第19話 存在人数
一万人のマグナが、大聖堂へ踏み込んだ。
階段を埋める。
廊下を埋める。
同じ顔。同じ金色の鎧。同じ剣。
「気味が悪いわね」
プラナが管理室の映像を見る。
「本人はどれだ?」
ガンテツが尋ねる。
「全部だ」
インフィニアが答えた。
「分身ではない。一万人すべてがマグナ本人として存在している」
「一体倒せば?」
「九千九百九十九人になる」
「残りを倒す前に日が暮れるな」
管理室の扉へ衝撃が走った。
鉄扉が内側へへこむ。
「ここも管理権限を奪われています!」
ゼロナが扉の数字を見る。
【耐久値:400】
次の衝撃。
【400 → 352】
「七回で破られます!」
「出口は?」
「あの扉だけだ」
「地下三百二十層で一つだけ?」
「設計したのは除算者だ。入口を増やすのが嫌いだった」
「今度会ったら文句を言う!」
プラナが杖を構える。
扉の耐久値が減る。
【304】
「突破する」
ガンテツが盾を持ち上げる。
「この人数へ?」
「ほかに道がない」
「待ってください」
ゼロナが世界地図を操作する。
管理室の床に、大聖堂の構造が浮かんだ。
「地上まで最短六区画です」
「距離を減らす」
「壁を無視して?」
「区画としてつながっていれば、空間を縮められるはずだ」
【管理室から第五層まで:1区画】
扉の向こうにはマグナがいる。
だが第五層の通路まで距離をゼロにすれば、扉ごと飛び越えられる。
「全員、俺につかまれ!」
プラナが右腕。
ゼロナが外套の裾。
ガンテツが肩。
インフィニアは俺の左腕へ触れた。
「《減算》!」
【1区画 → 0区画】
景色が裏返った。
次の瞬間、俺たちは第五層の廊下へ立っていた。
目の前に、マグナが百人いる。
「大して変わってないじゃない!」
「一万人よりは少ない!」
百人が同時に剣を抜く。
「異端者を捕らえろ!」
同じ声が重なり、耳が痛い。
「《固定》!」
ガンテツが盾を床へ突き立てる。
【通路幅:4m・固定】
左右の壁が鉄色に光った。
「走れ! ここは俺が止める!」
「一人で百人を?」
「四人しか並べん。百でも一万でも同じだ!」
ガンテツが盾を振る。
先頭の四人がまとめて吹き飛んだ。
「あとで追いつけ!」
「料理までには戻る!」
俺たちは階段へ走った。
◇
第四層。
三百人のマグナが待っていた。
一本道ではない。広い礼拝室だ。
「囲まれます!」
「ゼロナ、次の階段は?」
「反対側、距離六十メートル!」
「区画では?」
「この部屋一つです!」
一から一でゼロ。
「全員つかまれ!」
マグナたちが走る。
「《減算》!」
【次の階段まで:1区画 → 0区画】
俺たちは礼拝室を飛び越えた。
第三層。
千人。
第二層。
二千人。
移動するたび、頭痛が強くなる。
世界を折りたたむ感覚。
距離を消した跡が、元へ戻らない。
大聖堂の階段が一層ずつ短くなっている。
「あと一回です!」
ゼロナが俺の顔を見る。
「これ以上使えば、また記憶を失う可能性があります!」
「地上まで行けば十分だ!」
第一層との距離。
一つ。
「《減算》!」
大聖堂の入口へ飛び出した。
◇
王都の広場は、金色で埋まっていた。
マグナ。マグナ。マグナ。
見渡す限り、同じ顔が並んでいる。
市民たちは大聖堂の外へ追い出され、広場の端へ集められていた。
中央の壇上に、豪華な法衣のマグナがいる。
ほかより大きな冠をかぶっているが、それも本人とは限らない。
「繁栄神を捕らえよ!」
冠のマグナが叫ぶ。
「《-1》とその仲間を処刑せよ!」
一万人が剣を掲げる。
インフィニアが前へ出た。
「マグナ、やめるんだ」
「黙れ、裏切り者!」
「君は増やすことの危険を知っている」
「危険なのは減らす者だ!」
冠のマグナが群衆を指す。
「民はもっと食料を望んでいる! もっと土地を! もっと命を! それを与えるのが神だ!」
「器が壊れれば、すべて失う」
「なら器を増やせばいい!」
マグナが両手を広げる。
王都全体に巨大な魔法陣が浮かんだ。
【王都魔力:×10】
「やめろ!」
インフィニアの声が初めて荒れた。
「今の世界に、その魔力は収まらない!」
「《万人化》!」
一万のマグナが、同時に力を注ぐ。
空が金色に染まった。
大地が膨らむ。
建物の間隔が広がり、石畳が裂ける。
花壇から木が伸び、数秒で大聖堂の屋根を越えた。
人々が悲鳴を上げる。
「術式完成まで?」
俺が聞く。
「三分です!」
ゼロナが叫ぶ。
「マグナを一万人倒している時間はありません!」
「インフィニア、止められないのか!」
「管理権限を奪われた。私の加算は、すべてマグナへ流れている」
プラナが冠のマグナへ杖を向ける。
「あれが本体じゃないの?」
「本体という概念がない」
どれも本人。
一人倒しても、残り九千九百九十九人が術式を続ける。
俺は一万人を見る。
すべて同じ顔。
すべて同じ魂。
すべて同じ数式。
体は一万。
意識は?
