第22話 世界滅亡まで、1
朝日は昇らなかった。
王都の空を、金色の光が埋めている。
大聖堂から伸びた光の糸が、東西南北へ走っていた。山を越え、海を渡り、世界中の魔力を吸い上げている。
街路樹が枯れる。
井戸の水が減る。
人々は膝をつき、息を切らした。
その頭上から、数字が一つずつ奪われていく。
【生命力:18 → 17】
【魔力:6 → 5】
【体温:37 → 36】
「全員から少しずつ取る気か」
「一人を殺さないためでしょう」
ゼロナの声が固い。
「今は一ずつです。でも必要量が足りなければ、二周目が来ます」
管理室を塞ぐ金色の壁へ、ガンテツが拳を打ち込んだ。
びくともしない。
【障壁強度:999】
「拓郎。減らせるか」
「一回に一だ。九百九十九回待ってくれるならな」
「三回目の吸収が先に来るわね」
プラナが杖を握り直す。
壁の向こうでは、インフィニアが一人で世界地図を支えていた。
顔を上げない。
「インフィニア!」
俺は壁を叩いた。
「生命力を戻せ。ほかの方法を探す」
「探す時間は終わった」
「あの数字の単位も分かってない!」
「だから最悪に備える!」
金色の光が強くなった。
「私はもう、見送らない」
その言葉だけは、怒鳴り声ではなかった。
「飢えて死ぬ子も、病で消える村も、世界そのものも。今度こそ、すべて救う」
六百年前。
目の前で死んでいく人々へ、一つずつ足した若い神。
あのとき誰かを選んで見捨てていたら、インフィニアは壊れなかったのかもしれない。
全員を救えたから、全員を救う以外の選択ができなくなった。
「気持ちは分かる」
俺は言った。
「でも、勝手に命を使われる側は納得しない」
「納得は要らない。生き残れば、憎める」
「お前をか」
「それでいい」
◇
轟音が大聖堂を揺らした。
天井から粉が落ちる。
「王国軍の攻城魔法です」
ゼロナが壁越しに数字を読む。
「北門にも帝国軍。西から獣人連合。南門は冒険者が突破しました」
「全世界が攻めてきたわけね」
「敵の目的は同じです。吸収を止めること」
「だったら話は早い」
俺たちは管理室を出た。
大聖堂の回廊には、金色の騎士が並んでいた。
インフィニアが作った守護兵だ。
百体。
そのすべてに、同じ数字が浮いている。
【防御回数:10】
「一体ずつ十回殴るの?」
「千回です」
「嫌になる数字ね」
先頭の守護兵が剣を振り上げた。
その刃が、途中で止まる。
「《固定》」
ガンテツが剣の位置を空中へ縫いつけていた。
「走れ」
守護兵の間を抜ける。
二体目が槍を突く。
距離を見る。
【槍先まで:3メートル】
「《減算》」
【3 → 2】
槍が届く前に、俺の体が一メートル先へ滑った。
床を蹴る。
三体目の足元へ入り、膝の曲がる角度を一度減らす。
巨体が傾いた。
「《加算》!」
プラナが床の傾斜を一度足す。
守護兵は後ろの列へ倒れ込み、十体まとめて転がった。
「相性いいでしょ!」
「今それを言うのか!」
「今だからよ!」
少し笑えた。
世界が終わるかもしれない朝に、笑えた。
◇
大聖堂の正面扉が吹き飛んだ。
白い鎧の男が、煙の中から転がり込む。
「格好よく入る予定だったんだがな!」
「バイロン?」
元《白銀の牙》の隊長、バイロン・ヴァルガが立ち上がった。
後ろにはマメタと、見覚えのある仲間たちがいる。
「世界の危機だぞ。俺たちが来なくてどうする」
「お前、俺を追放しただろ」
「だから迎えに来た。帳尻は合う」
「合ってない」
バイロンが笑い、守護兵の盾を受け止めた。
「誤差は任せた!」
「その呼び方をやめろ!」
マメタが横から守護兵の足を払う。
「拓郎、上へ行け! こいつらは俺たちが止める!」
「死ぬなよ」
「お前に言われたくない!」
階段へ向かう。
今度は黒い矢が頭上を通り、追ってきた守護兵の額へ刺さった。
命中率は九十九パーセント。
「一発目は当たりだ」
柱の上で、ヒャクが弓を引いていた。
「お前、処分を受けたはずだろ」
「王国軍の監視つきで一時釈放だ。世界が残っていたら、終わったあと牢へ戻る」
「二発目は?」
「知らん。だから面白い」
かつて必中を奪われた男は、楽しそうに二本目を放った。
外では飛竜の咆哮が響く。
