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冒険者失格  作者: 藤崎聖子


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第20話 減算者

 マグナが消えたあとも、王都の混乱は終わらなかった。


 巨大化した木が建物を押し倒している。


 増えた水が地下道からあふれ、広場へ流れ込む。


 大聖堂は階層間の距離を失い、三百二十層が六層分の高さへ押し込まれていた。


「最後のは俺のせいだな」


 俺は大聖堂を見上げた。


「便利になったんじゃない?」


 プラナが言う。


「最上階まで六階で行けるわ」


「床と天井が近づいて、半分は入れん」


 ガンテツが戻ってきた。


 鎧には傷が増えているが、大きな怪我はない。


「料理に間に合ったな」


「台所が無事ならな」


 ガンテツが俺の肩へ手を置く。


 触れられたことは見える。


 重さも温かさも分からない。


「感覚は?」


「戻ってない」


「そうか」


 それ以上、何も言わなかった。


 インフィニアが広場の中央へ進む。


 マグナが消えたことで、管理権限は元へ戻っていた。


「《無限加算》」


 倒れた建物の耐久値が増える。


 負傷者の体力が戻る。


 割れた水道管が修復される。


「待て」


 俺が止める。


「また増やすのか」


「今は人命を優先する」


「分かってる。でも壊れたものを全部、前より丈夫にしたら同じことになる」


 インフィニアの手が止まる。


「必要な分だけにする」


「できるのか?」


「君が教えてくれるなら」


 俺には見える。


 必要な耐久値。


 今の値。


 足りない差。


「北壁はあと十二。水道管は八。あの家は三で十分だ」


 インフィニアが、言われた数字だけ足す。


 プラナも負傷者の体力を一ずつ増やす。


 ゼロナが全体の数値を共有する。


 ガンテツは崩れかけた建物を固定し、中の人々を助け出す。


 初めて、五人の力が同じ方向へ動いた。


 広場の端で、女の叫び声がした。


「娘が中にいる!」


 三階建ての宿が、増えた木の幹に押されて傾いている。


 建物の耐久値は残り四。


 倒壊まで二分。


 二階の窓に、小さな手が見えた。


「インフィニア、耐久値を足せ!」


「必要値は?」


 今までなら、神は迷わず百も千も足した。


 俺にも、すぐには分からない。


「ゼロナ!」


「救出に必要な時間は三分。現在の耐久では二分です」


「一分足りない」


「時間を足すの?」


 プラナが宿を見る。


「違う。倒壊までの猶予を一つ足して」


 【倒壊まで:2分】


「《加算》!」


 【2 → 3】


 建物のきしみが弱まる。


 ガンテツが一階の柱を固定した。


「三分では戻れん。位置を保てるのは二分半だ」


「残り三十秒は俺が縮める」


 宿の中へ走る。


 階段は木の根に塞がれていた。


 根の本数は十二。


 一を引いても十一残る。


「壊すぞ!」


 外へ叫ぶ。


「待って!」


 宿の主人が駆けてきた。


「その根は柱に絡んでる。切ったら二階が落ちる!」


「上への道は?」


「厨房の配膳用昇降機だ。人を乗せる物じゃないが」


 厨房へ入る。


 小さな箱と、滑車があった。


 耐荷重は四十キロ。


 俺の体重は七十二。


 引けるのは一だけ。


「乗れないな」


「綱を三人で引けば上がる!」


 宿の主人が言う。


 避難していた客が二人戻ってきた。


「俺たちも引く」


「危険だぞ」


「あの子を置いて逃げる方が嫌だ」


 三人が綱を握る。


 俺は箱に乗った。


「重さを減らさないの?」


 窓の外からプラナが聞く。


「三人いれば足りる」


 数字を減らす必要はない。


 人の力で届くなら、それでいい。


 箱が上がる。


 二階で泣いていた少女を抱え、窓へ向かう。


 残り時間は二十秒。


 昇降機で下りれば間に合わない。帰りにかかる三十秒を、窓から飛び降りて削る。


 地面までの距離は六メートル。


 俺と少女、それぞれの落下距離から一を引く。


 プラナが着地点のクッションを一つ増やす。


 飛び降りた。


 背中から布の山へ落ちる。


 その直後、宿がゆっくり傾いた。


 ガンテツが固定を解き、誰もいない側へ倒す。


 土煙が広場を覆った。


 腕の中で、少女が泣いている。


 生きている。


 母親が駆け寄り、何度も頭を下げた。


「俺だけじゃ助けられなかった」


 宿の主人と、綱を引いた客を見る。


「礼なら全員に」


 何が必要で、何が余分か。


 数字だけでは決められない。


 そこに住む人間の声が必要だった。


     ◇


 日が沈む頃、王都の応急処置が終わった。


 巻き込まれた市民に死者は出なかった。


 負傷者は多いが、治療は間に合っている。


 俺たちは管理室へ戻った。


 第七減算者の石板が、机の上で光っている。