「ゼロナ。全員が別々に考えてるのか?」
金色の瞳が群れを走る。
「いいえ。判断は完全に同期しています」
「なら、考えている奴は一人だ」
意識を一つの数字として捉える。
一万の体を動かす、一つの原型。
視界の奥に、細い金色の線が現れた。
すべてのマグナから伸び、空の一点へつながっている。
そこに数字があった。
【マグナ原型存在数:1】
息が止まる。
答えを見つけた。
一から一を引けば、ゼロ。
マグナという人間が、この世界からいなくなる。
「拓郎」
プラナが俺の顔を見る。
彼女にも、俺が見ているものが分かったらしい。
「ほかの方法を探そう」
「残り三分だ」
「インフィニアの権限を戻せば」
「一万人を抜けて管理室へ戻る時間はない」
「でも」
「分かってる」
減らさないと決めた。
命を数字として扱わない。
その決意を、たった数日で破ろうとしている。
マグナは人々を殺そうとしている。
だから消していいのか。
正義のためなら、一人をゼロにしていいのか。
答えは出ない。
王都の魔力が増える。
建物が膨張し、壁が崩れる。
逃げ遅れた子どもの上へ、鐘楼が倒れた。
「《加算》!」
プラナが距離を一メートル増やす。
子どもが瓦礫の外へ押し出された。
助かった。
だが次は。
数万人いる。
一人ずつ守れない。
「拓郎」
インフィニアが俺を見る。
「私には命じられない」
「止めないのか」
「止める資格がない」
「便利な立場だな」
「そうだ」
残り二分。
マグナが笑っている。
「減算者には何もできない! お前は奪うことを恐れている!」
その通りだ。
怖い。
怖いまま、選ぶしかない。
「マグナ!」
一万人の顔が、一斉にこちらを向く。
「お前を消す」
「やってみろ!」
俺は金色の線へ手を伸ばした。
「《減算》」
【マグナ原型存在数:1 → 0】
音はしなかった。
光も出なかった。
一番近くにいたマグナの輪郭が薄くなる。
その隣も。
一万の体が、端から順に透明になっていく。
冠が石畳へ落ちた。
剣が消える。
法衣が消える。
最後に、マグナの声だけが残った。
「私は、もっと――」
言葉は終わらなかった。
一万人が消えた。
王都を覆っていた魔法陣が砕ける。
増加が止まった。
広場に、市民の泣き声だけが残る。
◇
俺は立ったまま動けなかった。
体のどこにも傷はない。
なのに、何かが抜け落ちている。
「拓郎?」
プラナが腕へ触れる。
その感触が分からない。
痛みも、温かさもない。
「感覚が」
「何?」
「何も感じない」
自分の頬をつねる。
動いているのは見える。痛みはない。
世界が遠い。
「概念減算の反動です」
ゼロナの声が震える。
「一時的か、永続かは分かりません」
「先に言え」
「今、分かりました」
いつもの言葉。
笑えない。
俺は広場を見る。
数字が次々と浮かぶ。
【プラナ存在数:1】
【ゼロナ存在数:1】
【インフィニア存在数:1】
遠くにいるガンテツも一。
王都の人々も、一人ずつ一を持っている。
今の俺なら、誰でも消せる。
その事実が、何より怖かった。
「俺から離れろ」
プラナの手を振り払う。
「嫌」
「間違って使うかもしれない」
「使わない」
「なぜ分かる」
「あなたが怖がってるから」
プラナはもう一度、俺の手を握った。
感触はない。
それでも、握られていることは見える。
「一人にしない」
俺は答えられなかった。
一万人を救うため、一人を消した。
正しかったのか。
その答えだけは、どんな数字にも見えなかった。




