第93話 乙種Ⅰ類一種:夜爪豹
紫嶺から東南東へ240kmに紺峠。そこからほぼ真東わずかに北方向へ250km行くと蒼汐だ。
紫嶺を出発して紺峠へ向かう予定だったが、ラグナさんたちの紫嶺周辺のD案件調査結果を見届けてからの出発にした。
調査結果からは、報告した黒牙狼の大量発生の原因になるものは発見出来なかったと教えてもらっている。
紺峠までの道のりは何も問題はなかった。時折、丙種に遭遇したけれど、想定を超えることもなかった。
紺峠の街で、大きな問題はなかったけれど蒼汐への街道で普段より丙種が多く見られるとの情報をもらえた。紺峠で探査会社を営む、元KTSの大先輩に紫嶺でのD案件調査結果を伝えた。
厳つい爺さんは、少し考え込んで言った。
「エイナルたちが、何も見つけられなかったということは、原因は移動しているのかもな。マサトはこれから蒼汐に向かうんだよな」
「はい。その予定です。蒼汐でお使いを済ませたら、汐崎へ行きます」
「なるほどな、道中気をつけろよ。勘ですらないけど、黒牙狼が大きな群れを作らざるを得なかった何かが、蒼汐らへんの森にいるかもしれん」
嫌なことを言う爺さんだと思った。
そしていま、爺さんの予感は的中している。
「フレイアっ!あれなんとかしてくれ!俺、あいつ嫌いなんだよっ」
〈なんともなりません。とにかく逃げて下さい〉
紺峠から150kmほど進んだ峠道。絶賛魔獣に追いかけられてる最中であった。
乙種Ⅰ類一種:夜爪豹。
またコイツかよ!白峰の魔獣災害で殺されかけた記憶は、すっかり苦手意識を作り上げてしまっている。
山道を縫うように作られた蒼汐への小街道は、いわゆるワインディングロード。直線番長のV-REXとは相性が悪い。
〈回り込まれました!11時方向から来ます。躱してくださいっ〉
無茶言うな。しかし、避けなければ殺られる。リアをロックさせ車体を横滑りさせながら速度を殺す。街道に着地した夜爪豹は、改めてこちらに飛び掛かってきたが、アクセルを大きく開けて躱した。
こいつ、白峰の奴じゃないだろうな。夜爪豹の一種なんてそうお目にかかるものではない。
とにかくフレイアのナビを頼りに、V-REXを操り躱し続けた。
「監査官、良いことを思いついた!疲れただろう?ちょっと食事休憩とかしてきたらどうかな?ティーブレイク的な小休憩しておいでよ。5分あれば十分だ」
〈なに言ってるんですかっ。絶対に倒す気ですよね!ダメって言ったじゃないですかっ〉
いや、そんなこと言っても、こっちは丁寧に峠道をトレースするしかない。しかし、あいつは山の中をショートカットしてくるんだ。しかも、木々の上から飛びかかってくる。
どうやって巻くか……困った。
「フレイア、この先に直線はないか。数百mあれば良い。その先が左カーブなら最高だ」
〈あります!ここから直線距離で200メートル先――〉
「アホか!直線距離で言うなっ。どんな道のりか言え!」
〈そうでした〉
〈ここからナビゲートします。次右R130、80メートル、左R90。すぐ右R160。出口から500mがストレートです〉
よしよし、ミラーに映る夜爪豹を見ながら笑う。
「直線終わりのカーブはどんなだ」
〈左のR40です。かなり急なものになります〉
良いね良いね。おあつらえ向きだな。
〈マサトさん?〉
言ってる間に最終コーナーを抜けた。よっしゃ!待望の直線だ、V-REXよ加速したまえ。
大きくアクセルを開けるとフロントが浮きかけた。無理やり押さえ込みギアを上げる。ミラーを確認すると夜爪豹の奴も直線に入り加速している。ここで追いついて俺を仕留める気なんだろう。
そうはさせんぞ。
〈ねぇ、マサトさん?〉
「フレイア!ミラー見ろ。夜爪豹との距離をカウントしろ!」
〈……。50、40、30、20……15……〉
よし、奴との距離を維持する速度に合わせる。直線は終わりを迎えようとしている。左のヘアピンカーブが目に入る。
いまだ!急制動すると同時に後輪をロック。車体を滑らせカーブに合わせる。こらえろ……。
「あっ」
耐えられずに転倒した。そして、夜爪豹も曲がり切れなかった。V-REXと夜爪豹はそのままカーブの外へ。山頂から崖下へダイブだ。
「あーーーーっ!V-REXがーーーーっ!」
〈あーーーーっ!夜爪豹がーーーーっ!〉
俺も崖下に落ちかけたが、道端の草を束にして掴みなんとか落下は免れた。崖にぶら下がり下を見る。どうなっているのか、わからん程度には高いな。
〈もうっ!もうっ!マサトさん、夜爪豹が落っこちちゃったじゃないですかっ!一種だから倒しちゃダメって言ったのにっ!!〉
なんか可愛いな。フレイアが大慌てしている。
「しょうがないだろ。不幸な事故だ」
〈うそばっか!絶対に狙ってましたよねっ!もう、マサトさんのばかぁーーー!〉
