第18話 999
「今の世界は、九百九十九回目だ」
インフィニアの言葉が、管理室へ落ちた。
「九百九十八回、滅びたってこと?」
プラナが並ぶ光を見る。
「そうだ」
「そのたびに、あなたが作り直した?」
「最初は四人の管理者が世界を分解し、残ったものを使って再構築した。仲間が欠けてからは、残された管理核で役目を補った」
「人間も?」
「魂の記録から戻した。記憶は引き継がない」
つまり、ここにいる人々は同じ魂から生まれているかもしれない。
だが前の世界で何をしたかも、誰を愛したかも覚えていない。
同じ人間と言えるのか。
「滅びる前に救えなかったのか?」
「救おうとした。毎回」
インフィニアが最初の光へ触れた。
管理室の中央に映像が広がる。
◇
第一世界。
空には今より大きな月が二つあった。
人々は魔法を持たず、機械で空を飛んでいる。
高い塔。光る道。鉄の箱が地面を走る。
見たことのない世界なのに、胸の奥が妙にざわついた。
「あれは何だ?」
俺は空を飛ぶ銀色の乗り物を指した。
「飛行機と呼ばれていた」
「変な名前ね」
プラナには何も感じないらしい。
地上の文字が一瞬見えた。
俺の名前と似た形をしている。
映像を止める。
「今のところ、戻せるか」
「何か見えたの?」
「文字だ」
インフィニアが映像を少し戻した。
崩れかけた建物の壁に、白い看板がある。
そこへ黒い文字が並んでいた。
読めない。
それなのに、形だけは知っている気がした。
最初の二文字は、吉田。
そう思った瞬間、頭の奥に痛みが走った。
「拓郎?」
プラナが顔をのぞき込む。
「何でもない」
「何でもない顔じゃないわよ」
「俺の名前と同じ文字だった」
「あなたの名前、やっぱり変よね」
「今それを言うか」
「この国のどの地方にもない響きです」
ゼロナは俺と看板を交互に見る。
「第一世界の言語が、なぜ拓郎の名前に残っているのでしょう」
俺が知りたい。
両親は、旅の占い師からもらった名前だと言っていた。
その占い師が誰だったのか。両親は最後まで話さなかった。
「魂の記録には、過去世界の記憶が残ることがある」
インフィニアが言った。
「普通は夢や、理由のない懐かしさとして現れるだけだ」
「名前になることも?」
「例はある。だが、第一世界から九百九十八回も残るのは珍しい」
看板の下を、一人の男が走っていく。
顔は見えない。
俺ではない。
分かっているのに、その背中を追いたくなった。
映像の都市へ入ることはできない。
伸ばした手は光を通り抜けた。
「吉田拓郎という名が、最初の世界から来たとしても」
ガンテツが言う。
「今のお前は今のお前だ」
「料理以外でも、まともなことを言うんだな」
「今夜の飯を減らすぞ」
「それは困る」
映像を進める。
文字は炎に包まれた。
読む前に映像が変わった。
空から火が降る。
都市が白い光に包まれた。
人間同士の戦争。
残った人口は、最初の一パーセント。
大地も空気も毒に侵されている。
「これが最初の滅亡だ」
映像の外からインフィニアの声がした。
「管理者は、生存者を次の世界へ移そうとした。だが環境は戻せなかった。世界を分解し、作り直すしかなかった」
第一世界が白い粒へ変わる。
《+》が足りない物質を補う。
《-》が毒を取り除く。
《×》が生命の種を増やす。
《÷》が力を大地へ分配する。
四つの記号が回り、新しい世界が生まれた。
第二世界。
◇
「すべてが戦争で滅びたわけではない」
インフィニアが別の光へ触れる。
第七十二世界。
太陽の熱が弱まり、海が凍った。
第百四十六世界。
一つの病が、すべての生き物へ広がった。
第三百一世界。
魔力が消え、空を支えていた島々が地上へ落ちた。
第七百世界。
死者が蘇り続け、大地を埋め尽くした。
ほかにも、短い記録が続いた。
第八百十二世界では、食料を増やす力が暴走した。
実った穀物が畑を埋め、村をのみ込む。食べても食べても、減った分だけ増えた。
「豊作で滅びるなんて」
プラナが信じられない顔をする。
「足りない時代を知る者ほど、止められなかった」
インフィニアが答えた。
第八百八十八世界では、すべてを平等に分けた。
水も、土地も、魔力も、寿命さえも。
生まれたばかりの赤子と、百年生きた老人が同じ残り寿命を持つ。
