第69話 笑顔だった
休みなのに会社に来てしまった。
朝のジョギングをして、風呂に入って、飯を食って、シロを構って、やる事がなくなった。
会社の屋上。換気口をベンチ代わりに街を眺めていた。中央部は果てまで人間の生活圏が続く。
「マサトさん。こんなところで何をされているんですか?」
男性に声をかけられた。
「ハイナス監査官……いや、別に何もしていません。街を眺めていました」
「そうですか」
常駐している監査庁監査官。顔は知っていた。
「では雑談に付き合ってくれませんか?」
「お説教ですか」
自分でも驚く。なぜこんな攻撃的な言葉が出たのか。
「まさか、とんでもない。ただあなたは何か言いたいことがあるのではないかとは思いました」
隣に座り、こちらを見ずに街を眺める。
「聖護庁の本職には劣りますが、私も神職です。悩める人の話を聞くのは得意ですよ」
監査官は穏やかに言葉を紡ぐ。
神職とはなんだ。人口調整、魔獣の討伐可否、不均衡な奇跡、火器は禁忌、神罰。まるでカナンによる命の選別だ。
「ハイナス監査官はカナンとの交信が可能なんですよね」
「ええ、斎女ほど明確な意思疎通は無理ですが、カナン様の意向を訊ねることは出来ますよ」
「では伝えて下さい。おまえは糞ったれだ、って」
「わかりました。伝えておきます」
意外な返事に顔を上げて監査官を見た。
「怒らないんですか?」
「なぜ怒る必要が?貴方はカナン様の教えに逆らうようなことは何もしていませんよ」
なんの問題が?ハイナス監査官の表情は言葉通りのものだった。
「監査官が信奉する神を侮辱したんですよ」
「そうですね。まったく酷い言葉です。もう少し上品に罵るほうが良いとは思いました」
監査官はそこには苦言を呈して首を振る。
「我々も同じことを繰り返してきたようです。当然、もっと上品にですよ?」
笑いながら、そう言う。
神職という立場にある人間が?
「カナンはなんと答えるんですか?」
「人によるみたいです。しかし共通するのは、わかったと」
面白いでしょう。そんな表情をしていた。
「わかりません。なぜみんなカナンを信奉するのか。一種を討伐出来ていれば、被害が出ない災害もたくさんあると聞きます」
「そうですね。私もそう思います」
「それでもカナンを信じるんですね」
「はい。私は神職者ですから」
真っ直ぐ俺の目を見て言う監査官。狂信者とも思えるセリフだった。
なにも言わずに監査官を見た。
しかし、そこに狂気の色は見られない。ただ、俺を気遣う優しい人間がいるだけだった。
「すまなかったですね。邪魔をしてしまいました。やはり本職のように上手くはやれませんでした」
そう言ってハイナス監査官は立ち上がる。お尻についた汚れを払い。少しだけ気落ちしているように見えた。
「いえ、監査官。ありがとうございます。少なくともあなたを知れて良かったです」
「そうですか。とりあえずカナン様に糞ったれと伝えておきます。それはお約束しますよ。では、失礼しますね」
屋上から出て行く監査官の姿を見送った。何しに来たのだろう。邪魔をしたのは俺の方だったのかもしれない。
そのままずっと屋上にいた。こんなに何もしないのはハルモニアに来て初めてだったかも。
陽が沈んでからは、休憩室に移動した。寮に帰ればいいのに。
自動販売機の明かりがソファーを浮かび上がらせていた。小さな機械音が微かにする。
夜間でも当直員のひとりやふたりは居る。しかし、今夜は貸切りだ。明日の準備が終わり社内には最低限の人員しか残っていない。
ひとりで自販機の明かりを眺めていた。
「マサト。電気くらいつけろよ」
白い壁がいきなり光を放つが、不思議と眩しくはなかった。
「大丈夫か?」
「なにが?ぜんぜん大丈夫だぞ」
タクナの言葉に宙を睨んだまま応えた。
「お前は大丈夫なのか」
「お前よりはな」
「そっか」
視線を落とし俯く。
「ガレルさんとエイナルさんがさ、休憩室に亡霊がいておっかないってさ」
「なんだよ亡霊って、ひでぇな」
タクナを見るとひと汗かいた様子。
「なにしてたんだ?」
「地下の訓練室で一日中剣の素振りしてた」
そっか。地下の訓練室か。
「いや、地下の訓練室って何よ。俺そんなもの知らないぞ」
「だろー。俺もおととい知ったのよ。酷くね?」
…‥……。
「なんか言えよ」
なんかって言われてもな……。そうだ!
