第105話 現場第一主義
女心と秋の空。
三日前、俺はグラウンドで空を眺めて思った。まるで晴れ渡る秋空のように清々しい気分だと。
しかし、今空は表情を歪め、今にも泣き出さんばかり。大粒の涙を──
いや、それほどではない。別にギャン泣きしようというわけではない。しかし、何か雲行きは怪しくなってきている。秋の空のようにうつろう。女心かな。女子に囲まれているし。
部長は言った。
「しばらくは綺麗な蝶々が舞うのをのんびり眺めて過ごせ。この色男がっ。憎いね〜」と。
俺もフレイアに言った気がする。
「まぁ俺も働き尽くめだった。しばらくは色彩豊かな熱帯魚の泳ぐ水槽でゆったり過ごすわ」と。
いや金魚だったかな?
そして今、机に座りソフィー課長の指導を受けている。
「マサトさん、さっき作ってくれたこれだけど記入漏れがあるの。ここ入れないと監査庁から返されちゃうから気をつけてね」
柔らかな口調でミスを指摘してくれるソフィー課長。とても優しく美人なリザードマン女性。既婚者なのをタクナが嘆き悲しんでいたのがわかる。
俺も三日前なら鼻の下を伸ばしてデレデレになっていただろう。しかし、今は脂汗を流している。
「は、はい。あ、あの、これって報告書の段階で記載がありませんでした。どうすれば良いんですか。みなさん、俺らに訊いたりしてませんよね」
そう。少なくとも俺は書いたことがない。なんなら誰かに、そこは監査庁が記入する欄だから書かなくていいぞ、くらい言われた気がする。
しかし、考えてみると、これを現場探査員が書かないで、いったい誰がわかると言うのだろうか……。
「ふふ〜ん。そこはテクニックがあるの。教えてあげるわね。まず討伐した魔獣を生態記録で確認して──」
ソフィー課長の説明はとても分かりやすかった。しかしメモは必須だった。工程が多過ぎる。
「か、課長。確かにそれで記入することが出来るのは理解できました。でも、毎回これをやるんですか?作業量が半端ないです」
「そう。大変なの!でも、安心して。我々はこれを解決するべく監査庁のデータベースにアクセスする権利を勝ち取りました。今教えたのは10年くらい前の手作業のやり方」
アナログなやり方を知った上で、今のやり方をするのと、イレギュラーへの対応力が違うと課長は言う。
うんそれは分かりますけど……。
「ねっ!この空間相関の重なる部分と、さっき拾っておいた魔素散乱曲線の値が一致する場所を見ると、あら不思議!記入漏れを簡単に埋める事が出来てしまうのです。はい拍手〜」
いや、拍手している場合なのだろうか。見事だとは思うけど。
「そして驚きなさい、マサトくん。この手法を生み出したのは、我が社です!本社の伝説の総務課長が30年前編み出したのです。ツールもその方が作りました」
「はい……」
「そして我が社はこの画期的なシステムとツールを独占することを良しとしませんでした。他の探査会社も使えるようにと、オープンソースとして公開しています」
とても誇らしげなソフィー課長。
「ただねー、不思議と利用者が居ないのよね〜。便利なのに、なんでだと思う?」
いや、それはそうだろう。実際に討伐した探査員が書けば10分も掛からない。僅かな手間を惜しんだ結果えらいことになっている。他社が利用しないのも当然だ。
「あ、あの、課長。これって、現場の人間にきっちり書かせたら、全て必要ない作業ですよね?か、書かせることにしませんか」
「マサトくんっ、なんて事を言うの。あなたは本業が探査員だから大目に見るけど、そんな事を言うものじゃないわ」
曰く、現場に出て戦う探査部のメンバーは常に死と隣り合わせの危険な任務を遂行している。都市はもちろん、都市外の人々の命を守るため、小さな異変も放置することなく、面倒なことも決して手を抜かない。己の誇りに懸けて常に全力で働いている。
会社でぬくぬくと過ごしている私たちに出来る事はなに?それを考えなさい。いえ、常に心に留めておきなさい。そうすれば、自ずと自分たちのするべき事が見えてくるわ。
