第8話 白銀の牙
塔の外は燃えていた。
黒い翼が風を起こすたび、炎が森を走る。
魔物は大きなトカゲに翼を生やした姿をしていた。頭から尾まで十五メートル。二本の後ろ脚で地面を蹴り、上空へ舞い上がる。
【黒翼竜】
【体力:1280】
【攻撃力:604】
【防御力:370】
【重量:18t】
「ゴーレムより軽いな」
「比較する相手がおかしいわよ」
プラナが杖を構える。
ゼロナは扉の陰から竜を見上げた。
「翼竜種です。厳密にはドラゴンではありません」
「どちらでもいい。火を吐くなら同じだ」
「分類は大事です」
「今する話じゃない!」
黒翼竜が大きく息を吸った。
喉の奥が赤く光る。
「伏せろ!」
俺たちは塔の中へ飛び込んだ。
炎が入口を横切る。
熱風に髪を焼かれ、焦げた匂いが鼻を突いた。
外からバイロンの声がする。
「《倍化》!」
銀色の斬撃が黒翼竜の脚を捉えた。
硬い鱗が裂け、血が飛ぶ。
だが傷は浅い。
黒翼竜は尾を振った。
バイロンが剣で受ける。
体ごと吹き飛ばされ、木の幹へ叩きつけられた。
「バイロン!」
ココラが矢を放つ。
黒翼竜は翼を盾にした。
矢が弾かれる。
ジンの盾は半分欠けていた。左脚から血を流しながら、それでも仲間の前に立っている。
三人とも傷だらけだ。
「助けるわよね」
プラナが俺を見る。
「聞くまでもない」
「追放されたのに?」
「それと、目の前で死なせるのは別だ」
俺は塔から飛び出した。
「拓郎!」
ジンが気づいた。
バイロンも顔を上げる。
一瞬、驚きが浮かぶ。すぐに消えた。
「なぜここにいる!」
「観光だ!」
「こんな場所へ来る馬鹿があるか!」
「お前にだけは言われたくない!」
黒翼竜が旋回する。
狙いは地上に固まった俺たちだ。
「散れ!」
バイロンと同時に叫んだ。
全員が走る。
炎が地面へ突き刺さった。
土が焼け、草が一瞬で灰になる。
「拓郎、下がれ!」
「今は人数が必要だろ!」
「戦える武器もない奴が増えてどうする!」
「ある!」
俺は右手を見せた。
「何も持ってないじゃない!」
ココラの指摘は正しい。
「《-1》がある!」
「それでどうにかなる相手じゃない!」
バイロンが言い切った。
前なら、黙るしかなかった。
今は違う。
「それを決めるのは、使ってからだ!」
黒翼竜へ意識を向ける。
攻撃力604。
防御力370。
どちらを減らしても意味がない。
そんなことは、もう知っている。
俺は翼を見る。
「ゼロナ! 部位ごとの重さ!」
「共有します!」
金色の光が視界へ重なる。
【右翼:3t】
【左翼:3t】
【胴体:9t】
【頭部:1t】
【尾:2t】
空中で、黒翼竜が翼を広げる。
「《減算》!」
【右翼:3t → 2t】
右翼が一トン軽くなった。
左右の翼が同時に打ち下ろされる。
軽い右翼だけが速く動いた。
黒翼竜の体が右へ傾く。
炎が俺たちから外れ、森の上を横切った。
「飛び方が狂った?」
バイロンが目を見開く。
「プラナ、反対を重くしろ!」
「一トンも増やして平気?」
「平気じゃないからやる!」
プラナが左翼へ杖を向けた。
「《加算》!」
【左翼:3t → 4t】
左右差は二トン。
黒翼竜が大きく傾いた。
片翼が地面をこする。
木をなぎ倒し、土煙を上げながら墜落した。
「落ちたぞ!」
「ジン、頭を押さえろ! ココラ、目を狙え!」
バイロンが走る。
判断が速い。
ジンが残った盾を黒翼竜の顎へ叩きつける。
ココラの矢が右目へ刺さった。
バイロンが傷ついた脚へ斬り込む。
「《倍化》!」
刃が鱗を割り、深く食い込んだ。
