第2話 さいきょうのふつうしゅ
楽しそうにお茶を淹れ直し、お菓子を用意する女性を見ていた。
少し歳上に見える。けれど1万年、歳を重ねていると言われたら納得するだろう。そんな雰囲気の人だ。人でないかもしれないけど。
「あの、ヴェルナさん。元の世界に戻してくれませんか」
「んー。出来ないかな」
少し困り顔。
「うん……ごめんなさい、嘘は良くないか。正確には、貴方達を元の世界に戻す事はできるわ」
口籠もっているのか、それとも伝える事を迷っているのか。とにかく逡巡の色を感じ訊ねる。
「何か大きな代償があるんですか」
「大きいか問われると微妙かな。私は力を失い、長くは生きられなくなるくらいかな」
なんでも無いことのように首を傾けた。
え?なにを……簡単に。
「しんじゃだめ!」
「そんな大きな代償を払わせるわけにいきません」
異口同音、ふたりでヴェルナに言う。
セリフが重なる様がおかしかったのか、ヴェルナはくすくすと笑う。
「ああ、誤解しないで。本当に大した話ではないわ。でも、その程度に面倒なのは本当」
「さすがに人様の命と引き換えに戻るつもりはないです」
自分の命を軽く扱うヴェルナに、言い様のない感情が湧いていた。しかし、目の前の女性にそれを言うのは不遜な気がした。
「マサトくんもシマちゃんも優しい子ね」
心中を読みとったのか、優しく微笑む。
「嘘をついたのはもったいないと思ったからよ」
「もったいない?」
発した言葉には答えず、新しいお茶を差し出してくる。微笑みながら、それを口にするのを待っている。
「頂きます」
小さく頭を下げて、口にしようとした。カップから香る匂いに驚いた。
「凄くない?」
悪戯が成功したかのように楽しそうに笑う。
「なんですかコレ?凄いです」
「私はお茶が好きなの、色々試してるわ。そのお茶はとっておきよ。飲んでみて」
促されるまま口にした。
言葉が見つからない。こんな飲み物は知らない。カップの中身は微かに青みがかり、淡く発光している。
「ここハルモニアという世界なの」
「アズール・ホエムの日蝕みた?」
「見ました。あんな風景初めて見ました」
あの惑星、アズール言うのか。ピッタリだな。
「素敵だったでしょ」
微笑みながらお茶を口にするヴェルナ。
言いたい事がわかった。お茶を口にする。例えようがない味だ。強いてあげるなら静謐な味がする。おかしな事を言ってるが、そういう味だった。
わかったけど聞かずにはいられなかった。
「他に帰る方法はないですか?」
「あると思うわよ。私が帰してあげる事は出来る。なら必ず他の方法もあるわ。それをふたりで探してみたら。この世界で生き抜く力は与えてあげる」
ヴェルナを見るとやはり微笑んでいる。言い聞かせるわけではない、楽しむ事はできない?そんな風に感じた。
「そうだ!ハルモニアでの生き方の前に!」
悪戯めいた良い思いつき、両手を重ねる。
「まずはふたりの世界の事を私に教えて」
シマとふたり。
ヴェルナに、日本の事、世界の事、地球の事、知る限り話した。
シマはメスがいかに狡猾で、交尾後に自分達を捕食しようとするか。それが如何に恐ろしいかばかり説明していたが。
「へぇーそれは面白いわね。マサトくんはどうしたの?」
適当な相槌、良いタイミングの質問に、すらすらと話した。何故だろう、死に掛けたからかな。
いつしか日は傾き、小さな鉢植えは影を伸ばしていた。
「あら、すっかり話し込んでしまったわね。お腹空いたでしょ、食事にしましょう」
「いつか、あなた達の世界にも行ってみたいわ」
笑いながらそう付け加えた。
「じゃあご案内できるよう、方法を探さなきゃですね」
不安は消え、心は落ち着きを取り戻していた。
