第85話 紫嶺
紫嶺に着いた時には陽は傾きかけていた。
落陽はその名の通り街を紫掛かった色に染めていた。
南のハブなのだが翠風と比較すると、ずっと穏やかな街。入街の際に行列が出来ているわけでもない、スムーズに入れた。
「とりあえず役場かなぁ〜。紫嶺探査さん、まだやっているかな」
〈お疲れさまです。そうですね、まずは今夜の宿泊先を決めないとですね〉
今までタクナがやっていたが、奴はアルカディア管区の北にいる。手順はちゃんと聞いてはいるが、初めての手続きで少し緊張する。
「たのも〜!」
役場に入って挨拶をした。
〈道場破りですか?あなたは〉
(いや、これが正式な挨拶だってタクナの奴が)
「はいはい、どうされましたか?」
奥から職員さんがやってきた。
「ん、KTSの方ですね。何かありましたか」
ほらみろ、ちゃんと対応してくれるじゃないか。
〈では訊いて下さい。そんな挨拶する人が今までいたか〉
「いや、お使いに来たのですが、到着がこんな時間になってしまったのでとりあえず泊まるところを手配したいと思いまして」
フレイアがなんか言ってるが無視だ。生真面目監査官に都市外でのやり方を教えてやらんとな。
「ああ、現況巡察任務ですね。乱暴者が手合わせを願い出ているのかと思いましたよ。ここは探査会社じゃないよって案内するのかと」
「どちらにせよ案内は必要になったけど」
空き家台帳を取り出して、笑いながら男性職員さんが言った。
〈なにか私に言うことがあるのではないですか?〉
そんなものはない。あるのは、タクナに対してだ。あの野郎、嘘教えたな。なにが役場に着いて最初の一声は、たのもーだ。道場破りじゃねーんだぞ、脳筋野郎が。
(フレイア監査官もそう思いますよね?)
〈…………〉
なんか言えよ。
その後の手続きは滞りなく終わった。探査会社も教えてもらった。
「うむ。あとは今日のところは紫嶺探査に挨拶だけしておけば良いな」
紫嶺探査は、役場から少し離れた場所にあった。白峰よりは大きい。まあ白峰ほどに小さな探査会社は見たことないけど。
「こんにちは。KTSの者ですが現況巡察でお伺いしました」
〈なぜその挨拶を役場ではしないのですか?〉
(…………。)
〈黙らないで下さい。黙ったところで、何を考えているのかわかるんですよ?〉
うるさいですわよ。
「はいはい。いらっしゃいませ。わざわざありがとうね。今年度はKTSさんが現況巡察任務を請け負っているんだね。ささ、入って入って」
年老いたといったら失礼だが、かなり高齢な狼人の男性が対応に出て下さる。
「いえ、遅い時間にお邪魔してしまったので、今日はご挨拶だけにしようかと」
「いやいや、時間は大丈夫ですよ。お疲れでなければ、せめてお茶でも飲んでいって下さい」
疲れてなどいない。たとえ見栄のために230kmも余計に走行したとしてもだ。
〈その虚栄心はいったいどこからくるんでしょう。探ってみたくなります〉
虚栄心言うな。自尊心と言ってくれたまえ。格好つけて二本指で軽く敬礼をして出たんだ。間違えて違う所から出ちゃいましたとか、どの面下げて戻れるというのか。
「おーい婆さん。KTSの若い方がお見えだ。お茶と、なんか気の利いたお茶菓子を頼む」
黙ってしまった結果、お茶菓子を頂く流れになった。申し訳ありません、気を使って頂いて。
「すると引退後にご夫婦でこちらに」
事務所の応接間で、お茶とお菓子を頂いている。
「そうなんだよ。もう20年くらいここを任せてもらっているね。僕が人口調整で都市を退去することになってね。僕はソラにいたけど、婆さんはマサトさんと同じくKTSだったよ」
なんだと!?先輩ということは、やはりアレな人なのか?社長さんが何も言わなくても、あれこれ気を回している年老いた狼人の女性。とてもそうは見えない。