「狙ってなんかいないって。V-REXも落っことしちゃったんだぞ。ラド課長に殺されるかもしれん。参ったなぁ〜」
〈もぉー!倒しちゃダメって言ったのにぃ〜〉
だいぶ、混乱しているようだな。いつも冷静なフレイアが珍しい。
「大丈夫だよ。乙種の一種だぞ。この程度の崖から落ちたくらいでくたばるもんか。そんな簡単な相手なら俺らは苦労せん」
「それより、V-REXに弓積んだままだぞ。取りに降りないとだ。マジかよ、ここ降りるのかよ……」
〈あぁ、どうしよう……〉
困り果てているフレイアが、可哀想になってきた。心配いらないって。一種舐めんなよ。
「フレイアっ!今から下に降りる。夜爪豹の死体なんか絶対ないから心配するな。それより、カナンに報告しとけ、私の契約者が一種を崖下に落としましたって」
〈…………はい。気をつけて下に降りて下さいね〉
「それこそ心配するな。この程度の高さから落ちて死ぬような奴が、一種の相手なんか出来るかよ。それに、お前の契約者は天征単騎章持ちなんだぞ」
〈そうでしたね……。忘れていました。カナン様に報告します。あと、KTSにも連絡しますね〉
えぇ〜〜。会社に連絡するのはちょっと……絶対に怒られるよ。
フレイアの返答はなかった。けれど、俺のいつもの態度を見て混乱状態から立ち直ったのはわかった。
崖を見上げている。よくもまぁフリーで降りたものだ。日本に帰ったらクライマーとしてやっていこうかな。降りるのに比べたら、登る方がシンプルに楽。
まぁ、それもハルモニアで身体強化魔法を身につけたからだけど。落ちて死ぬという恐怖心ゼロ。
実際何回か落ちたけど、慌てずに白炎を抜いて岩に突き刺して落下を防いだ。そのまま落ちても怪我程度で済むという自信もある。
〈わたしは怖かったですけどね。もっと足場をちゃんと確認してから降りて行って下さい〉
「これ高さどれくらいあったの?」
崖上が見えない。
〈400mちょっとですね。日本のどの超高層ビルよりも高いです〉
うん。俺はもはや人間ではないのかもしれない。クライマーの仕事は諦めよう。化け物扱いされて研究所送りにされる。
それにしても、困った。頭を抱えて蹲りたい。夜爪豹の死体はない。それはそう。しかし、V-REXの死体、いや残骸はあった。心臓部である魔素駆動機はさすが頑丈に作られているから大丈夫。真核制御器も問題ない。まぁその二つがどうにかなるような事故なら、夜爪豹もダメだったかもわからんけど。
しかし、車体はもうどうにもならない。素人目に見た限り全損だった。
「はぁ〜。やっちまったなぁ……。どうしようこれ」
〈無事一種を巻いて、マサトさんも怪我していない。それを喜びましょう。カナン様も問題ないって仰っていました〉
カナンはそうだろう。
「会社なんだって?」
〈えっと、オペレーターの方に状況を伝えただけなので、KTSがどう思っているかは現時点ではわからないとしか……〉
ラド課長になんとお詫びすれば……。
〈だ、大丈夫です!不可抗力だったと、わたし証言します!〉
普段の素行に問題がなければ、それも通るだろう。ついこの間、うっかりヘリを一機破壊したばっかなんだよ。
〈…………。そうでしたね……なら、わたしも一緒に怒られましょう!それなら、少しは気も紛れるんじゃないですか?〉
「ありがとう。気持ちだけ受け取っておくよ」
頭のおかしいうちの会社だけど、流石に斎女監査官を怒るなんて出来るわけない。
〈あ、KTSから連絡入りました。ちょっと出てきますね。救助要請してるので、準備が出来たんだと思います〉
救助要請かー。どの面下げて助けてもらうのか。誰が来るかな。フロラは、ププッてしそうだから嫌。ラド課長とか想像もしたくない。セレナさんが良いなぁ〜。
そんなしょうもないことを考え黄昏ていた。しかし、捨てる神があれば拾う神もいる。ハルモニアは基本的に人に優しい世界だった。
〈マサトさん、KTSさんから伝言です〉
〈今は大型輸送ヘリがない。あってもV-REXの残骸を崖下からヘリに搬入するための人員が足りない。最低でも四日は掛かる。よって独断専行を許可する。お使いを続けろ。とのことです〉
いやっふぅーー!とりあえず、問題は先送りできた。ほとぼりが冷めるまで、お使いしていよう。
「よっしゃ!フレイア、一安心だな。蒼汐に向かおう。とりあえず崖登るから、怖いなら目を瞑っていて良いよ。いや、それより俺が目を瞑って登るかっ!それなら、フレイアも怖い思いしないよな」
〈お願いですから、目を開けて登って下さい。登り終わるまで、わたしは斎女課の大型モニターを見てますから……〉
そう?とりあえず、弓を肩にかけ、携帯糧食を背負い袋に詰め込んで崖に取り付いた。登るのは気分が高揚して良いよね!気分を上げていこう。