「シマちゃんは何食べるの?私に用意できる?」
そう言いながらシマを見る。
「だいじょぶたべてくる」
テーブルから飛び降り、外に向かって跳ねていった。
「アイツここが異世界ってわかってるのかな、大きな昆虫とかに食べられてたりしたら……」
心配そうに見送り呟く。
「ん?シマちゃん?あの子の事は何も心配しなくて大丈夫よ?」
「どういう意味ですか?」
眉が顰む。
「え?だってとても強いじゃないシマちゃん。この世界にあの子に傷をつけられそうな存在なんてそれ程多くないわよ?平和な世界だし」
鉢植えをよけて、テーブルクロスを敷き、手のひらをフワリとかざす。それだけで美味しそうな食事の支度が整った。
なにそれ、手品ですか?違うのはわかるがそう見えた。しかし、そんな手品のタネを聞く前に、口にしていた。
「えっと、詳しく教えてもらえますか。そのシマが強いってあたりについて……」
なんとか、ゆっくり声を出す事が出来た。
「実はね、お昼のティータイムの準備をしていたの。そしたら、とても大きな力がこちらへ向かってくるのがわかって。さすがに無視できなくてね、様子を見に行ったのよ」
「そしたら灰牙犬の群れに囲まれたマサトくんがいて、その頭の上でシマちゃんが必死にぺちぺちしてたの。ダメだ、殴れ、そこは避けるって」
「かわいかったわ」
シマは可愛い。確かにそうだ。しかし今はもっと大切な事がある。
「とても大きな力とは」
「んー。あの子たぶんこの世界じゃ死なないわよ」
おとがいに指を当て答える彼女の姿。心の安定は彼方へ旅立った気がした。
「あの、それって」
「帰ってきたわよ。本人に訊いてみたら?」
「まんぷく」
シマがピョンピョンとこちらへ向かって飛び跳ねて来た。
「いいとこ」
虫とかいっぱい居そうだしな。良かったなシマ、食うのに困る事がなさそうで羨ましい。
テーブルの上にひと跳びで着地。いや、ありえない。そりゃハエトリグモの跳躍能力は素晴らしい。しかし床からテーブルの上まで、ひとっ飛びは流石にない。
「なぁシマ、お前って強いの?」
「さいきょう」
そうなんだ。いいなぁ。
「どれくらい強いの?」
「もてもて」
モテモテなんだ。羨ましい話。ていうか、どのくらい強いの?の答えがモテモテなのか。
不思議そうな顔で、見ていたヴェルナが言ってきた。
「マサトくんはシマちゃんが強いの知らなかったの?」
「いや、日本ではシマは普通の」
言い淀んだ。まてよ?異世界転生にシマを巻き込んだと思っていた。実はシマが特殊能力蜘蛛で、その転生に俺が巻き込まれた。そう言う事か?
「シマって日本にいた時から特殊だったの?」
「ふつうしゅ」
そうか普通種なのか。いやちがう聞き方が悪かった。アダンソンハエトリが普通種なのは知っている。というより、シマがそれを知っているのか。
「ごめんシマ、聞き方悪かったね。シマは日本にいた時から最強だったの?」
「しおしお……」
しおしおってなんだ?いや、なんとなくシマのしょんぼりぶりから伝わってくる。
「もてなかった……」
「めすこわい……」
「たべようとする……」
うん、なんかゴメン。シマがすっかり落ち込んでいる。
「で、いまは?」
「さいきょう!」
「しゅぎょうのおかげ!」
絶対に違うと思う。カーソルを追いかけて強くなれるなら、世界中で凄いハエトリグモが爆誕している。これチートだね。シマは転生特典もらってるよ。
食後にはお茶まで出してくれた。
朝に頂いた物とは違う。
「なるほどね、つまりマサトくんは転生特典を貰ってないわけね」
「そうです、酷い話ですよね」
ヴェルナは少し考え込んでいた。何か思い当たる事があるように見える。
