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冒険者失格  作者: 藤崎聖子


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第12話 四つの記号

 プラナが退院するまで、十二日かかった。


「もう平気よ」


「歩き方が変だぞ」


「十二日も寝てたから、足が鈍っただけ」


「傷の痛みは?」


「二十一」


「昨日は?」


「二十四」


「傷の深さは?」


「拓郎」


 プラナが振り返る。


「心配してくれるのは嬉しい。でも、一日に五回も数字を聞かれると病気になった気がする」


「病気じゃなくて怪我だ」


「そういうところよ」


 プラナは俺の額を指で弾いた。


 いつもの調子が戻っている。


「走るな。重い物を持つな。戦闘では後ろにいろ」


「分かってる」


「本当に?」


「あなたよりは、自分の体を分かってるわ」


「俺はお前の体力が数字で見える」


「言い方!」


 後ろを歩くガンテツが咳払いした。


「二人とも、痴話喧嘩は遺跡へ着いてからにしろ」


「違う!」


 声が揃った。


 ゼロナが手帳へ何かを書き込む。


「何を書いた?」


「否定速度、同時。関係進展の参考値です」


「その頁を破れ」


     ◇


 北の遺跡までは馬車で三日だった。


 山あいの道を抜けると、霧の中に四本の石柱が現れた。


 柱には一つずつ記号が彫られている。


 《+》


 《-》


 《×》


 《÷》


 四本とも同じ高さ。同じ太さ。


 《-》だけが傷つけられていた観測塔とは違う。


「ここでは、まだ同格だったんだな」


「遺跡の推定年代は二千八百年前です」


 ゼロナが石の表面を調べる。


「減算が不吉とされたのは、千年ほど前から。それより古い」


 ガンテツは無言で柱の奥へ進んだ。


 霧の向こうに、半分崩れた門がある。


 その前に、古びた盾が落ちていた。


 王国騎士団の紋章。


 ガンテツが拾い上げ、泥を払う。


 裏側に名前が刻まれていた。


「知っている人?」


 プラナが静かに聞く。


「俺の隊長だ」


 ガンテツの声は、それだけだった。


 七年前に消えた二十人の調査隊。


 彼らはここまで来ていた。


 俺たちは門をくぐった。


     ◇


 遺跡の地下には、四本の通路が延びていた。


 どの入口にも、四則記号が刻まれている。


「どれへ進む?」


「地図では、全部同じ部屋につながっています」


 ゼロナがナナシの手帳を開く。


「ただし、入口を一つ選ぶと、ほかの三つは閉じるようです」


「なら《+》でいいんじゃない?」


 プラナが言う。


「自分の記号だからか?」


「明るくて縁起がいいでしょ」


「増えすぎた世界を調べに来たのに?」


「じゃあ《-》?」


「いかにも罠だな」


「《×》は?」


「危険が倍になりそうです」


「《÷》は?」


「人数を割られたら困る」


 全員で黙った。


「どれも嫌だな」


 ゼロナが壁を調べる。


「文字があります。『一つを選ぶ者、均衡を知らず』」


「一つだけ選ぶのが間違い?」


「おそらく、四つを同時に開ける仕掛けです」


 各通路の手前には石皿が置かれていた。


 数字が一つずつ刻まれている。


 《+》の皿は【9】。


 《-》の皿は【11】。


 《×》の皿は【5】。


 《÷》の皿は【20】。


「全部を同じ数字にするのか?」


「計算すれば十になります」


 ゼロナが指で空中へ式を書く。


「加算の九に一を足す。減算の十一から一を引く。乗算の五を二倍にする。除算の二十を二で割る」


「俺たちに《乗算》と《除算》はいないぞ」


「遺跡に仕掛けがあります。こちらを」


 《×》と《÷》の皿には、小さな石の棒がはめ込まれていた。


 動かすと【×2】【÷2】の表示が出る。


「四つの役割を使えってことか」


「同時にです」


 ガンテツが四つの皿を見る。


「俺が結果を固定する。ゼロナ、合図を」


 それぞれの位置につく。


 プラナが《+》。


 俺が《-》。


 ガンテツは中央。


 ゼロナが二つの仕掛けを操作する。


「三、二、一!」


「《加算》!」


 【9 → 10】


「《減算》!」


 【11 → 10】


 ゼロナが二本の棒を倒す。


 【5 × 2=10】


 【20 ÷ 2=10】


「《固定》!」


 四つの【10】が鉄色の光に包まれた。


 地面が震える。


 四本の通路が、同時に開いた。


 暗闇の奥から風が流れてくる。


「一つが一番強いんじゃない」


 プラナが石皿を見つめる。


「四つそろって、扉が開くのね」


「昔の人間には当たり前だったんだろうな」


 今の世界では、《+》と《×》が強い力として尊ばれる。


 《÷》は使い道が限られ、《-》は不吉とされる。


 だが、この場所を作った者たちは違った。


 四つの記号を同じ高さへ並べている。


