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冒険者失格  作者: 藤崎聖子


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第17話 救われた世界

 翌朝、俺たちは大聖堂の地下へ案内された。


 インフィニアが先頭を歩く。


 白い階段は、どこまでも下へ続いていた。


「地下何階まである?」


 俺が聞く。


「三百二十層」


「帰る」


「今日は第六層までだ」


「先に言え」


 インフィニアが笑う。


 ガンテツは笑わなかった。


 昨日の件から、一度も神と言葉を交わしていない。


 第六層の扉を開く。


 円形の部屋に、透明な結晶が並んでいた。


 数は数百。


 一つ一つの中で、小さな光が揺れている。


「記憶晶です」


 ゼロナが目を輝かせた。


「王立魔導院にも三個しかありません」


「ここには、私が見た世界を保存している」


 インフィニアが最も古びた結晶へ手を置く。


「触れれば、六百年前の記録を追体験できる」


「あなたに都合よく変えた記憶では?」


 プラナが尋ねる。


「疑うのは正しい。ゼロナ、調べてくれ」


 金色の瞳が結晶を見る。


「記録の改変回数、ゼロ。欠損率、〇・二パーセント。保存時から手を加えられた形跡はありません」


「入るかどうかは君たちが決めていい」


 インフィニアは手を離した。


 俺は結晶へ触れた。


「行く」


 プラナの手が重なる。


 ゼロナ、ガンテツも続く。


 世界が白く染まった。


     ◇


 最初に感じたのは、匂いだった。


 腐った肉。


 汚れた水。


 煙。


 目を開けると、王都の大通りに立っていた。


 今とは似ても似つかない。


 建物の窓は板で塞がれ、道には痩せた人々が座り込んでいる。


 誰も俺たちを見ない。


 過去の記録だからだ。


 目の前を荷車が通る。


 積まれているのは死体だった。


 一台ではない。


 次から次へと運ばれていく。


「死者数……一日で八千人」


 ゼロナが声を震わせる。


「王都だけで?」


「はい。大陸全体では、もっと」


 路地から子どもの泣き声がした。


 母親が幼い少年を抱えている。


 少年の体には黒い斑点が広がっていた。


「エイン」


 俺は気づいた。


 白い髪ではない。痩せた黒髪の少年。


 だが目は同じだ。


「母さん、お腹すいた」


「ごめんね。もう少しだけ我慢して」


 母親の手には、空の器しかない。


 プラナが少年へ近づく。


 触れようとした手は、過去の影を通り抜けた。


「体力、二しかない」


「記録の中では助けられない」


 分かっていても、プラナは手を下ろせなかった。


 鐘が鳴った。


 若い姿のインフィニアが通りへ現れる。


 今と同じ白い服。顔も変わらない。


 だが、表情には迷いがあった。


「食料を増やせ!」


 群衆の誰かが叫ぶ。


「神なら何とかしてくれ!」


「子どもだけでも!」


 人々が押し寄せる。


 インフィニアは両手を上げた。


「《無限加算》」


 空の器に、温かいスープが満ちた。


 荷車にパンが積み上がる。


 井戸から清潔な水があふれた。


 母親はスープを少年の口へ運ぶ。


 エインの体力が一増える。


 また一。


 数字が戻っていく。


 少年が目を開けた。


「母さん、おいしい」


 母親が泣いた。


 周囲の人々も泣いている。


 歓声が上がった。


 誰かが最初に「繁栄神」と呼んだ。


 その呼び名は、一瞬で群衆へ広がった。


「これで何人助かった?」


 ガンテツが現代のインフィニアへ聞く。


「最初の一か月で、約四百万人」


「増やさなければ?」


「九割以上が死んでいた」


 ゼロナの視界にも同じ数字が出ている。


 推測ではない。


 事実だ。


 光景が変わる。


 荒れた農地に麦が戻る。


 薬が増え、疫病が弱まる。


 焼かれた村に家が建つ。


 兵士へ配る剣ではなく、農具が増える。


 奪い合いが減る。


 戦争が止まる。


 俺たちが見たのは、力に酔った神ではなかった。


 眠る暇もなく大陸を巡り、人を救い続ける一人の男だった。


     ◇


 記録の時間が十年進んだ。


 疫病は終息していた。


 麦畑は豊かに実り、町には人が戻っている。


 インフィニアは王たちを集めた。


「増加を減らしていく」


 会議の席で告げる。


「自然の生産へ戻さなければ、世界の均衡が崩れる」


 王たちの顔色が変わった。


「食料を減らすのか!」


「民が飢える!」


「寿命を返せと言うのか!」


「今さら土地を狭くできるものか!」


 怒号が飛ぶ。


 インフィニアは説得を続けた。


 危機は去った。


 増加は永遠に続けられない。


 だが誰も聞かなかった。


 救われた人々は、救いを日常だと思い始めていた。


 翌日、王都で暴動が起きた。


 食料の加算を一割減らすという噂だけで、倉庫が襲われた。


 死者、三百十二人。


 インフィニアは再び増加を元へ戻した。


「ここで止められなかった」


 現代のインフィニアが言う。


「一度だけではない。その後、何度も減らそうとした。そのたびに争いが起きた」


「それでも止めるべきだった」


 ガンテツの声は厳しい。


「そうかもしれない」


「人のせいにするな」


「していない。最後に決めたのは私だ」


 記録の中で、インフィニアは歓声を浴びている。


 以前より大きな神殿。


 豪華な衣。


 大勢の信者。


「私は必要とされることに慣れた」


 インフィニアは過去の自分を見た。


「求められるたびに足した。断って恨まれるより、感謝される方を選んだ」


「怖かったの?」


 プラナが聞く。


「ああ。一人に戻るのが怖かった」


 神らしくない答えだった。


 だから、嘘には聞こえなかった。


     ◇


 記憶晶から手を離す。


 地下の部屋へ戻った。


 誰もすぐには話さなかった。


 インフィニアが救った命は本物だ。


 増えすぎた世界の異常も本物だ。


「あなたを正しいとは言えません」


 ゼロナが最初に口を開く。


「でも、全部が間違いだったとも言えません」


「それで十分だ」


 インフィニアは結晶を棚へ戻した。


「君たちに見せたい場所がもう一つある」


 地下のさらに奥へ進む。


 大きな鉄扉があった。


 四つの記号が刻まれている。


 《+》《-》《×》《÷》


「シオンたちが使っていた管理室だ」


 扉は閉じている。


 中央に数字が一つ。


 【開錠権限:4】


「管理者四人が必要です」


 ゼロナが読む。


「今は一人しかいない」


 インフィニアが《+》へ触れた。


 記号が光る。


「だが君とプラナがいる。《-》と《+》はそろった」


「《×》と《÷》は?」


「大聖堂に保管している二つの管理核で代用できる」


 四つの記号へ光が灯った。


 【4 → 0】


 扉が開く。


 中には、世界地図が浮かんでいた。


 俺たちの知るアルカディウム。


 その上に大きな数字が表示されている。


 【世界番号:999】


「これは何だ?」


 インフィニアは答えなかった。


 ゼロナが地図の下に並ぶ記録へ近づく。


 小さな光が、無数に並んでいた。


 一。


 二。


 三。


 数えていく。


 九百九十八個。


 すべての光に、同じ文字が刻まれている。


 《滅亡》


「救った世界は、今の世界だけじゃないのか」


 俺が聞く。


 インフィニアは静かに答えた。


「今の世界は、九百九十九回目だ」


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