第1話 -1
十五歳になると、人は神から《数式》の紋章を授かる。
ただし、その名前と数値が判明するのは、十八歳の成人鑑定だ。
それが、この世界の常識だった。
《加算+10》なら兵士。
《倍化×2》なら騎士。
もっと強い数式を授かれば、王都の学園や宮廷にだって手が届く。
だから十八歳になった今日、俺――吉田拓郎は、人生で一番緊張していた。
「次、吉田拓郎」
名前を呼ばれ、鑑定台へ上がる。
町の中央広場には百人以上が集まっていた。能力鑑定は年に一度の祭りでもある。屋台から肉の焼ける匂いが漂い、子どもたちは噴水のまわりを走り回っている。
だが、俺には何も見えていなかった。
目の前にある水晶玉。それだけを見つめる。
「両手を置きなさい」
鑑定官に促され、水晶へ触れた。
冷たい。
次の瞬間、透明だった水晶の奥に白い光が灯った。
ざわめきが消える。
俺は息を止めた。
頼む。
何でもいい。
いや、何でもは嘘だ。
剣士向きの能力が欲しい。《攻撃加算》でも《速度倍化》でもいい。冒険者になれる力が欲しい。
幼い頃から、それだけを夢見てきた。
水晶の中で、光が一本の横線を描いた。
その下に数字が浮かぶ。
鑑定官が目を細めた。
「これは……」
広場の後ろから、誰かが声を上げた。
「《減算》じゃないか?」
「うそ。初めて見た」
「数字はいくつだ?」
水晶の文字が鮮明になる。
俺の固有数式。
人生を決める、たった一つの力。
そこには、こう表示されていた。
《SUBTRACT/減算》
減算値:【-1】
一瞬、静寂が落ちた。
直後、広場が笑い声に包まれた。
「い、いち?」
「一だけ減らすってことか?」
「それで何を倒すんだよ!」
「薬屋で値引きでもしてもらえ!」
笑い声が重なる。
鑑定官まで気まずそうに咳払いした。
「静粛に。まだ能力の詳細を確認している」
言葉とは裏腹に、その顔には答えが出ていた。
外れ。
それも、とびきりの外れだ。
「対象に存在する数値を一だけ減らす能力、のようだな」
鑑定官が手元の記録紙を読み上げる。
「攻撃力、防御力、魔力、体力。確認できるのはこのあたりか。同じ対象への使用は一分に一度。効果は……永続?」
笑い声が少しだけ弱まった。
「永続って、強くないか?」
「一だぞ。一」
「ゴブリンの攻撃力を二十から十九にして、何が変わるんだよ」
「十年かければ倒せるかもな」
また笑いが起きた。
俺は水晶から手を離した。
不思議なくらい、頭は冷えていた。
攻撃力を一減らす。
防御力を一減らす。
確かに弱い。
同じ相手には一分に一度。戦闘中に二回使えるかも怪しい。
それでも、ゼロではない。
「鑑定官」
「なんだ?」
「試しても?」
笑っていた連中が静かになった。
鑑定官は面食らった顔をしたあと、広場の隅を指す。
「訓練用の人形なら構わない」
木で作られた人型の標的が三体並んでいる。表面には剣の傷がびっしり刻まれていた。
俺が一体へ近づくと、水晶で見たものと似た文字が視界に浮かんだ。
【訓練人形】
【耐久値:30】
これが俺にしか見えない表示らしい。
意識を数字へ向ける。
「《減算》」
小さく告げた。
【対象:耐久値】
【30 → 29】
人形の胸で、ぱきりと音が鳴った。
細いひびが一本走る。
「おお」と、鑑定官が感心した声を漏らした。
「成功だ。間違いなく耐久値が一減っている」
俺は拳を握った。
発動した。
たった一だが、俺の力だ。
「それで?」
広場の前列から、背の高い少年が進み出た。
金髪に、高価そうな革鎧。腰には新品の長剣を下げている。
バイロン・ヴァルガ。
今日の鑑定で《倍化×2》を授かり、町中の話題をさらった男だ。
「人形を壊すまで、あと二十九分か?」
周囲がどっと沸いた。
「殴った方が早いな」
俺が返すと、笑いの半分が止まった。
残りの半分は、さっきより大きくなった。
バイロンは眉を上げる。
「分かっているなら話が早い。冒険者は諦めろ」
「嫌だ」
即答すると、今度こそ広場が静まった。
「聞こえなかったか? その能力じゃ――」
「聞こえた。役に立たないんだろ」
「なら」
「今の使い方では、だ」
バイロンの口が止まる。
俺はひびの入った人形を見た。
能力は弱い。
それは事実だ。
でも、分からないことが多すぎる。
なぜ俺には耐久値が見えた?
