第8話 今、私は右手で傘を持ってるわけじゃん
「雨、降ってきたね」
彼女は空を見上げる。
小雨が降っていた。
「折り畳み傘持ってきたよ」
バッグから取り出す。
へぇ、と呟いた彼女はその折り畳み傘を一瞥した。
「それ、ちょっと貸してくれない?」
「いいよ」
折り畳み傘を手渡す。
「けっこう大きいサイズなんだね」
「うん」
今日は天気が不安定って聞いてたから、と補足する。
「オッケー、じゃあ行こっか」
さっき渡した折り畳み傘をショルダーバッグにしまい、
一回り小さい自分の折り畳み傘を開いてから入るよう言われた。
「とりあえず入って」
折り畳み傘は後で返すとのこと。
おとなしく入ることにした。
しばらく黙って歩く。
「・・・相合傘したの初めてなんだけど」
ふいに彼女が呟いた。
「まぁ出掛けるときは晴れの日が多いし」
雨が降りそうなときは延期になったりすることもある。
「いや、そういう意味じゃなくってね」
「違うの?」
「うん」
私、人生で初めて相合傘した、と応える。
「そんなことある?」
「君はあるの?」
相合傘したこと、と聞き返された。
「傘が一本しかなかったら、普通に友達とするけど」
「ふーん」
「友達だよ?」
「友達だもんね?」
ちゃんとわかってるって、と彼女は応える。
正確に伝わってるか不安だけど。
「最近は?」
いつ相合傘した? と尋ねられた。
「そうだね・・・」
記憶を遡る。
「最近っていってもそんな最近じゃないかも」
「で、いつなの?」
繰り返し尋ねられた。
「2年半くらい前じゃないかな」
「・・・へぇ」
信号を待つ。
「今、私は右手で傘を持ってるわけじゃん」
左手は空いてるけど、と付け加える。
さっきの会話以降、長い間黙っていた彼女がようやく口を開いたので安心した。
そうだね、と頷く。
「君は右手が空いてるわけでしょ?」
「あーごめん」
そこまで聞いてやっと理解できた。
手を繋ぐ。
信号が青に変わった。
「で、さっきの話なんだけどさ」
「さっきって?」
ほら、2年半前にってヤツ、と零す。
「その時期ってさ、」
「そうだよ」
具体的に聞かれる前に答えた。
「やっぱりか」
別に良いんだけど、と呟く。
彼女の握る手に一瞬、力が籠った。
「今日はこの後予定ないんだよね?」
「うん」
午前中にも言ったけど、と付け加える。
「なら絶対、夜は電話できるはずだよね?」
「できます」
「それならいいけど」
彼女が呟いたタイミングでなるべく自然に恋人繋ぎに変えた。
特別なあなたへ。
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夏野恵




