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冒険者失格  作者: 藤崎聖子


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第16話 繁栄神

「待っていたよ、吉田拓郎」


 百メートル先にいる男の声が、耳元で聞こえた。


 俺だけではない。


 プラナも、ゼロナも、ガンテツも、大聖堂を見上げている。


 インフィニアが階段を下りる。


 人々は道を空け、頭を下げた。


 白い衣の裾が石畳を滑る。


 背丈も体つきも普通だ。


 金色の髪。穏やかな顔。


 神だと言われなければ、若い聖職者にしか見えない。


「石板を奪いに来たのか?」


 俺が聞くと、インフィニアは首を横へ振った。


「君たちを大聖堂へ招きたい。話をしよう」


「断ったら?」


「宿を紹介する。この季節の王都は部屋が取りづらい」


「それだけか?」


「無理に連れていけば、話し合いにならない」


 拍子抜けした。


 ナナシはゼロナを殺そうとした。


 ヒャクは石板を奪うために待ち伏せた。


 その頂点にいる男が、一番話の分かる態度を取っている。


「彼らを差し向けたのは、あなたですか?」


 ゼロナが尋ねる。


「ナナシという魔導師と、ヒャクという弓使いです」


「私は命じていない」


「部下が勝手にやったと?」


「大聖堂は大きな組織だ。私の言葉を先回りし、望んでいないことまで行う者がいる」


「便利な言い訳ね」


 プラナの声は冷たい。


「そう聞こえるだろうね」


 インフィニアは怒らなかった。


「二人の処分と、被害への補償を約束する。それでも信用できないなら、疑ったままでいい」


 視界へ数字が浮かぶ。


 【発言の虚偽:0】


 嘘はついていない。


 だが、全部を話しているとは限らない。


「行こう」


 ガンテツが言った。


「聞きたいことがある」


「俺もだ」


 俺たちは、人々の視線を浴びながら大聖堂へ入った。


     ◇


 案内された部屋は、意外なほど質素だった。


 白い壁。木の長机。椅子が六脚。


 神の部屋というより、村の集会所に近い。


「豪華な玉座はないのか?」


「昔はあった。座り心地が悪かったので、薪にした」


「神も尻が痛くなるんだな」


「長く座ればね」


 インフィニアは自分で茶を入れた。


 エインにも一つ置く。


「久しぶりだね」


「二年と三か月ぶりです」


「君にとっては久しぶりではないか」


「今は違います」


 エインの残り寿命は三年。


 インフィニアは、色を失った金の円盤を見た。


「不死を失ったんだね」


「はい」


「戻してほしいか?」


 エインはすぐに答えなかった。


「分かりません」


「なら、分かるまで戻さない」


 強制すると思っていた。


 インフィニアは円盤に触れもしなかった。


「石板を見せてもらえるかな」


 ゼロナが鞄を抱く。


「ここで見るだけです。渡しません」


「構わない」


 机へ石板を置く。


 インフィニアは《第七減算者シオンの記録》を懐かしそうに見つめた。


「シオンを知っているのか?」


「知っていた」


「いつ?」


「二千八百年ほど前だ」


 部屋が静まった。


「あなたは、何歳なんです?」


 ゼロナの瞳が光る。


 数字は現れない。


「見えません」


「隠しているわけではない。私の年齢は、この世界の時間では測れないんだ」


「本当に神なのか」


「そう呼ばれている。私自身は、管理者と名乗っていた」


 管理者。


 古代の壁画に描かれていた四人。


「加算者、減算者、乗算者、除算者」


 インフィニアが石板をなぞる。


「かつて、四人で世界を保っていた。私は加算を担当した」


「なら、なぜ今は一人なんだ?」


「人々が私を選んだからだ」


 静かな答えだった。


「不足を満たす加算。恵みを広げる乗算。どちらが愛されるかは想像できるだろう」


「減算者は迫害された」


「止められなかった」


「止めなかったんじゃないのか?」


 インフィニアは俺を見た。


「その通りだ」


 言い訳をしなかった。


