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冒険者失格  作者: 藤崎聖子


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2/24

第2話 誤差

 緑色の巨人が、棍棒を振り上げた。


 太い丸太を、そのまま削ったような武器だ。


 朝日に照らされた棍棒の先から、昨日踏みつぶしたらしい獣の血が落ちる。


「話が違うぞ」


 俺は隣にいるバイロンを見た。


「ゴブリンを三匹狩る試験じゃなかったのか」


「あれもゴブリンの仲間だ」


「ずいぶん育ちがいいな」


「オーガだ。ゴブリンの上位種だな」


「全然違うじゃないか!」


 叫んだ瞬間、棍棒が落ちてきた。


「散れ!」


 バイロンの号令で、四人が左右へ跳ぶ。


 俺も地面を蹴った。


 直後、さっきまで立っていた場所が爆発した。


 土と小石が背中を叩く。


 転がって衝撃を逃がし、すぐに立ち上がった。膝が笑っている。怖いからなのか、走ったからなのかは考えないことにした。


 オーガが棍棒を引き抜く。


 三メートルを超える巨体。腕は俺の胴より太い。


 視界に数字が浮かんだ。


 【オーガ】


 【攻撃力:531】


 【防御力:188】


 【体力:742】


「ひどい数字だな」


 俺の攻撃力は十九だ。


 十九回殴っても、たぶんこいつのくしゃみ一回に負ける。


「ジン、足を止めろ! ココラは援護!」


 バイロンが指示を飛ばす。


 《白銀の牙》は、俺を含めて四人だった。


 盾役のジンは、角刈り頭の大男だ。能力は《防御加算+30》。


 弓使いのココラは小柄な少女で、《命中加算+20》を持つ。


 そしてリーダーのバイロンは《倍化×2》。自分の攻撃力を二倍にできる。


 数字だけを見れば、俺以外は立派な冒険者だ。


「来い、でかぶつ!」


 ジンが盾を構える。


 オーガの棍棒が横から襲いかかった。


「《防御加算》!」


 盾が淡い光をまとう。


 激突。


 耳をつぶすような音が森に響いた。


 ジンの両足が土を削り、二メートルほど後ろへ押される。それでも倒れなかった。


「今だ!」


 ココラが矢を放つ。


 一本、二本、三本。


 矢はオーガの胸と肩へ刺さった。だが、分厚い筋肉に阻まれて浅い。


 オーガが怒鳴る。


 今度はバイロンが正面から駆けた。


「《倍化》!」


 剣を包む光が膨れ上がる。


 オーガが棍棒を振り下ろすより早く、バイロンの刃が脇腹を裂いた。


 緑の血が噴き出す。


「グオオオオッ!」


「浅いか」


 バイロンは舌打ちし、後ろへ跳んだ。


 十分に強い。


 三人の連携も悪くない。


 俺がいなくても戦える。


 いや、俺がいない方が動きやすいくらいだ。


「拓郎!」


 ジンが怒鳴る。


「ぼさっとするな! 能力を使え!」


「どれを減らす!」


「攻撃力に決まってるだろ!」


 分かっている。


 分かっているが、531から一を引いたところで何になる。


 それでも、今の俺に見える数字は三つだけだ。


「《減算》」


 【対象:攻撃力】


 【531 → 530】


 オーガの体が一瞬だけ白く光った。


 それだけだった。


「……終わりか?」


 ジンが聞く。


「終わりだ」


「何が変わった?」


「攻撃力が一減った」


 ココラが矢をつがえたまま、こちらを見た。


「ご、ごめん。今、笑うところ?」


「できれば泣いてくれ」


 オーガが地面を蹴った。


 速い。


 狙いは俺だ。


 能力を使った者が分かるのか。それとも、単に一番弱そうな獲物を選んだのか。


 たぶん後者だ。腹が立つが、判断は正しい。


 棍棒が迫る。


 避けられない。


「伏せろ!」


 バイロンが俺の襟をつかみ、地面へ引き倒した。


 頭上を棍棒が通り抜ける。


 風圧だけで頬が切れた。


「試験中に死ぬ馬鹿があるか!」


「助かった!」


「礼はあとだ。走れ!」


 俺たちは左右へ分かれた。


 一分経つまで、同じオーガには《減算》を使えない。


 使えたとしても、攻撃力は529になるだけだ。


 意味がない。


 本当に?