王国軍の飛竜が金色の糸を噛み切り、その背からナナシが魔法を撃ち込んでいた。彼も手首に封印具をつけたままだ。
「あいつまで出したのか」
「使える戦力は全員使う方針なのでしょう」
南の広場ではエインが負傷者を運んでいる。
もう不死ではない。
あと三年しか生きられない男が、誰より危険な場所を走っていた。
「みんな来たわね」
プラナが目を細める。
「俺たちだけで世界を救う話じゃなかったらしい」
「最初からそうです」
ゼロナが言った。
「世界とは人数です。一人ではありません」
◇
最上階への階段が消えていた。
正確には、上へ伸び続けている。
【階段段数:1000】
俺たちが一段上がるたび、先に一段増える。
「足すところを間違えてるだろ、あの神」
「通したくないのでしょう」
「段数を減らしても追いつかないわよ」
ガンテツが階段へ手を置いた。
「増える前の段数を固定する」
「一瞬しか持たないぞ」
「一瞬あればいい。お前が距離を減らせ」
ガンテツの腕に血管が浮く。
「《固定》!」
【階段段数:1000】
増加が止まった。
俺は最上階までの距離を見る。
千段ではない。
高さだ。
【俺から管理室まで:30メートル】
「《減算》」
【30 → 29】
景色が跳ぶ。
俺の体だけが、一メートル上へ移った。
プラナの手を引き、彼女から管理室までの距離を見る。
【プラナから管理室まで:30メートル】
「《減算》」
【30 → 29】
今度はプラナの体が、一メートル上へ移った。
同じ対象には一分の間を空けなければならない。
なら、対象を分ける。
ゼロナから。
ガンテツから。
建物の一階と最上階の差。
階段の縦の長さ。
手すりの終点まで。
存在する距離を、一つずつ引く。
目の奥が焼けた。
鼻血が落ちる。
「拓郎、もういい!」
「まだ二十一メートルある!」
「私が足す!」
プラナが俺の背を押した。
【移動速度:7 → 8】
足が軽くなる。
ガンテツが最後の力で階段を固定し、ゼロナが最短の数字を叫ぶ。
「右の壁! 厚さ一です!」
「それを先に言え!」
壁の厚み。
【1メートル】
「《減算》」
【1 → 0】
壁が消えた。
俺たちは管理室へ転がり込んだ。
◇
世界地図が燃えていた。
火ではない。
集められた命と魔力が、金色の嵐になって渦を巻いている。
中心に立つインフィニアの腕は、ひじまでひび割れていた。
「止めろ!」
「止めれば容量が尽きる!」
「先に世界中の人間が尽きる!」
「死者は出さない!」
「もう出てる!」
ゼロナが叫んだ。
「北方で十七人。海上で四人。吸収による体温低下です」
インフィニアの手が止まりかける。
だが、世界地図の上で数字が明滅した。
【世界滅亡まで:1】
神はまた手を伸ばす。
「二十一人なら、私があとで戻す」
「戻すな!」
俺の声に、インフィニアが振り向いた。
「死んだ人間を足しても、同じ人間じゃない。お前はそれを知ってるだろ!」
再構築を九百九十八回見てきた神だ。
体を作り直せても、今の命は戻らない。
インフィニアの顔が歪んだ。
「では、どうしろと言う!」
「だから調べに来た!」
ゼロナが世界地図へ飛びつく。
数字を見る力を最大まで開いた。
両目から血が流れる。
「表示が省略されています」
「何?」
「管理権限の封鎖で、私たちには一部しか見えていません」
「解除しろ、インフィニア!」
「解除すれば加算が止まる!」
「一秒でいい!」
ガンテツが地図へ手を置く。
「その一秒は、俺が固定する」
インフィニアを見る。
神は迷った。
外から砲撃が響く。
世界のどこかで、また一つ命の数字が消えた。
インフィニアが歯を食いしばり、右手を握った。
金色の糸が止まる。
「一秒だけだ!」
「《固定》!」
ガンテツが、その一秒を動かなくする。
封鎖が解けた。
ゼロナの目に、すべての数字が流れ込む。
「見えました」
「単位は?」
「日でも、時間でもありません」
省略されていた文字が浮かぶ。
【世界滅亡可能回数:1】
管理室から音が消えた。
「滅亡するまで、一じゃない」
ゼロナが息をのむ。
「この世界が――滅びられる回数です」
世界にはまだ、滅亡が一回残っていた。