働いた者と眠っていた者へ、同じ食料が届く。
争いは減った。
誰も選ばなくなった。
「除算も、使い方を間違えれば壊すのか」
「四つの記号に、善悪はない」
インフィニアが記録を閉じる。
「使う者が、自分の正しさだけを信じた時に壊れる」
耳が痛い。
俺もマグナを一人だと決め、一から一を引いた。
あの時点では、まだ起きていない記憶だ。
それでも、黒い世界を見た俺の胸に、同じ恐怖が残った。
第九百九十八世界。
何もない。
黒い地面が、地平線まで続いている。
木も、水も、人もいない。
風さえ吹かない。
「この世界は、減らしすぎて滅びた」
インフィニアが言う。
「第六減算者は、争いをなくそうとした」
映像の中に、一人の女が立っている。
彼女の視界にも、俺と同じ《-1》が浮かんでいた。
「最初は武器を減らした。次に憎しみを減らした。争いが残るたび、原因と思えるものを一つずつ消した」
国境が消える。
宗教が消える。
欲望が消える。
恐怖が消える。
「最後には、違いそのものを減らした」
人々の顔が同じになる。
声も、考えも、選択も同じ。
争いはなくなった。
同時に、新しいものを生み出す意志も消えた。
人々は食べることをやめた。
子を残すこともやめた。
静かに数を減らし、誰もいなくなった。
「減らせば救えるわけじゃない」
俺は自分の手を見る。
「増やすだけでは救えないのと同じだ」
「そうだ」
インフィニアの答えには、勝ち誇る響きがなかった。
「だから四人が必要だった」
◇
映像が消える。
俺たちは管理室へ戻った。
ゼロナは九百九十八個の記録を見つめている。
「同じ世界を作り直しているのですか?」
「完全に同じではない。前の世界で失敗した部分を変える」
「今の世界では、人間に《数式》を与えた」
「第九百九十九世界からの試みだ」
「なぜ?」
「管理者だけで世界を支えるのをやめたかった。人間自身が増やし、減らし、分け、広げられるようにした」
「結果は、数字の大きい能力ほど偉い社会になった」
プラナが苦い顔をする。
「失敗を認める」
「簡単に言うな」
俺は壁へ並ぶ光を見た。
「世界一つにつき、どれだけの人が死んだ?」
「数え切れない」
「それを九百九十八回」
「忘れた日はない」
インフィニアが管理室の隅を指した。
そこに、小さな石が九百九十八個積まれている。
神が自分で置いた墓標。
「忘れてないから許されるわけじゃない」
「分かっている」
「そればかりだな」
「言い返せないことが多いんだ」
怒ればいいのか、哀れめばいいのか分からない。
この男は九百九十八の世界を見捨てた。
同時に、九百九十八回、新しい世界を作った。
「ほかの管理者はどこにいる?」
ガンテツが尋ねる。
「乗算者は第三百一世界で消滅した。除算者は第七百世界の再構築後、管理を拒んで去った」
「減算者は?」
「減算者が必要になった世界で、人間から選ばれる。力が強すぎて管理核へ固定できず、これまで現れたのは七人だけだ」
「俺は第八?」
「その数え方なら、そうだ」
「第七減算者のシオンは?」
インフィニアが答える前に、警報が鳴った。
管理室が赤く染まる。
【大聖堂管理権限:変更】
【所有者:インフィニア → マグナ】
「マグナ?」
プラナが聞く。
「大司教だ」
インフィニアの顔が険しくなる。
「大聖堂の実務を任せていた」
「神から権限を奪えるのか?」
「信者の承認数を使えば」
地上から地響きが伝わる。
管理室の壁に、王都の映像が現れた。
金色の鎧を着た兵士たちが大聖堂を囲んでいる。
一万人。
全員、同じ顔だった。
大聖堂の階段に、豪華な法衣を着た太った男が立つ。
マグナ大司教。
彼が両手を広げた。
「繁栄神は《-1》に惑わされた!」
声が王都中へ響く。
「減らす者は、我らの恵みを奪う! 神に代わり、このマグナが繁栄を守る!」
群衆が歓声を上げた。
インフィニアを守ろうとする声は少ない。
昨日まで神へ祈っていた人々が、今日はもっと増やす者を選んでいる。
「彼の数式は?」
俺が尋ねる。
インフィニアは、映像の中で増え続ける兵士を見た。
「《万人化》」
「自分一人を、一万人へ増やす」
画面の数字が変わった。
【マグナ存在数:10000】
一万の同じ顔が、一斉に大聖堂へ踏み込んだ。