黒翼竜が絶叫する。
これで終わるかと思った。
甘かった。
翼竜の尾が地面を払う。
ジンとバイロンが跳ね飛ばされた。
ココラは避けたが、弓を落とした。
黒翼竜が立ち上がる。
翼の重さは違ったまま。それでも地上なら動ける。
赤い目が俺を捉えた。
「怒ってるな」
「翼をいじられたら、誰でも怒ります」
「ゼロナ、感想じゃなくて弱点を!」
「全身が硬すぎます! 今の装備では致命傷を与えられません!」
黒翼竜が突進する。
俺は塔の入口へ下がった。
武器はない。
距離を一減らしたところで、竜の口へ近づくだけだ。
プラナが隣へ来る。
「逃げる?」
「扉は開いてる」
「ほかの三人は?」
「置いていけない」
「そう言うと思った」
プラナが笑い、杖を握り直した。
黒翼竜との距離、十二メートル。
十メートル。
八メートル。
速い。
横へ避けても尾に払われる。
後ろは塔だ。
塔。
俺は入口の中を見る。
倒れたゴーレム。
その右腕が、床に転がっている。
重さ十トン。
さっきの戦いで肩から外れ、入口へ向かう緩い斜面の上に載っていた。
重すぎて動かない。
だが重さを減らす必要はない。
「プラナ、竜を入口の正面へ誘え!」
「私を餌にする気?」
「俺も一緒だ!」
「二人とも餌じゃない!」
俺たちは入口の左右へ分かれた。
黒翼竜が速度を上げる。
六メートル。
四メートル。
俺はゴーレムの腕へ意識を向けた。
【床との摩擦:74】
「岩と同じだ」
一分ごとに減らしている暇はない。
七十四から七十三では動かない。
単位を変える。
ゼロナから学んだ。
七十四という細かな数字ではなく、もっと大きな一として捉える。
滑りにくさを、百分率ではなく段階で見る。
強い。普通。弱い。
三段階。
今は【強い:3】。
いや、これは数字ではない。
無理やり置き換えただけだ。
視界が赤く明滅する。
《認識不成立》
「駄目か!」
黒翼竜が目前まで来る。
普通に能力を使うしかない。
「《減算》!」
【摩擦:74 → 73】
ゴーレムの腕が、ほんのわずかに動いた。
足りない。
「拓郎!」
プラナが叫ぶ。
黒翼竜の口が開く。
喉の奥に炎が集まっていた。
一秒後、俺たちは焼かれる。
何を減らす。
炎の温度?
一度では足りない。
竜との距離?
近づくだけだ。
ゴーレムの腕との距離。
今、黒翼竜は入口へ踏み込んだ。
斜面の上にある石の腕まで、二メートル。
距離を一減らせば、一メートル。
だが腕は動かない。
違う。
動かす必要はない。
黒翼竜の方を、腕へ近づければいい。
「《減算》!」
【黒翼竜からゴーレムの右腕まで:2m → 1m】
巨体が一メートル奥へ引かれた。
黒翼竜の前脚が、石の腕へぶつかる。
走る勢いのまま乗り上げた。
十トンの腕が滑り台になる。
竜の体が宙へ浮いた。
「プラナ、距離を足せ!」
「どこに?」
「竜と地面!」
プラナが杖を振る。
「《加算》!」
【黒翼竜から地面まで:1m → 2m】
浮き上がった巨体が、さらに一メートル持ち上がる。
黒翼竜は翼を広げようとした。
左右の重さが違う。
体が横へ回る。
上下が逆になった。
「今だ!」
十八トンの巨体が、背中から地面へ落ちる。
腹が上を向いた。
鱗の薄い場所が、完全にさらされる。
バイロンが立ち上がった。
口元の血を拭い、剣を両手で握る。
「ジン!」
「分かってる!」
ジンがバイロンの足元へ盾を置いた。
バイロンは盾を踏み台にして跳ぶ。
ココラが最後の矢を放った。
矢が黒翼竜の喉へ刺さる。
赤い一点。
バイロンの剣が、そこへ振り下ろされた。