「何かご存知なんですか?」
「知らない、想像はつくけど」
真剣さは消え、笑顔でそう言う。
想像じゃなくて確信を得ている微笑みだ。
「何かご存知なら教えて下さい」
「内緒かな」
笑いながら言う。
「なんでですか。僕は元の世界に戻る為に、少しでも知識が欲しいです」
「内緒の方が面白い事になりそうだから?」
「それになんでも知ってしまったら、生きる楽しみがなくなっちゃうわよ」
くすくすと笑うヴェルナはもうこの話は終わりと決めたらしい。
「さぁ、少し早いけどもう寝なさい。上にあなた達の寝室を用意したわ」
「明日からは忙しいわよ。しっかり睡眠とりなさい、授業中に寝るのは許さないからね」
テーブルの上で跳ねていたシマを摘み渡された。そのまま後ろを指す。そこには階段があった。
階段なんかなかったはず、それに丘から見たログハウスは平屋だった。ヴェルナに向き直り見つめる。
けれど微笑んでいるだけだ。
「はい。もう今日は寝なさい。もの凄く疲れているはずよ」
優しい微笑みは、今日は何を訊いても答えないと言っていた。
「おやすみなさい」
そう言ったあと、思い出して付け加える。
「助けて下さってありがとうございました」
「はい、どういたしまして」
寝室に入り靴を脱ぐ。あれだけ歩き回ったのに汚れがない。シャツとスラックスも綺麗に直っている。いつの間に直したんだろう。
神様の眷属か。笑顔ひとつでボロボロの身体を綺麗に治した。俺がなぜこの世界に呼ばれたのか、絶対に知っているんだろうなぁ。
シマが部屋中を跳ね回っている。
「シマ、俺もう寝るよ」
一応そう声をかける。
「まって!」
そう言いながら、こちらに向かい跳ねてくる。
「みせる!」
「見せるって何をよ」
「つよくなった」
シマはどうやら師匠に強くなった自分を見てもらいたいらしい。
窓のカーテンにひと息で飛び付き目線を合わせてきた。大きな主眼はキラキラとしている。強くなったのが嬉しくてしかたないようだ。
「いいけど、俺痛いの嫌だよ。どうやって強いとこ見せてくれるの?」
少し悩んで、カーテンから足元へと移動。
「ふんずける!」
「踏むの?シマを?ぺちゃんこになるぞ」
流石にこんな小さな蜘蛛を踏むのはダメだろう。
「だいじょぶ」
大丈夫らしい。シマの言う事は信じられないが、ヴェルナはシマが強いと言っていた。
「じゃあ踏むよ?」
遠慮がちに土踏まずをシマの上に乗せた。毛足の長い絨毯にシマが沈んでる。モゾモゾするのでくすぐったい。シマは足の裏から這い出てきた。
「よわすぎ!」
「もっとつよく」
「かかとでばーん!」
踵でバーンは流石に無理だろ。てかプチってなったら、俺の心が痛むだろ。痛いのは嫌だって。
「ししょうなめてる」
「さいきょう!」
シマは自信満々。親に自慢する子供のようだ。
「しょうがないなー少しだけだぞ」
シマの上に親指を乗せる。シマが絨毯に沈むのがわかる。そこから少しだけ力を入れる。
「おぉ〜。硬いぞシマ。潰れそうな気配がない」
「もっとふむ!」
強度アップの指示がある。苦笑しながら少し力を強める。
「ばっちこい!」
どこでそんな言葉を覚えたのだろう。さらに踏み込む。凄いな。
「シマ強いんだな!大したもんだよ本当」
「…………」
ヤバい!やはり無茶しすぎたのか。
慌てて絨毯の中からシマを摘みあげた。
「大丈夫か!シマ!だから無茶だって言ったのに」
シマはグッタリしている。どうしようヴェルナに見てもらうか。
「シマ、死ぬなよ!いまヴェルナに」
「く、くさい……」
大きな窓を開ける。夜風がとても気持ち良い。思い切り振りかぶる。
青く輝くアズール・ホエムめがけ、シマを放り投げた。