「さっきまでは光っていませんでした」


 ゼロナが表面を見る。


「拓郎が存在数へ触れたことで、読む権限が開いたようです」


 石板に新しい数字が浮かぶ。


 【封印層:1】


「減らせということか」


「罠かもしれないわ」


 プラナが俺の手首をつかむ。


 止めようとしているらしい。


 感触がないので、力加減が分からない。


「シオンは減算者だった。開け方も《-1》にしたんだろ」


「信用できる?」


「インフィニアよりは」


「聞こえているよ」


 部屋の隅で神が答えた。


「《減算》」


 【封印層:1 → 0】


 石板が白い光へ変わる。


 人の姿が浮かび上がった。


 黒髪の男。


 年は四十前後。左目に細い傷がある。


「シオン……」


 インフィニアが名前を呼ぶ。


 記録の中の男が、こちらを見た。


『この記録を見ている減算者へ』


 低い声が管理室へ響く。


『君は今、自分の力を恐れているはずだ』


 心を読まれたようだった。


『遅すぎる。できれば人を消す前に恐れてほしかった』


「嫌な奴だな」


 インフィニアが小さく笑う。


「本人もよく言っていた」


『減算は、破壊するための力ではない』


 シオンの背後に、大きな器が現れる。


 水が縁まで満ちている。


『器から水があふれたとき、何を引く?』


 器を壊す。


 水を全部消す。


 飲んでいる者を減らす。


 どれも違う。


 縁からこぼれた水だけを取り除けばいい。


『減算者が見るべき数字は、全体ではない』


 器の横に数字が出る。


 【容量:100】


 【内容量:101】


 【余剰:1】


『引くのは、この一だ』


 【余剰:1 → 0】


 器の中身は百のまま。


 必要な水は失われない。


『人を減らすな。食料を減らすな。寿命を減らすな。世界が抱えきれず、あふれた分を見つけろ』


「余剰だけを減らす」


『簡単に聞こえるだろう』


 シオンが苦い顔をする。


『一番難しいのは、何が余分かを一人で決めないことだ』


 映像に四人の管理者が現れる。


 加算者。


 減算者。


 乗算者。


 除算者。


『不足を知る者。余剰を知る者。広がりを知る者。分配を知る者。四つの視点がそろわなければ、正しい一は見つからない』


 記録が揺らぐ。


『君が一人なら、力を捨てろ』


 シオンの顔が薄くなる。


『仲間がいるなら、世界を頼む』


 光が消えた。


 管理室に静けさが戻る。


「勝手な遺言だな」


 俺は石板を見る。


「でも、仲間ならいる」


 プラナが言った。


 ゼロナがうなずく。


 ガンテツは腕を組んでいる。


「神まで一人いる」


 インフィニアが自分を指した。


「お前は保留だ」


「厳しいね」


     ◇


 王都には、まだ増加の余波が残っていた。


 地下の魔力脈が膨張し続けている。


 止めなければ、数日でまた魔物や植物が増殖する。


 以前の俺なら、魔力濃度そのものを下げただろう。


 今回は違う。


 管理室から王都全体を見る。


 ゼロナが容量を測る。


「王都が安全に保持できる魔力量を百とします」


 現在量は百一。


「余分は一」


 プラナが確認する。


「百は残すのよね」


「残す」


 インフィニアが増加を停止する。


 ガンテツが魔力脈の容量を百で固定した。


 俺の視界に、探していた数字が現れる。


 【王都の余剰魔力:1】


「《減算》」


 【1 → 0】


 静かな光が王都を通り抜けた。


 建物は消えない。


 食料も減らない。


 人の寿命にも触れない。


 膨張していた地下の魔力だけが、基準値へ戻る。


 世界が息を吐いたように感じた。


「成功です」


 ゼロナが笑う。


「空間の拡大も、魔力の増殖も止まりました」


 反動は来なかった。


 大きな値ではない。


 世界規模でも、余分は一だけだったからだ。


 初めて、何も失わずに世界の異常を減らせた。


「これを各地で続ければ」


 プラナが言う。


「世界を壊さずに戻せるかもしれない」


「時間はかかる」


「一つずつでいいでしょ」


 俺はうなずいた。


 これが減算者の役割だ。


     ◇


 その瞬間、世界地図が赤く染まった。


 管理室の警報が鳴る。


 【世界容量:100】


 【世界内容量:100】


 数字は同じだ。


 余剰はない。


「正常じゃないのか?」


 ゼロナが首を横へ振る。


「容量そのものが減っています」


 【世界容量:100 → 99】


 俺は何もしていない。


 世界の器が、自分から小さくなった。


 内容量は百のまま。


 余剰が生まれる。


 【世界余剰:1】


 減らしても、次の瞬間には容量がまた下がる。


 インフィニアの顔から血の気が引いた。


「始まった」


「何が?」


「この世界の寿命が尽きる」


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