「《倍化》!」
刃が喉を貫く。
黒翼竜の体が大きく跳ねた。
地面を叩いていた尾が止まる。
炎が消えた。
◇
森に、焦げた木の匂いが漂っていた。
黒翼竜は動かない。
俺たち六人も、しばらく動けなかった。
最初に口を開いたのはココラだ。
「拓郎、本当に……拓郎?」
「名前は変わってない」
「戦い方が変わりすぎでしょ」
「剣はなくなったけどな」
「前から剣は下手だったじゃない」
「久しぶりに会って最初に言うことか?」
ジンが笑った。
笑った拍子に脇腹が痛んだらしく、顔をしかめる。
プラナが近づき、体力を一足した。
「一だけか?」
「文句があるなら返して」
「返せるのか?」
「無理」
「じゃあ、ありがたくもらう」
バイロンは少し離れた場所に立っていた。
剣を鞘へ戻し、俺を見る。
「今のは、お前がやったのか」
「六人で倒した」
「質問に答えろ」
「竜を落としたのは、俺とプラナだ。数字を見せたのはゼロナ。最後に倒したのはお前たちだ」
「そうか」
短い返事だった。
喜んでいるようにも、悔しがっているようにも見える。
「お前の《-1》は、誤差じゃなかったんだな」
俺は胸の奥が熱くなるのを感じた。
三か月前、言い返せなかった言葉だ。
今なら、好きなだけ勝ち誇れる。
けれど、口から出たのは別の言葉だった。
「いや、誤差だよ」
バイロンの眉が動く。
「一トン。七十三分の一。たった一メートル。どれも誤差だ」
俺は倒れた黒翼竜を見た。
「使う場所が合えば、誤差でもひっくり返せる」
バイロンは何も言わなかった。
やがて、小さく息を吐く。
「今日は助かった」
「貸しにしておく」
「高くつきそうだな」
「銀貨十枚くらいだ」
「安いな」
「本当は今、銅貨十二枚しかない」
バイロンが初めて笑った。
◇
黒翼竜の討伐報酬は、金貨三枚だった。
六人で分けても銀貨五十枚ずつ。
人生で初めて持つ大金だ。
リーネのギルドへ戻ると、職員たちが入口まで迎えに出た。
黒翼竜は周辺一帯の討伐対象になっていたらしい。《白銀の牙》は別の依頼で森へ入り、偶然遭遇したという。
俺たちの証言とゼロナの記録により、討伐は六人の共同功績になった。
俺の冒険者証から、《冒険者不適格》の刻印が削られる。
代わりに入った文字は、
《冒険者ランク:D》
最低より一つ上。
「一つ上がったな」
プラナが俺の証をのぞき込む。
「あなたらしい上がり方ね」
「次は二つ上げたい」
「主義がぶれてるわよ」
その夜、ギルドの酒場で簡単な祝宴が開かれた。
《白銀の牙》は別の卓にいたが、ココラは何度もこちらへ料理を持ってきた。ジンは酒を一杯おごってくれた。
バイロンは来なかった。
気まずいのだろう。
俺も、今すぐ何もなかった頃へ戻れるとは思っていない。
それでいい。
減らした距離を、慌ててゼロにする必要はない。
「吉田拓郎はいるか」
酒場の扉が開いた。
冷たい夜風と一緒に、大男が入ってくる。
禿げ上がった頭。岩のような肩。背負った鉄板は、盾なのか調理器具なのか分からない。
男は俺たちの卓まで来ると、金貨を一枚置いた。
「黒翼竜を落とした《-1》は、お前だな」
「六人で倒した」
「聞いている。だから、お前だけを試しに来た」
男が名乗る。
「ガンテツ。元王国騎士だ」
酒場が静まり返った。
「俺の数式は《固定》。数字を動かさせない力だ」
ガンテツは金貨を指で弾いた。
硬貨が宙で止まる。
落ちない。
回らない。
完全に固定されている。
「減らす男と、動かさない男」
太い指が俺を指した。
「どちらの数式が上か、勝負しろ」