 攻撃力を一減らした。何も変わらなかった。


 防御力を一減らしても同じだろう。体力も七百以上ある。


 昨日の人形とは違う。


 ゼロまで減らす時間などない。


 オーガがバイロンへ棍棒を振り回す。


 バイロンは避ける。反撃する。傷を増やす。


 ジンが攻撃を受け止め、ココラが矢を射る。


 俺だけが、森の端を走っていた。


 悔しい。


 だが、悔しがっても数字は減らない。


 見るんだ。


 オーガではなく、戦いそのものを。


 棍棒が横へ振られる。


 ジンが盾で受ける。


 バイロンが斬り込む。


 同じ流れが三度続いた。


 四度目。オーガが棍棒を振った。


 ジンが前へ出る。


 その瞬間、俺は気づいた。


「待て! 受けるな!」


「何だと?」


「そいつ、狙ってる!」


 ジンが反応するより先に、棍棒が盾へ当たった。


 オーガは振り抜かなかった。


 棍棒の先を盾へ押しつけ、そのまま体重をかける。


「ぐっ……!」


 ジンの膝が沈む。


 力比べになれば勝ち目はない。


 オーガの口が歪んだ。


 笑っている。


 こいつは馬鹿じゃない。攻撃を三度受け止めたジンを、一番邪魔な相手だと理解した。


「離せ、このっ!」


 ジンが盾を引こうとする。だが棍棒が食い込み、動かない。


 オーガが空いた左手を振り上げた。


 拳でジンの頭を潰す気だ。


「ココラ!」


「狙ってる!」


 矢が飛ぶ。


 オーガは顔を傾けてかわした。


 バイロンが走る。間に合わない。


 俺の視界に、ジンの数字が見えた。


 【防御力:96】


 違う。


 それを減らしてどうする。


 【体力:61】


 違う。


 増やせるなら助けられる。俺にできるのは引くことだけだ。


 だったら、何を減らす?


 攻撃力?


