36 夜明け、日の出
エルローザとセヴランの婚約式は社交シーズンのラストを飾るに相応しいものだった。
その後、エルローザは無事、宮廷薬師として働き始めた。王宮勤めは2度目のエルローザは、1度目が散々だったので最初は緊張していたが、皇太子の命を救ったことと、イリス直伝の薬師としての腕とで、露骨に避けられることも嫌がらせを受ける事も無かった。働き始めは遠巻きにされていたが、礼儀もあり、腕もあり、努力家でもあったので、研究者気質な薬師たちと打ち解けるのに時間はあまりかからなかった。
エルベルトのお墓は、サジテール侯爵家の持つ小高い山に立てた。南公国にあるサジェス子爵領地と迷ったが、南公国は帝都から距離があったので、サジテール侯爵家の厚意に預かり、帝都から馬で半日の山中の開けた場所を頂いたのだ。
アデーレはもちろん、イリスもセヴランもフェリクスも足を運んだ。白いカサブランカが手向けられた。
フェリクスは、サジテール侯爵の持つ爵位の内、伯爵位を継いだ。なんでも、フェリクスは、アデーレが「エルローザ様にお会いできる場所に居たい」と頼みすぐに了承したらしい。曰く「旅も研究も好きだが、愛した女の願いの方が大事だ。長年集めた結果のお陰で、国内でも研究は十分にできる。」とのことらしい。幸いにも、旅に出る直前まで侯爵家の跡継ぎとしての教育を受けていたため、伯爵としてもやっていける力量はあった。
エルローザが宮廷薬師として働き始めて約1年後、彼女はセヴランと結婚式を挙げた。その日、冬の始まりを告げるように、軽やかな白い雪が舞った。
結婚式から1年と少し経った頃。
「ローザっ!!!」
息を切らして部屋に飛び込んできたセヴランに、ベッドの上からエルローザが微笑んで迎えた。エルローザには少し疲れが見えるが、医者からは母子ともに健康だと聞いている。
「男の子ですよ、セヴラン。あなたと同じ瞳だわ。」
「ああ、ローザ。ふたりとも無事で、よかった‥!頑張ってくれて、ありがとう。」
「心配してくれて、ありがとうございます。ほら、あなたのお父様よ。」
「君と同じ髪色だ。愛らしいな。」
セヴランはふたりにキスをして、エルローザの隣に腰かけた。
「ローザ、この子の名前なんだが。」
「ええ。」
「ジルベール、はどうだろうか。」
「‥‥‥ジル、ベール。」
「ベールは君の兄上からいただきたいと思ったのだが、ダメか?」
「いいえ。ジルベール‥‥素敵な名前。ありがとうございます、セヴラン。」
涙を湛えたエルローザの目元に、セヴランが口を付ける。
「ジルベール。あなたの未来が、光溢れるものでありますように。」
* * * * *
ジルベールが4歳になる頃、セヴランの弟ヒューゴは宰相の1人娘ミレイユと結婚した。ミレイユはエルローザより5つ年下の快闊な女性で、ふたりは1度会うと互いに気が合うことが分かった。それからアデーレも含めて、3人は本当の姉妹のように仲良くなった。夫たちが嫉妬するほどには。
ミレイユとエルローザとアデーレは月に1度、お茶会を開いた。3人だけの時もあったし、セヴランの母が参加することもあった。1度だけイリスが参加したこともある。
「お姉様方、今日はデザートをお持ちしましたの!」
「ヒューゴ様からかしら?」
「もう!ローザお姉様ったら!まあ、そうなのだけれど。」
「あら、それは楽しみですね。」
サジテールの3兄弟はみんな、センス"は"良いからね。と3人が目を合わせて笑う。ミレイユが持って来たというヒューゴからのお土産は、最近流行のタルトだ。
それに合わせて、主張の強くない紅茶を淹れると3姉妹のお茶会の始まりである。
「いつ来ても、ここの温室は美しいわ。ローザお姉様は白い色がお好きなの?」
「あら、ミレイユはセヴラン様のお話しを聞いたことありませんか?」
本日はサジテール侯爵家でお茶会が開かれている。昨年セヴランが侯爵位を継ぎ、屋敷の事は新たな女主人となったエルローザが舵を握っている。だから、ミレイユは白い花々が咲き誇る温室を見渡して、そう聞いたのだ。ミレイユの問いに首を傾げたのはアデーレだった。
「ア、アデーレ!」
「ローザ様、もしかして未だに恥ずかしがっていらっしゃいます?」
「なんですのお姉様方!?私にだけ内緒のお話があると!?」
「ミレイユ‥!う、それは、その‥‥結婚前の話なんだもの‥。」
「アデーレお姉様!」
ミレイユに指名されたアデーレは、コホン、と咳払いをして話し始めた。セヴランがエルローザに白いバラを贈り、エルローザの花だ、と言った話である。
きゃー!とミレイユは頬を染めた。とても楽しそうだ。
「まあまあまあ!セヴランお兄様ったら!なるほどそれで、確かに白い花でもバラが1番多いですわ!」
「ミレイユ‥‥あの、その辺にして‥。」
