第13話 増え続ける世界
【谷の魔物数:320】
数字が変わる。
【321】
【322】
「一秒で二体」
ゼロナが青ざめた。
「このままなら、一分で百二十体増えます」
「計算しなくても最悪なのは分かる」
谷から見える一本道は、山の麓にある村へ続いていた。
煙突から夕食の煙が上がっている。
村人たちはまだ異変に気づいていない。
「魔物が村まで来るのに、どれくらい?」
プラナが聞く。
「先頭は三・二キロ。走れば十五分です」
「避難させる時間がないな」
ガンテツが背負った鉄板を下ろした。
やはり盾だったらしい。
「ここで止める」
「三百体以上いるぞ」
「だから何だ」
「確認しただけだ」
俺は谷を見下ろした。
魔物は同じ方向へ進んでいるわけではない。突然増えたことに混乱し、互いにぶつかり合っている。
だが村の匂いに気づけば、一斉に向かう。
倒しても追いつかない。
一体倒す間に二体増える。
なら先に、増える原因を止める。
「ゼロナ。どうやって分かれてる?」
「待ってください」
金色の瞳が谷を走る。
一頭の狼が足を止めた。
体の輪郭がぶれる。
隣に、まったく同じ狼が現れる。
体を半分にしたのではない。どちらも元と同じ大きさだ。
「周囲の魔力を吸収しています」
「魔力から体を作ってるのか?」
「はい。谷の魔力濃度が通常の二倍です。余った魔力を肉体へ変えている」
視界に数字が共有される。
【谷の魔力濃度:200】
「一減らしても百九十九だ」
「増殖が止まるのは百以下です」
「同じ谷には一分に一回。百回減らす前に村がなくなるな」
「単位を変えます」
ゼロナが目を閉じた。
「通常状態を一とする基準で見れば、現在の谷は二です」
数字が切り替わる。
【谷の魔力濃度:基準値2】
二から一。
たった一回で、通常に戻せる。
うますぎる話だ。
「谷全体が対象になる。反動は?」
「分かりません」
「止めた方がいいわ」
プラナが俺の腕をつかむ。
「距離を何度も減らしただけで鼻血が出たのよ。谷なんて――」
「やらなければ村が襲われる」
「だからって、あなたが倒れたら」
「そのときは体力を足してくれ」
「一だけよ」
「いつも通りだ」
プラナは何か言い返そうとして、やめた。
「絶対に戻ってきて」
「ここにいるのに、どこへ行くんだ」
「そういう意味じゃない」
「分かってる」
俺は谷へ両手を向けた。
広すぎる。
視界に収まらない森も、川も、三百を超える魔物も、一つの場所として理解する必要がある。
谷の形を頭に描く。
山と山の間にある、大きな器。
器を満たす魔力。
基準値二。
そこから一を引く。
「《減算》!」
【谷の魔力濃度:2 → 1】
音が消えた。
風も、獣の鳴き声も、プラナの呼吸も聞こえない。
谷を満たしていた青い光が、俺へ向かって流れてくる。
減らした魔力は消えるのではない。
俺の体を通り抜け、どこかへ落ちていく。
冷たい。
骨の内側を氷で削られているようだった。
頭の奥で何かが切れる。
幼い頃の景色が、一瞬だけ見えた。
母の顔。
次の瞬間、その顔から目と口が消えた。
「拓郎!」
音が戻る。
俺は膝をついた。
鼻と耳から血が落ちる。
谷では、分かれかけていた狼の輪郭が元へ戻っていた。
数字が止まる。
【魔物数:367】
増えない。
「止まった……」
ゼロナの声が震える。
プラナが俺を抱き起こした。
「私が誰か分かる?」
「プラナ」
「これは?」
ゼロナを指す。
「ゼロナ」
「あれは?」
「ガンテツ」
「俺だけ扱いが雑だな」
「三人とも覚えてる」
だが、母の顔が思い出せない。
声は覚えている。手の温かさも、髪の匂いも。
顔だけが白く抜け落ちた。
能力の反動だ。
「減らしたものが大きすぎたんです」
ゼロナが言う。
「世界規模の数値へ触れると、代わりに拓郎の中から何かが減る」
「先に言え」
「今、分かりました」
いつものやり取りなのに、笑えなかった。
「増殖は止まった」
俺は立ち上がる。
「次は、残った三百六十七体だ」
「休め」
ガンテツが肩を押さえる。
「立てる」
「立てることと戦えることは違う」