 増やすことも、減らすことも、掛けることも、分けることも。


 どれか一つでは足りないと知っていた。


     ◇


 四本の道は、円形の広間へつながっていた。


 中央に石棺がある。


 壁には巨大な絵が描かれていた。


 四人の人物が、球体を囲んでいる。


 球体は、この世界だ。


 《+》を掲げる者が、枯れた土地へ命を足している。


 《×》を掲げる者が、実りを広げている。


 《÷》を掲げる者が、増えすぎた力を分配している。


 《-》を掲げる者が、あふれたものを取り除いている。


「減算者は、破壊者じゃない」


 俺は壁画へ近づいた。


 古代文字が添えられている。


 《加算者は不足を満たす》


 《乗算者は恵みを広げる》


 《除算者は力を分かつ》


 《減算者は余分を取り除く》


 その下に、小さな文字が続く。


 《四者、等しく世界を保つ》


「私たちが教えられた歴史と違います」


 ゼロナが文字を写す。


「古代の減算者は、災いをもたらしたと教本には書かれています」


「誰かが歴史を書き換えた」


 プラナの声が低い。


「《-》だけを悪者にしたのね」


 ガンテツは壁画を見ていなかった。


 広間の隅に並ぶ、二十個の荷物を見つめている。


 朽ちた鞄。


 錆びた剣。


 王国騎士の盾。


 人数分、きれいに並べられていた。


 遺体はない。


「隊長の字だ」


 ガンテツが一冊の手帳を拾う。


 最後の頁を開いた。


 俺たちは黙って、彼が読むのを待った。


「『遺跡の記録を王都へ送った。返事は調査中止。入口を封鎖し、全員を残せとの命令』」


 頁をめくる音が響く。


「『従えない。世界の増加は事実だ。この記録を外へ持ち出す』」


 次の頁には、乱れた字が続いていた。


「『出口が消えた。王国側から仕掛けを作動された。食料は十二日分』」


 そこで記録は終わっている。


 ガンテツの手が震えた。


「魔物に殺されたんじゃなかった」


「王国が閉じ込めたのか」


「命令した者までは書かれていない」


 広間の奥に、白い灰が積もっていた。


 二十人分。


 彼らは最後に自分たちの装備を並べ、ここで息絶えたのだ。


 ガンテツは隊長の盾を灰の前へ置いた。


 膝をつき、深く頭を下げる。


 誰も声をかけなかった。


     ◇


 石棺の蓋には《-1》が刻まれていた。


 四人で押し開ける。


 中に遺体はなかった。


 一冊の石板だけが収められている。


 ゼロナが表面の文字を読む。


「『第七減算者、シオンの記録』」


 俺は少しだけ安心した。


「吉田拓郎じゃなかったな」


「なぜ古代の墓に自分の名前があると思ったの?」


「最近、何が起きても驚かなくなってきた」


 石板には、《減算》の規則が刻まれていた。


 減らせるのは一だけ。


 存在する数字しか減らせない。


 数字を理解しなければ、力は届かない。


 未知の数値を減らすほど、認識は広がる。


 俺の能力と同じだ。


「最後の部分」


 ゼロナの指が止まった。


「何と書いてある?」


「『増加は祝福ではない。減算は呪いではない』」


 文字の一部が削れている。


 ゼロナが光の角度を変えた。


「『世界には容量がある。満ちた器へ足し続ければ――』」


 その先は読めない。


「どうなる?」


「石板を解析すれば、消えた文字も復元できるかもしれません」


 ゼロナが慎重に包む。


 俺は空の石棺を見た。


「シオンの遺体はどこへ行った?」


「ここは墓ではなく、記録庫だった可能性があります」


「では、本人は?」


「分かりません」


 墓と呼ばれているのに、遺体はない。


 シオンがどこで死んだのか。それとも、生きてこの場所を去ったのか。


 答えは石板にも残されていなかった。


     ◇


 遺跡を出たのは夕方だった。


 霧が晴れている。


 山の斜面を下りながら、ガンテツは一度も振り返らなかった。


「町へ戻ったら、王都へ行く」


 彼が言う。


「隊長たちを閉じ込めた命令書を探す」


「俺たちも行く」


「危険だぞ」


「今さらだな」


 プラナとゼロナもうなずいた。


 ガンテツは少しだけ笑った。


 そのとき、山の下から奇妙な音が聞こえた。


 獣の鳴き声。


 一つではない。


 何十。何百。


 谷を見下ろす。


 朝には何もいなかった草原が、魔物で埋め尽くされていた。


 ゴブリン。


 狼。


 角ウサギ。


 同じ姿の個体が、次々と二つに分かれている。


 ゼロナの瞳が光る。


 【谷の魔物数:318】


 数字が一つ増えた。


 【319】


 また一つ。


 【320】


「増えてるんじゃない」


 プラナが青ざめる。


「増え続けてる」


 空を見上げる。


 夕暮れにはまだ早い。


 それなのに、星が一つ輝いていた。


 その隣で、新しい星が生まれた。


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