「お前さ、蒼鱗蜥と戦ってどうやって生き残ったんだ?一種は結局どうしたんだ」
あんなものを三頭相手に、なんで無事なんだろう。
「いや、それが一頭目を倒したところまでは憶えてんだけど、あとは記憶にないんだ。ティーナさんが、討伐していいって、必死で叫んでいたのが聴こえて、首を跳ね飛ばしてやった」
「マジかー。すげぇな」
「いや、凄いのはお前じゃね?甲種だぞ。よくもひとりで倒したよな」
それが、ぜんぜん憶えてないんだよな。討伐してやろうと思ったのは記憶にあるけど。
「天征章と威征章が制服につくぞ」
そう言えばエイナルさんがそんなこと言ってたな。
「へぇー。そうなんだ」
「興味ないの?お前そういうの好きじゃん」
言われてみたらそうだ。
ラルクさんがいつも座っていた席が目に入る。
「ラルクさんさー。いっつも子供は良いぞぉ〜ってうるさかったよな」
関係ない話が口をついて出てきた。
「そうだったな。俺もやられてた」
「マサト、子供はいいぞ。お前も早く誰か見つけてとかうるせーの」
「あぁ」
「俺さ、毎回だから面倒になってさ、うるせーよ大きなお世話だ!って生意気言ってさ」
「俺は尻尾で跳ね飛ばしてやった」
「ははは、ひでぇなお前」
視線を上げる。タクナは宙を見つめ続けていた。
「最後、俺のことを見て、ミルディさんを投げてきたんだ」
「むちゃくちゃするな」
あの視線が目に焼き付いている。
「俺はさ、ミルディさんだけでもって手を伸ばした。ミルディさんの手、掴んだんだよ。けど、蒼白竜のブレスから救えなかった」
「そっか」
「よわよわでやんなるよな」
「そだな」
涙が出そうだ。けど、タクナには伝えておかなきゃだ。
「ラナさんが言ったこと憶えてるか?」
「私が死んだら笑ってねって奴か?」
凄い覚悟だよな。俺らは返事が出来なかった。ラナさん、先輩のお願いなんだから聞きなさ〜いって笑いながら立ち去ったけど。
「ミルディさんな、笑顔だった」
「…………。そっか」
自販機の音がしているだけの休憩室。人が居ないと本当に静かなんだな。
「タクナ、俺らは笑うのも、笑ってもらうのもなしだ。それで行くぞ」
「いいな、それ。全部まとめて切り飛ばしてやりゃ良いんだ。わかりやすい」
よし、そうと決まればこれだな。立ち上がり自販機へ向かう。ボタンを連打し、ボトボトと落ちてくるそれをタクナへ放る。
「マサト、コーヒーもだ。エイナルさんはいつもコーヒーだ」
自販機の作動音で、休憩室はいつもの空気を取り戻した気がした。
朝6:00まだ人のいないオフィス。
だらしなく尻尾を引き摺るガレルが来た。
「うぃー、おはよーエイナル。なんかあった?」
「なんもないよー、マサトとタクナは帰った」
「ん、どんな感じだった?大丈夫そうか?」
黙ってガレルの机を指差す。
「なにこれ、あいつらか?」
俺は今、苦笑いしてるだろうな。なんでいつも携帯糧食なんだよ。しかも二本置いてある。
「お前は?」
ガレルの言葉にコーヒー缶を2本掲げる。
「なんだそれ。お前はコーヒー二本で、俺は携帯糧食二つなのかよ?」
気が利かないにも程があるよな。コーヒーを一本ガレルに投げる。同時に携帯糧食が飛んできた。
「まあでも、元気にはなっていたよ」




