田拓郎との距離:5m・固定】
空気が硬くなった。
目には見えない棒で、俺とガンテツをつながれたような感覚だ。
ガンテツが一歩進む。
俺の体が一歩分、後ろへ押された。
距離は五メートルのまま。
「面白いな」
「余裕があるのも今だけだ」
ガンテツがまた進む。
俺は円の外へ近づく。
背後の線まで八メートル。
七メートル。
「固定された距離を減らしてみろ」
「言われなくても」
五メートルの数字へ力を向ける。
「《減算》!」
《実行不能》
【5m・固定】
変わらない。
見物人から声が上がる。
「《-1》が封じられた!」
「やっぱり《固定》の方が上だ!」
ガンテツは歩き続ける。
背後の線まで五メートル。
俺とガンテツの距離も五メートル。
このまま直進されれば、円から押し出される。
「降参するなら今だ」
「金貨を置いていけ」
「まだ言うか」
「食事代が必要なんだ」
俺は周囲を見る。
減らせる数字を探す。
ガンテツの防御力。固定。
俺との距離。固定。
ガンテツの体重。固定されていない。減らせるが、一キロ軽くしても止まらない。
地面との摩擦。一減らした程度では転ばない。
別の数字。
背後の境界線まで、四メートル。
「《減算》!」
【境界線までの距離:4m → 3m】
俺の体が、一メートル後ろへ引かれた。
「自分から場外へ?」
見物人がどよめく。
だが俺は、まだ円の中だ。
ガンテツとの距離は五メートルで固定されている。
俺が一メートル動いた。
固定を守るため、ガンテツの体も一メートル後ろへ引かれた。
「むっ」
初めて、ガンテツの足が止まる。
「そうなるのか」
俺が境界へ近づけば、ガンテツも同じ方向へ動く。
俺を押し出そうとして固定した距離が、今はガンテツを引く縄になっている。
「考えたな。だが、お前の方が境界に近い」
その通りだ。
同じ方向へ動けば、先に外へ出るのは俺だ。
だから同じ方向には動かない。
俺は左側の境界を見る。
距離は七メートル。
「《減算》!」
【左境界までの距離:7m → 6m】
体が左へ飛ぶ。
固定された五メートルを保つため、ガンテツも左へ引かれた。
巨体が横へ一歩ずれる。
「ほう」
ガンテツが笑った。
「俺を動かすか」
「固定されているのは距離だけだ。方向までは止まってない」
俺とガンテツを結ぶ、長さ五メートルの見えない棒。
棒の長さは変えられない。
だが、棒全体を回すことはできる。
俺が円周を走れば、ガンテツも引かれる。
「それでも体格が違う」
ガンテツが両足を踏ん張った。
俺が引いても、今度は動かない。
逆にこちらが五メートルの距離へ戻される。
体が土の上を滑った。
「力比べなら負けるな」
「分かっているなら降参しろ」
「力比べはしない」
俺は正面の地面へ意識を向けた。
ガンテツの右足。
その靴底と地面の摩擦。
【右足の摩擦:82】
「《減算》!」
【82 → 81】
たった一。
普段なら何も変わらない。
だが今、ガンテツは全力で踏ん張っている。
左右の均衡をぎりぎりまで使っている。
右足だけがわずかに滑った。
「今だ!」
俺は斜め後ろの境界線を見る。
距離、二メートル。
「《減算》!」
【2m → 1m】
俺の体が斜めへ飛ぶ。
見えない棒が回転する。
右足を滑らせたガンテツは、踏ん張る方向を失った。
巨体が円を描くように振り回される。
一歩。
二歩。
三歩目が、境界線の外へ落ちた。
「そこまで!」
審判が旗を上げた。
「勝者、吉田拓郎!」
訓練場が沸いた。
俺は円の内側で尻もちをつく。
ガンテツは場外に立ったまま、自分の右足を見ていた。
「摩擦を一減らしたな」
「それだけだ」
「固定を破ったわけではない」
「破れなかったから使った」
ガンテツが大声で笑った。
「気に入った!」
地面が震えそうな声だ。
ガンテツは円の中へ戻り、俺へ手を差し出した。
「金貨はお前のものだ」
「話が分かるな」
「それと、俺をお前たちの一行へ入れろ」
「話が飛んだな」
手を借りて立ち上がる。
「なぜ俺たちなんだ?」
「古代観測塔を調べていると聞いた」
笑っていたガンテツの顔が変わった。
「俺が王国騎士を辞めた理由は、七年前に消えた調査隊だ」
「消えた?」
「北の遺跡へ向かった二十人が、誰一人戻らなかった。王国は魔物の襲撃として処理した」
「違うのか?」
「遺品の盾に、四つの記号が刻まれていた」
《+》《-》《×》《÷》。
俺たちが塔で見たものと同じだ。
「騎士団は調査を止めた。理由も明かさない。だから辞めた」
「俺たちと来れば、答えが見つかると思うのか」
「少なくとも、退屈はしない」
ガンテツが俺の肩を叩く。
膝が折れそうになった。
「力加減を覚えろ」
「善処する」
◇
ガンテツが仲間になって最初にしたことは、夕食を作ることだった。
ギルド裏の借家。
俺たちの新しい拠点だ。
台所から、香草と焼いた肉の匂いが漂ってくる。
「何、これ」
プラナが皿を見て目を輝かせた。
鶏肉の表面は香ばしく焼け、中には刻んだ茸とチーズが詰めてある。横には色とりどりの野菜が並んでいた。
「鶏の香草焼きだ」
「元騎士だよな?」
「遠征でまずい飯を食い続けた。自分で作った方が早い」
「今日まで、食事を栄養摂取だと思っていました」
ゼロナが真剣な顔で肉を切る。
「人生を何割か損してたわね」
「現在までの食事回数を考えると、損失は――」
「計算しなくていい」
俺は一口食べた。
柔らかい肉から、熱いチーズが流れ出す。
「うまい」
「そうか」
ガンテツは満足そうにうなずいた。
「これだけで仲間にした価値がある」
「戦力として見なさいよ」
プラナが二切れ目へ手を伸ばす。
「お前が言うな」
久しぶりに、落ち着いた夜だった。
黒翼竜も、古代の謎も、今だけは忘れていい。
そう思った瞬間。
窓ガラスに、赤い線が走った。
「伏せろ!」
ガンテツが立ち上がる。
赤い線が複雑な円を描き、魔法陣へ変わった。
中心にいるのはゼロナだ。
彼女の頭上へ、見たことのない数字が浮かぶ。
【標的:ゼロナ】
【術式完成まで:1秒】
窓の外に人影はない。
誰かが、遠くからゼロナを殺そうとしている。
「ガンテツ、固定しろ!」
「無理だ! 変化が速すぎて認識できん!」
一秒。
俺が能力を使うより早く、数字がゼロへ近づく。
時間は待ってくれない。
だから俺は、その時間から一を引いた。