「この温室のお花だけはどうしても、とセヴラン様が仰って、ローザ様の意見よりも白バラが優先されているのですよね。」
「うぅ‥他の色のお花も植えたいとお伝えしたのよ!?それで勝ち取ったのがあの一角だけだなんて信じられる!?」
エルローザが指差したところには桃色や黄色の花が咲いていた。ただし温室全体からすると僅かな本数である。圧倒的に白が多い。
「ご婚約前にアニュレイ伯爵邸へ訪問した際には、お屋敷に飾られている花が全部白バラでしたね。」
「え、ということは、贈り物の花束全て白バラだったの?そして飾られている花全部?頻度を聞くのが怖いですわ。」
「何度も多すぎるからやめて欲しいとお伝えしましたのに!当時はイリス様も頭を抱えていらしたわ。」
「「目に浮かぶようですわ。」」
「も、もう私のことはいいでしょう。ふたりにだって、そこまでする?って思うようなことがあるでしょう?」
「ヒューゴ様はそんな面白エピソードはありませんわねぇ。」
「フェリクス様は‥‥それがあの人である証拠のようなものですから。」
「た、例えば?」
「自分で選んだのだと思っていましたが、全部あの人の計画の内だった。とか?」
「「ひぇっ!?」」
「旅をしていましたから、余所者ということで武器を向けられることもあったのですが。その翌日は何故か崇められていたりしまして。」
「「!?!?!?」」
「え、あの、私たちいつから怪談をしていました?」
「そんなはずないわ、ミレイユ。楽しいお茶会のはずよ。」
「あの人が何をしても驚かないようになりましたね。」
「‥確かに、フェリクス様なら何をやっても納得してしまいそうね。」
「侯爵家の嫡男が旅に出て行った、という話だけで分かってしまうような気もしますわ。」
そうしてこの日も楽しい時間はあっという間に過ぎて行った。
エルローザはふたりを玄関まで見送った。室内にいた3人は、玄関から入ってくる風に季節を感じて身震いする。
「このところ、寒くなってきましたね。」
「ええ、もうすぐ、1年が終わるわ。」
「次にお会いできるのは来年かしら。お姉様方、お元気でね。」
「ミレイユもね。ヒューゴ様に、お菓子のお礼をお伝えしてほしいわ。」
「もちろんですわ!」
「アデーレも、暖かくしてね。また来年会いましょう。」
「はい、ローザ様も。ミレイユもまた来年ね。」
「「「また素敵な1年を」」」
この国でよく使われる、年末年始の挨拶である。そうしてエルローザはふたりが乗ったそれぞれの馬車が駆け出したのを見送って、室内に戻る。
調合室にしてもらった1室に行き、乾燥させた薬草を幾つか合わせる。細かくせずにポットに入れてお湯を注ぐ。数分蒸らして蜂蜜を入れればハーブティーが出来上がる。より温まり、香りも良い薬草の組み合わせを考え中なのだった。
コンコン、と小さく扉が叩かれる。「どうぞ」と声をかければ、ゆっくり扉が開くが、その人物が見えない。しかしエルローザは誰が来たのか分かっている。
「どうしたの、ジル。」
来客は背が小さくて、エルローザからはテーブルの陰に隠れて見えなかったのだ。
「母上、あの、ぼくもてつだっていいですか?」
「もちろんよ。おいで、ジル。」
午前中は家庭教師による勉強で、午後は読書とお昼寝をしていたジルベールが、起きて母を探したのだ。テーブルの下にはジルベールが上れるような台座がある。それに立てばジルベールはテーブルの上が見えた。
「今日はなにを作っているのですか?」
「ハーブティーよ。ジル、このお花は分かる?」
「カモミールです!」
「正解よ。よく知っているのね。」
「まえに、母上がおしえてくれました。そのあと、ずかんでも見たので!」
「もう図鑑を見ているなんて、ジルは薬草が好きね?」
「はい!」
セヴランと同じ翡翠色の瞳が嬉しそうに細まる。にこにこと満面の笑みで頷いたジルベールが愛おしくて、エルローザはジルベールの頭にキスをするのだった。
その晩、エルローザは不意に目が覚め、セヴランの腕を抜け出すと、ベッドを降りた。窓に近づくと、暖かな部屋では分からなかった冬の寒気を感じる。温度差で曇ったガラスを手で拭うと、東の空に向けて少しずつ明るくなる空の色に目を瞬かせた。
ゆっくり、淡く、街を照らし始める陽の光が、夜明けを告げる。
ふわりと羽根が舞った。そう思う程に軽く、ふわりふわりと白が舞う。雪だ。エルローザは天使の羽根が舞う夜明けを目に焼き付けた。
「ローザ」
少し掠れた、夫の声。大きなブランケットが後ろから彼女を包み込んだ。セヴランはその上から妻を抱きしめて、体温を確認するように手を取った。
「少し冷えている。風邪をひくぞ。」
「気付きませんでした。あまりにも、美しい景色だったので。」
「確かに、目を奪われるようだ。天使が降りて来たような、そんな夜明け。新たな年の日の出だ。」