社長さんのお茶には氷が浮いていた。不思議に思い眺めたら、猫舌なのでいつもお茶には氷を浮かせてもらうと笑いながら言われた。
「それにしてもKTSさんも思い切った事をするんだね。まさかELC徽章持ちをお使いに出すとはね。それに凄い徽章も付いている。朱路の災害だね」
柔らかい言い方ではあったけど、老練な探査員としての確認めいていた。
気がつくと奥さんが社長に黙って書類を渡していた。社長は渡された書類に目を通して頷く。
「6名も亡くなっているんだね。マサトさんの先輩かな?」
朱路災害の概要をまとめたものだったらしい。社長は何も言ってないのに、よくもまあ。ご夫婦が長い間、紫嶺を守ってきたのだとわかる。
「はい。良く面倒をみてくれた先輩たちでした。強くて優しい人たちでしたね。俺もそんな風になりたくて、探査員を続けています」
不思議と、心は揺れなかった。あれから時間が経ったからじゃない。きっとこのご夫婦が経験してきた探査員生活は、朱路災害がどんなものだったのか俺より深く理解している。そんな風に思えたからだと思う。
役場が手配してくれた家は、紫嶺探査と役場のちょうど中間くらい。妙に広い敷地に小さめの家だった。大して疲れていないと思っていたが、シャワーを浴びて携帯糧食を齧っていた。
「フレイア、今日はもう寝るだけだ。感応閉じてフレイアも休んでよ」
〈そんな訳にいきません。あなたは都市外にいるんですよ。夜間に魔獣の襲撃があったらどうするのですか〉
まぁ言ってることはわかる。けど、お使いの間中、開きっぱなしにするのかな。そんなことして、持つのだろうか。
〈ご心配には及びません。あなたが寝ている時に私も休みますから。万が一の時は、感応が繋がっている私も同時に起きることができます〉
生真面目だなぁ。俺ならサボりそうだ。
「じゃあ少し付き合ってもらうかな」
借りた家には広い庭とバルコニーがあった。前に翠風でバルコニーに居たらアルマがやってきた。今はフレイア監査官だ。
淹れたお茶に少しだけアルコールを足してバルコニーに出た。青い夜はいつ見ても、ここが地球ではないと知らせてくれる。
大きな月が銀色に光り、庭を照らしていた。都市とは違い本当に静かな夜だ。目に入る家々の灯りも少ししか灯っていない。
「素敵なご夫婦だったね。奥さんKTSの先輩とは思えなかった」
〈KTSの探査員が、皆さん困った人というわけではない証拠ではないかと〉
誰が困った探査員だ。
「誰かと結婚してあんな風に年を重ねられたら幸せかもしれないね」
〈はい。とても素敵でした。互いに言葉を交わさなくても、必要としていることがわかる。そんなやり取りが見受けられました〉
ほんとそれ。朱路の書類とか、アイコンタクトすらなかった。
「そういえばフレイアは結婚しているの?」
プライベートなことは聞いたことなかった。
〈…………。わたしは生涯独身だと思います〉
む。もしや触れてはいけない話題だったか。ひっつめ髪で色気の欠片もない、生真面目で融通が効かない監査官。嫁の貰い手などないということか!地雷を踏んだ気がした。
〈なんかものすごく失礼なことを考えていますね〉
「そ、そんなことないよ。俺は何も考えてないです」
〈わたしに嘘や隠し事ができないというのは、いつになったら理解できますか?〉
隠していることを暴くな。あと嘘なんかついてない。方便というものだ。
〈屁理屈ばかりです〉
フレイアの声が少し笑っているように思えた。
〈でも、あなたの指摘も理由のひとつですね……〉
少し声が沈んでしまった。これはいけない。
「監査官。いつも俺ばかり隠し事が出来ないのは不公平だ。ここはひとつ均衡を保つために、フレイアの秘密を打ち明けてみるってのはどうだい?」
〈…………。それも良いかもですね……〉




