第10話 ゼロ秒
「《減算》!」
【術式完成まで:1秒 → 0秒】
魔法陣が完成した。
当然だ。
完成までの時間をゼロにしたのだから、待ち時間はなくなる。
「しまっ――」
赤い光がゼロナへ降り注いだ。
ガンテツが間へ飛び込む。
「《固定》!」
【防御力:100・固定】
光が鉄板のような背中を直撃した。
爆発。
窓が吹き飛ぶ。
食卓がひっくり返り、皿と料理が宙を舞った。
俺は壁へ叩きつけられた。
息ができない。
耳鳴りの向こうで、誰かが叫んでいる。
「拓郎! 起きて!」
プラナに肩を揺さぶられた。
「ガンテツは?」
「生きてる!」
煙の中に、大きな背中が見えた。
ガンテツは片膝をつき、ゼロナをかばっている。外套は焼け落ちていたが、体には大きな傷がない。
固定した防御力が攻撃を受け止めたらしい。
「悪い」
俺は立ち上がった。
「俺が発動させた」
「反省はあとだ」
ガンテツが振り返る。
「術者を探せ。次が来る」
ゼロナは無事だった。
割れた丸眼鏡を外し、床に残る魔法陣を見ている。
「追跡できます」
「分かるのか?」
「術式には、術者と標的を結ぶ魔力の線があります」
金色の瞳が光った。
ゼロナが窓の外を指す。
「北東。距離、八百十二メートル。時計塔です」
「走るぞ」
「待って」
プラナがガンテツの背中へ手を当てた。
「《加算》」
【体力:68 → 69】
「一だけか」
「嫌なら返して」
「無理なのは知っている」
ガンテツが立ち上がる。
俺たちは燃える部屋を飛び出した。
◇
夜の大通りを走る。
時計塔まで八百メートル。
距離を減らせば、一回につき一メートル縮められる。
それでは遅い。
「ゼロナ! 単位を変えろ!」
「八百メートルは、〇・八キロです。一未満なので引けません!」
「都合よくはいかないか!」
「ですが、区画で数えられます! 時計塔まで八区画!」
視界の数字が変わる。
【時計塔まで:8区画】
「《減算》!」
【8区画 → 7区画】
景色が飛んだ。
四人の体が、次の交差点まで一気に引かれる。
「全員来たな?」
「私まで巻き込まないで!」
プラナがよろける。
「同じ目的地へ向かっていたから、四人まとめて動いたんです!」
ゼロナは興奮している。
「移動対象の単位は、人ではなく一行として認識された可能性が――」
「走りながら話せ!」
時計塔が近づく。
同じ距離には一分待たなければ使えない。
だが交差点を越えるたび、次の区画との距離は新しい対象になる。
「《減算》!」
七区画が六区画へ。
また景色が飛ぶ。
六から五。
五から四。
夜道を折りたたむように、俺たちは移動した。
四回目で頭に痛みが走る。
鼻から血が落ちた。
「拓郎、止めて!」
「あと四区画だ」
「体がもたないわ」
「術者を逃がす方がまずい」
ガンテツが俺の肩をつかんだ。
「ここからは走る。力は残せ」
反論する間もなく、俺を肩へ担ぐ。
「自分で走れる!」
「お前が一番遅い」
「事実でも言い方があるだろ!」
ガンテツは俺を担いだまま走った。
プラナとゼロナが後ろに続く。
時計塔の入口は開いていた。
中へ飛び込む。
らせん階段が上へ伸びている。
上から、男の声が降ってきた。
「追いつくとは思わなかった」
直後、階段へ赤い魔法陣が浮かんだ。
【炎槍発動まで:3秒】
「来るぞ!」
ガンテツが前へ出る。
「《固定》!」
【炎槍発動まで:3秒・固定】
数字が止まった。
三。
減らない。
魔法陣は赤く光ったまま、発動しない。
「時間を固定できるのか?」
「お前が数字を見せたからな」
ガンテツが魔法陣を踏み越える。
「便利すぎないか?」
「固定中、俺もこの場から動けん」
見ると、ガンテツの両足は階段へ縫いつけられたように止まっている。
「先へ行け。三十秒が限界だ」
「三人で?」
「心配するな。時間切れの前に解除する」
「解除したら発動するぞ」
「防御力も固定する」
「二つ同時に?」
「元王国騎士をなめるな」
頼もしい。
俺たちは階段を駆け上がった。
◇
時計塔の最上階。
巨大な鐘の下に、灰色の法衣を着た男が立っていた。
年は四十前後。痩せた顔に、細い傷が縦へ走っている。
足元には十を超える魔法陣が並んでいた。
「ゼロナ・ノクス」
男が彼女を見る。
「観測塔から持ち出した記録を渡せ」
「あなたは誰です?」
「名乗るほどの者ではない」
「では、ナナシと呼びます」
「好きにしろ」
「覚えやすいな」
「本人も受け入れたわね」