ごめんなさいね。厳しい言い方をして。でも、事務方として、それだけは理解してないとダメよ。
「は、はい……申し訳ありませんでした……」
「良いのよ、まだ入ったばかりだもの。わからないのも当然よ。さ、わかったら次を片付けてしまいましょう」
そう言って、取り出した報告書の制作者の名前欄には俺の名前が。
いや、書かせろよ!我が子可愛さのあまり甘やかしすぎの母親かよ。ダメな大人が大量生産されている。KTSって馬鹿しかいないとは事務方にも適用される言葉なのか……
しかし、ニコニコと笑顔を向けてくれているソフィー課長に、そんな事を言えるはずもない。
話を聴いていたのだろう。お向かいに座るニナが、俺を見て拳をあげてギュっとする。はい、がんばります……。
ダメな会社だ。誰かなんとかしようとしなかったのか。しなかったんだろうなぁ〜。
だって俺ら楽だもん。
「おう!マサトっお疲れさ〜ん。頼みあんだけどー」
馬鹿タクナが事務所に現れた。何しに来やがった。お前のような下賎な輩が来る場所ではない。面倒だが、暴れられても困る。課長を見ると、にっこりと笑う。行くよう促された。
「何しに来た」
「んだよ、機嫌悪ぃな。こんな羨ましい環境に放り込まれてる癖になんでだよ。俺なんかガキどもの相手で大変なんだぞ」
「要件を言え。10文字以内だ」
なんかムカつく。
「10文字で収まらねぇよ。今日の訓練で気がついたんだけどな、後衛職の意識改革が必要だと思ってな。いや、みんな優秀だよ。やる気も凄い。けど、少し。ほんの少し考え方を変えるだけで、かなり変わると思うんだよ」
「それで、軽めの武器防具を借りたいと思ってさ。事務にひと声かけてからって思ってな。いくつか持ってくぞ」
カウンターの下のレターケースから該当する棚を素早く見つけ出す。【装備品持出申請書】これだな。
紙を一枚取り出して、タクナの顔に突き付けた。
「なにこれ?」
「品名、数量、持出者、持出先、使用目的、持出日、返却予定日を記入して、ラグナ課長のハンコを」
そこまで言ったところで、調達・資産管理課のミアルがすっ飛んできた。
「ちょ、ちょ、ちょっとマサトくんっ」
む。違う書類だったか?【備品持出申請書】の方だったか?それとも【備品貸出申請書】か。まさかと思うが正解は【資産持出申請書】じゃないよな。
「タクナさん、何をどれだけ持って行ったか、後で構いませんから、教えて下さい」
悩む俺に構うことなく、とても良い笑顔でタクナの対応をするミアル。
「お、おう。メモ書き持ってくるんで良いか?」
「ありがとうございます!メモあると助かりますっ」
「いや、ミアル」
言い掛けたところで足を踏まれた。
「あ、それとマサト借りていって良いかな。こいつの方が生徒たちのこと詳しいからさ、訓練メニューの相談したくてさ」
「もちろんですよタクナさん。若い子たちの指導大変なんですね。でも、きっと生徒さんたちも良い経験になってると思いますよ」
そう言ってカウンター下で手を振り、俺に行ってこいと合図する。
「いや、ミアル。俺は二課の」
「大丈夫!私とサルディでやっておくから、タクナさんのお手伝いしてきてね。私が出来るならお手伝いしたいけど、これはマサトくんにしか、出来ない仕事でしょ?」
くそっ!何か言いたい。言い返したい。
このバツ印付きのリザードマンに申請書を書かせたい。メモ書きで良いわけないだろっ!脳筋馬鹿野郎が!と怒鳴りつけたい。
「わかりました……。出来るだけ早く戻ります。仕事は残しておいて下さい。俺やりますから」
そう答えるしか出来なかった。
「おう、じゃあ行こうぜマサト!台車いるなぁ。カゴ台車借りてこうぜ。長物多いからな」
「でよ〜、今日の訓練終わりで、ガキどもが質問してくるんだよ。俺もなんて答えたら良いのか悩んじまってさ」
倉庫へ向かいながら、呑気に大声を出すタクナ。異常にムカついたので蹴っておいた。
あと、カゴ台車は資産管理課じゃなくて一課の担当だったかな?書類は何を書くんだっけ。台帳だったかな、後でサルディに訊いておこう。