「人々は増加を求めた。食料、土地、寿命、魔力。私は応え続けた。減算者は邪魔者と呼ばれ、除算者は力を奪う者とされ、乗算者は私の側へついた」


「シオンは?」


「最後まで反対した。世界の器は満ちると」


「正しかった」


「今のところは」


 プラナが机をたたいた。


「谷で魔物が増え続けた。湖が町を沈めた。それでも増やすの?」


「止めれば、もっと多くの人が死ぬ」


 インフィニアが指を鳴らす。


 壁に光景が映った。


 痩せた土地。


 枯れた麦。


 泥水を奪い合う人々。


「六百年前、大陸全土を疫病と飢饉が襲った。人口の半分が死んだ」


 映像の中で、幼い子どもが倒れる。


 次の瞬間、麦畑が広がった。


 井戸から清水があふれる。


 病人の体力が増え、立ち上がる。


「私は食料を増やした。水を増やした。薬を増やした。寿命を増やした」


 エインが黙って映像を見ている。


 彼が救われた時代だ。


「もし私が増加を止めていたら、今ここにいる人々の祖先は死んでいた」


「だから増やし続ける?」


「止め方を知らない」


 初めて、インフィニアの顔から微笑みが消えた。


「一度始めた増加は、社会の土台になった。今の人口を養うには、自然の生産だけでは足りない。寿命を元へ戻せば、何百万人もの時間が一度に尽きる」


「少しずつ減らせばいい」


「何を?」


「増加の速度を」


「食料から? 水から? 土地から? 寿命から?」


 答えられない。


 どれを減らしても、誰かが困る。


 谷の魔力濃度を下げたときは、敵が明確だった。


 世界全体では違う。


 増加の上で暮らしている人々がいる。


「だから君を待っていた」


 インフィニアが俺を見る。


「私には足すことしかできない。君には引くことしかできない」


「協力しろと?」


「世界を壊さず、余分だけを減らす方法を一緒に探したい」


「信じられると思うか?」


「今すぐ信じる必要はない」


 インフィニアは立ち上がった。


「王都を見てほしい。私が救った者と、私の力で苦しむ者。その両方を」


「期限は?」


「三日後、答えを聞かせてくれ」


「断ったら?」


「それでも、君を殺しはしない」


 視界の数字。


 【発言の虚偽:0】


 本当だ。


 少なくとも今は、敵意がない。


「ガンテツ」


 インフィニアが大男へ向き直る。


「七年前の調査隊について、話さなければならない」


 ガンテツの表情が硬くなる。


「命令したのはお前か」


「王国と大聖堂の合同会議だ。私は決定を知り、止めなかった」


「なぜだ」


「増加の異常が公になれば、各地で暴動が起きると判断した」


「二十人を見殺しにして?」


「そうだ」


 ガンテツの拳がインフィニアの頬を打った。


 神の体が床へ倒れる。


 護衛は入ってこない。


 インフィニアは切れた唇を拭い、立ち上がった。


「それで許されるとは思っていない」


「もう一発殴っていいか」


「ガンテツ」


 俺が止める。


 大男は拳を下ろした。


「三日後だ」


 俺たちは部屋を出た。


     ◇


 大聖堂の外では、まだ祭りが続いていた。


 少女が無料のパンを抱え、母親のもとへ走っていく。


 杖をついていた老人が、治癒を受けて自分の足で歩いている。


 誰もがインフィニアへ感謝していた。


「どう思う?」


 プラナが聞く。


「分からない」


「正直ね」


「谷で見たことも本当だ。ここで見てるものも本当だ」


 インフィニアは世界を増やしすぎている。


 だが、その力で救われた人間もいる。


 どちらかだけを見て、正しいとは言えない。


「あの人と組むの?」


「まだ決められない」


 プラナが俺の袖をつかんだ。


「決めるときは、一人で決めないで」


「分かってる」


「本当に?」


「一日に五回、同じことを聞くな」


「それ、私の台詞」


 少しだけ笑えた。


 その夜、王都の宿へ一通の手紙が届いた。


 差出人はインフィニア。


 文面は一行だけ。


 《明日、私が救う前の世界を見せる》


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