「だが村が」
「そこからは俺たちの仕事だ」
ガンテツが盾を持ち上げる。
「お前は増加を止めた。全部一人でやろうとするな」
プラナがうなずく。
「そうよ。私たち、パーティーでしょ」
「戦闘能力三ですが、作戦は立てられます」
ゼロナも眼鏡を押し上げた。
「三を自慢するな」
◇
谷から村へ向かう道は、途中で細い石橋を渡る。
横幅は二メートル。
魔物が一度に通れるのは二体までだ。
俺たちは村へ先回りした。
鐘を鳴らし、村人を集める。
「三百六十七体の魔物が来ます」
ゼロナが告げた。
村人たちの顔から血の気が引いた。
「逃げても追いつかれます。橋で止めます。戦える人は武器を。ほかの人は石と油を運んでください」
十四歳の少女が、迷いなく指示を出す。
村人たちは動いた。
ガンテツが橋の中央に立つ。
大盾を構えた。
「《固定》!」
【位置:橋中央・固定】
【防御力:100・固定】
鉄色の光が全身を包む。
「二つ同時で、どれくらい持つ?」
「三十分」
「魔物は?」
「到着まで二分!」
「十分だ」
地鳴りが近づく。
最初のゴブリンが橋へ飛び込んだ。
ガンテツの盾へ棍棒を振り下ろす。
盾は動かない。
ガンテツの足も、一歩も下がらない。
反対の手に握った鉄鍋が、ゴブリンの頭を打ち抜いた。
「盾じゃなかったのか、それ!」
「炒め物用だ!」
「そんな鍋があるか!」
次の狼が跳ぶ。
プラナが杖を向ける。
「《加算》!」
【ガンテツまでの距離:1m → 2m】
狼の爪が空を切る。
体勢を崩したところを、村人の槍が突いた。
ゼロナが全体を見渡す。
「左から角ウサギ二体! 次のゴブリンは右手に短剣!」
数字で攻撃の順番を読み、声を飛ばす。
俺は後方で座っていた。
戦えないのが悔しい。
だがガンテツの言う通りだ。
今の俺が前へ出れば、守る対象が一つ増える。
代わりに数字を見る。
「ガンテツ、右足の疲労が八十!」
「まだいける!」
「プラナ、魔力が十九!」
「十までは平気!」
「投石、次まで十二秒!」
「用意しろ!」
数字を伝える。
それだけでも戦える。
三十分後。
橋の前には魔物の山ができていた。
ガンテツの固定が切れる。
残りは四十二体。
「交代!」
村の猟師たちが前へ出る。
プラナがガンテツの体力を足す。
俺はようやく立ち上がった。
「残りを片づける」
「剣は?」
「村長に借りた」
錆びた剣を抜く。
「折らないでね」
「努力する」
四十二体。
今度は増えない。
一体倒せば、確実に一体減る。
俺たちは橋を渡った。
◇
最後のゴブリンが倒れたとき、夜が明けていた。
村人たちの歓声が山へ響く。
死者はゼロ。
重傷者は三人。プラナと村の治癒師が手当てを始めた。
俺は橋の欄干へ座り、朝日を見る。
空には、昨夜より多くの星が残っていた。
明るくなっても消えない。
ゼロナが隣へ来る。
「各地で同じ現象が起きています」
伝令用の魔導紙を見せた。
東部では森が一夜で二倍に広がった。
南部では湖の水量が増え、町が沈んだ。
王都では一日の出生数が、前日の十倍になった。
西の鉱山では、掘っても掘っても鉱石が増えている。
「喜んでる人もいそうだな」
「今は、まだ」
食料が増える。
水が増える。
鉱石が増える。
一つずつ見れば、祝福に思える。
だが、谷で見た。
増え方は止まらない。
世界には容量がある。
満ちた器へ足し続ければ、いつかあふれる。
「王都へ急ごう」
「はい。石板を解析できる設備もあります」
立ち上がったとき、村の入口から鐘が鳴った。
金色の鎧を着た男が、一人で歩いてくる。
兜はかぶっていない。
白い髪。若く見えるが、目だけがひどく古い。
胸には、ナナシが持っていた金色の円盤と同じ紋章。
「吉田拓郎」
男が俺の名を呼ぶ。
「第七減算者の石板を渡せ」
ゼロナの《数理眼》が、男の数字を映した。
【体力:500】
【攻撃力:420】
【防御力:390】
そして、寿命。
【残り寿命:∞】
男は剣を抜いた。
「断るなら、お前たちが死ぬまで待つ」
「俺には、その時間がいくらでもある」