男――ナナシは不快そうに杖を上げた。
「記録を渡せば、ほかの三人は見逃す」
「私だけは殺すんですか?」
「見てはいけない数字を見た」
「世界が増えていること?」
ナナシの目がわずかに動いた。
答えを言ったようなものだ。
「誰の命令だ」
俺が尋ねる。
「知る必要はない」
ナナシが杖を振り下ろした。
床の魔法陣が一斉に光る。
【氷刃発動まで:5秒】
【雷撃発動まで:4秒】
【炎弾発動まで:3秒】
【拘束鎖発動まで:2秒】
四つの数字が減り始める。
「多すぎる!」
「全部止めるのは無理よ!」
プラナが杖を構える。
俺は最も短い数字を見る。
拘束鎖、残り一秒。
さっきと同じだ。
一を引けばゼロになる。
発動する。
だから引いてはいけない。
「右へ逃げろ!」
三人で跳ぶ。
黒い鎖が床から伸びた。
ぎりぎりでかわす。
次は炎弾。
残り一秒。
避ける場所がない。
「《加算》!」
プラナが杖を向ける。
【炎弾発動まで:1秒 → 2秒】
「時間を足した!」
「二秒あれば避けられる!」
柱の陰へ飛び込む。
炎弾が発動し、石の床を吹き飛ばした。
続いて雷撃。
残り二秒。
氷刃は三秒。
プラナの《加算》は、一つの術式に使ったばかりだ。
同じ対象ではない。もう一つには使える。
だが、二つを順番に一秒遅らせても、逃げ続けるだけだ。
ナナシは次の魔法陣を作っている。
こちらの手数が足りない。
時間を減らせば敵を助ける。
時間を足せるのはプラナだけ。
「失敗した能力は使わないのか?」
ナナシが笑う。
「完成を早めてくれて助かった。おかげで盾の男ごと殺せるところだった」
腹が立つ。
だが、言っていることは正しい。
俺は敵の魔法を完成させた。
あのときはガンテツが受けてくれた。
次は誰が受ける。
プラナか。
ゼロナか。
そんな賭けはできない。
雷撃、残り一秒。
「プラナ!」
「分かってる!」
「足すな!」
「え?」
俺は雷撃の魔法陣を見た。
光は強い。術式は完成している。
発動させれば危険だ。
だから、これは避ける。
三人で床へ伏せた。
雷が頭上を走り、鐘へ直撃する。
大音響が塔を揺らした。
氷刃は残り一秒。
こちらも完成している。
減らさない。
柱の裏へ転がる。
無数の氷が壁へ突き刺さった。
「結局、逃げるだけか」
ナナシが新しい魔法陣を描く。
俺は、その手元を見る。
今までの魔法は、床に完成した状態で並んでいた。
準備が終わっていた。
だから発動までの時間をゼロにすれば、そのまま撃たれた。
今、ナナシが作っている術式は違う。
外側の円だけ。
狙いも、威力も、放つ方向も決まっていない。
それなのに数字は出ている。
【爆炎術式・完成まで:1秒】
完成まで一秒。
まだ完成していない。
なら、その一秒を奪ったら?
「《減算》」
【1秒 → 0秒】
未完成の魔法陣が発動した。
円の中に集められていた炎が、行き先を失う。
ナナシの目が見開かれた。
「馬鹿な!」
爆発。
炎が術者の足元から噴き上がった。
ナナシが吹き飛び、鐘へ叩きつけられる。
杖が床を滑った。
「同じことをしたのに……」
プラナがつぶやく。
「違う」
俺は立ち上がる。
「完成した魔法を早めれば、敵を助ける」
煙の中へ歩く。
「未完成の魔法を早めれば、失敗させられる」
ナナシが起き上がろうとする。
【体力:8】
まだ生きている。
俺は杖を拾い、遠くへ蹴った。
「終わりだ」
「終わり?」
ナナシが血の混じった唾を吐く。
「もう始まっている」
「何がだ」
「増加は止まらない。世界は豊かになる。お前たちが何を減らそうと」
法衣の胸元から、金色の円盤が落ちた。
太陽にも、無限に広がる輪にも見える紋章だ。
「誰に命令された」
ナナシは答えない。
代わりに、口元を歪めた。
「お前はまだ、ゼロが終わりだと思っている」
嫌な予感がした。
ゼロナの瞳が金色に光る。
「拓郎! 床の下です!」
足元を見る。
爆発で割れた石床の奥。
完成済みの魔法陣が隠されていた。
【発動まで:0秒】
すでにゼロ。
減らす時間がない。
魔法陣から黒い槍が飛び出した。
狙いはゼロナ。
俺は遠い。
ガンテツはまだ階段の下だ。
プラナが動いた。
ゼロナを突き飛ばし、その前へ立つ。
「プラナ!」
黒い槍が、彼女の胸を貫いた。
白い服が赤く染まる。
プラナの体が、ゆっくりと倒れた。
視界に数字が浮かぶ。
【体力:1】
そして。
【残り時間:60秒】