 一では足りない。


 俺はジンの全身を見た。


 力んだ肩。食いしばった歯。震える腕。


 額に浮かんだ汗。


 そして数字。


 【疲労度:100】


 見つけた。


「《減算》!」


 【対象:疲労度】


 【100 → 99】


「一だけでも、動け!」


 ジンの目が見開かれた。


 限界を示していた数字が、限界の手前へ戻る。


 ほんのわずかに、腕へ力が戻った。


 ジンは盾を傾けた。


 押しつけられていた棍棒が滑る。


 オーガの体勢が崩れた。


「バイロン!」


「分かっている!」


 銀色の影が駆け抜ける。


「《倍化》!」


 バイロンの剣が、オーガの右膝へ深く食い込んだ。


 巨体が傾く。


「ココラ、目だ!」


「任せて!」


 放たれた矢が、オーガの左目を貫いた。


 絶叫。


 オーガは棍棒を放り出し、顔を押さえた。


 ジンが盾を構え直す。


「今度は、俺の番だ!」


 盾の縁が、傷ついた膝を打ち抜く。


 オーガが地面へ倒れた。


 バイロンは両手で剣を握り、むき出しになった首へ刃を振り下ろした。


 一撃。


 二撃。


 三撃目で、巨人は動かなくなった。


 森に静けさが戻る。


 俺はその場へ座り込んだ。


「勝った……のか?」


「見れば分かるだろ」


 バイロンが剣の血を払う。


 息は切れているが、声は平然としていた。


 格好をつける余力はあるらしい。


 ジンが俺の前へ来た。


 大きな手が肩に置かれる。


「拓郎」


「何だ」


「さっき、俺に何をした?」


「疲労度を一減らした」


「一?」


「百から九十九に」


「……ほとんど変わらないじゃないか」


「その一で盾を動かしたのは、お前だ」


 ジンは黙った。


 やがて、俺の肩を二度叩く。


「悪くなかった」


「褒めるなら、もう少し嬉しそうに言え」


「調子に乗るな。次は自分で避けろ」


 ココラが笑った。


 俺も笑った。


 昨日より、前へ進めた。


 それだけで十分だった。


 このときの俺は、そう思っていた。


     ◇


 《白銀の牙》へ入って三か月。


 俺たちは二十七件の依頼を達成した。


 ゴブリン討伐。薬草採取。隊商護衛。洞窟の調査。


 バイロンは強かった。ジンは頼れた。ココラは百歩先のリンゴを射抜けた。


 俺は荷物を運び、地図を読み、見張りをした。


 戦闘では敵の攻撃力を一減らした。


 七十を六十九に。


 二百を百九十九に。


 そのたび、変化はなかった。


 疲労度が百になった仲間を救えたのも、最初の一度だけだ。普通は百になる前に休む。戦闘中に都合よく限界を迎える者などいない。


 別の数字を探しても、見えるのは能力値ばかり。


 試験の日に抱いた期待は、少しずつ削れていった。


 皮肉なことに、俺の力を使わなくても。


 そして二十八件目。


 俺たちは、あの日より二回りも大きなオーガと対峙した。


 【攻撃力:531】


 奇しくも、最初のオーガと同じ数字だった。


 違ったのは、一体ではなかったことだ。


 森の奥から、二体目が現れた。


 続いて三体目。


「依頼書には一体とあったぞ!」


 ジンが叫ぶ。


「退く!」


 バイロンが即座に判断した。


 だが、背後からも地響きが近づいてくる。


 四体目。


 囲まれた。


「拓郎、何とかしろ!」


 ココラの声が震えている。


 視界は数字で埋まっていた。


 攻撃力531。


 防御力204。


 体力810。


 どれも大きい。


 どれを一減らしても、何も変わらない。


 それでもやるしかない。


「《減算》!」


 【対象:攻撃力】


 【531 → 530】


 オーガの棍棒が、ジンの盾を打ち砕いた。


 ジンが吹き飛ぶ。


 ココラが悲鳴を上げた。


 バイロンがオーガの腕を斬り、退路を作る。


「走れ!」


 俺たちは逃げた。


 振り返らなかった。


     ◇


 町へ戻った夜、バイロンに呼び出された。


 場所はギルドの裏にある倉庫だった。


 ジンとココラもいる。


 誰も目を合わせない。


 嫌な予感はした。


「拓郎」


 バイロンが俺の冒険者証を差し出した。


「今日で《白銀の牙》を抜けてもらう」


「理由は?」


「聞かなければ分からないか」


「お前の口から聞きたい」


 バイロンの眉が動いた。


「お前を守るために、俺たちの動きが遅れる。お前の能力は戦闘で役に立たない。今日、ジンが死にかけた」


「俺が攻撃力を一減らしたから、盾が壊れたのか?」


「そういう話じゃない」


「なら、依頼の情報が間違っていたからだ。オーガは一体じゃなかった」


「それでも対応するのが冒険者だ」


「俺を追い出せば対応できるのか」


「少なくとも、お前を守る必要はなくなる」


 言い返そうとして、やめた。


 正しい。


 悔しいが、正しい部分はある。


 俺はあの場で何もできなかった。


「最初から分かっていただろ。俺は-1だ」


「可能性があると思った」


 バイロンは俺の冒険者証を見た。


「だが、三か月見ても何も変わらなかった」


「変わった。前より多くの数字が見える」


「減らして意味のある数字は見つかったのか?」


 答えられなかった。


 沈黙が答えになった。


「お前の能力なんて、誤差だ」


 静かな声だった。


 笑いも、怒りもない。


 だからこそ、胸の奥まで刺さった。


「ジン。お前も同じ意見か?」


 ジンは拳を握った。


「命を助けてもらった恩は忘れない。だが、パーティーの判断なら……従う」


「ココラは?」


「ごめん」


 それだけだった。


 俺は冒険者証を受け取った。


 端に、新しい刻印が押されている。


 《所属パーティー:なし》


 《暫定評価:冒険者不適格》


「ずいぶん仕事が早いな」


「ギルドには話を通した」


「そうか」


 証を懐へしまう。


「世話になった」


「待て」


 背を向けた俺を、バイロンが呼び止めた。


「町に残るなら仕事を紹介する。荷運びなら――」


「いらない」


「意地を張るな」


「意地くらい張らせろ。今、ほかに持っているものがない」


 誰も追ってこなかった。


     ◇


 翌朝、俺は町の西門を出た。


 持ち物は古い剣、水筒、固いパンが三つ。


 財布には銅貨が十二枚。


 立派な追放者だ。


「で、どこへ行くんだ?」


 門番に聞かれた。


「決めてない」


「昨日、北の街道にオーガが出たぞ」


「北には行かない」


「東は盗賊、西は崖崩れだ」


「南は?」


「何もない」


「南にする」


「死ぬなよ」


「努力する」


 町を出て、一時間ほど歩いた。


 晴れた空。乾いた道。左右には草原が広がっている。


 悪くない旅立ちだ。


 ただし、道の真ん中にあるものを除けば。


「嘘だろ」


 巨大な岩が、街道を完全に塞いでいた。


 高さは家ほどもある。昨夜の崖崩れで転がってきたらしい。


 北へ戻ればオーガ。


 東へ回れば盗賊。


 町へ帰れば、バイロンたちと顔を合わせる。


「……絶対に嫌だ」


 俺は岩へ手を当てた。


 押す。


 動かない。


 蹴る。


 足が痛い。


 剣で削る。


 刃が欠けた。


「最悪だ」


 岩にもたれ、空を見上げた。


 そのとき、視界の端で数字が揺れた。


 【巨岩】


 【重量:10000kg】


 俺は目を見開いた。


 これまで、重さなど見えたことはない。


 能力値ではない数字。


 なぜ今になって見えた?


 岩へ触れたからか。動かそうとしたからか。それとも、重いと理解したからか。


 分からない。


 だが、試すことは一つだった。


「《減算》」


 【対象:重量】


 【10000 → 9999】


 岩は動かなかった。


 当然だ。


 一キロ軽くなったところで、九千九百九十九キロもある。


 笑い声が頭の奥によみがえる。


 誤差。


 その通りだ。


 俺の力は、どこまでいっても誤差でしかない。


「だったら」


 俺は岩の前へ座った。


 次に使えるまで一分。


 水筒をひと口飲む。


「誤差じゃなくなるまで、引いてやる」


 一分後。


「《減算》」


 【9999 → 9998】


 岩は動かない。


 さらに一分後。


 【9998 → 9997】


 まだ動かない。


 それでも俺は、三度目の《減算》を構えた。


 その瞬間、視界に初めて見る表示が現れた。


 《未減算の数値を認識しました》


 《成長条件を達成》


 《SUBTRACT/減算》の制限が、一部解除されます。


「……制限?」


 俺は知らなかった。


 世界最弱の《-1》には、まだ先がある。


 そして、その扉を開く鍵は――敵を倒すことではなかった。


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