どんな数値でも見えるのか?
俺自身には使えるのか?
そもそも、減らせるのは本当に攻撃力や防御力だけなのか?
試してもいないのに諦めるなんて、それこそ馬鹿げている。
「次の者が待っている」
鑑定官に追われ、俺は台を降りた。
人混みが道を空ける。
憐れむ顔。笑いをこらえる顔。目を合わせない顔。
今朝まで肩を叩いてくれた知り合いも、急によそよそしくなった。
これも数式の力だ。
たった一つの数字で、人の価値まで決めてしまう。
「拓郎」
広場を出たところで、幼なじみのマメタが追ってきた。
「その……元気出せよ」
「元気だ」
「無理するなって。冒険者だけが仕事じゃない。うちの親父に頼めば、粉ひき場で――」
「冒険者になる」
マメタは足を止めた。
「でも、お前の能力じゃ」
「知ってる。弱い」
「だったら、どうやって戦うんだよ」
「それを今から考える」
俺は笑った。
強がりではない。
なぜか、少し楽しくなっていた。
誰が見ても役に立たない力。
だったら、俺が最初に使い道を見つけられる。
「剣もまともに買えないだろ」
「そこから考える」
「防具は?」
「そこも考える」
「宿代は?」
「……お前、嫌なところを突くな」
「現実だよ!」
結局、俺はマメタに昼飯をおごってもらった。
冒険者になる前に餓死しては格好がつかない。
夕方、広場へ戻ると祭りは終わりかけていた。
鑑定台は片づけられ、屋台も店じまいを始めている。
俺は例の訓練人形の前に立った。
【耐久値:29】
一分どころか、何時間も経っている。もう一度使えるはずだ。
「《減算》」
【29 → 28】
ひびが、ほんの少し伸びた。
「やっぱり地味だな」
自分で言うと、妙におかしかった。
だが、数値は戻っていない。
今日、明日、明後日。減らし続ければ、いつかゼロになる。
実戦でそんな悠長なことはできない。そこは考える必要がある。
俺は人形のまわりを歩きながら、別の数字を探した。
高さ。見えない。
重さ。見えない。
傷の数。見えない。
今の俺が認識できるのは、鑑定で示された能力値だけらしい。
歩き回ったせいか、足が重かった。
ふと自分の胸へ意識を向ける。
【疲労度:18】
「俺にも使えるのか」
人形へ使ってから、一分は過ぎている。対象が違うなら関係ないかもしれない。
「《減算》」
【対象:疲労度】
【18 → 17】
肩が、ほんの少し軽くなった。
劇的な変化ではない。腹が満たされるわけでも、傷が治るわけでもない。
それでも笑いが込み上げた。
弱い能力と、使えない能力は同じじゃない。
そのとき、倒れた人形の向こうに人影があることに気づいた。
バイロンだ。
腕を組み、こちらを見ている。
「今のは何だ?」
「俺にもよく分からない」
「とぼけるな。耐久値を減らしたんじゃないのか」
「違う数字を減らした」
「違う数字?」
バイロンはひびの伸びた人形と俺を見比べ、しばらく黙り込んだ。
やがて、腰の剣へ手を置く。
「拓郎。冒険者になりたいと言ったな」
「言った」
「なら明朝、東門へ来い。《白銀の牙》の試験を受けさせてやる」
思いがけない言葉だった。
《白銀の牙》。この町で一番勢いのある若手パーティーだ。
断る理由はない。
「分かった」
「ただし、勘違いするな」
バイロンは人形のひびを指でなぞった。
「小細工は一度しか通じない。実戦で役に立たなければ、その場で置いていく」
「一度通じれば十分だろ」
「何?」
「戦いを終わらせるには、一度でいい」
バイロンは鼻で笑い、背を向けた。
「明日の相手を見ても、同じことが言えればな」
去っていく背中を見送り、俺は自分の手のひらを見た。
耐久値を一減らした。
疲労度を一減らした。
できることは、まだそれだけだ。
だが、明日は実戦になる。
攻撃力を一減らしても意味がない相手に、この力をどう使う?
答えを見つける機会は、翌朝やってきた。
人間の背丈を越える棍棒と、それを握る緑色の巨人と一緒に。




