35 恋人たちの苦悩
セヴランは夜会の翌日に、エルローザへの求婚をアニュレイ伯爵邸へ届けた。受け取ったイリスは「ようやくか」とため息をついた。
「殿下に協力を得られたのは僥倖だったな。ルダス、ローザを呼んできてくれ。」
「承知いたしました。」
アデーレが訪ねてきた日、持病のある皇帝へ薬を処方した帰りに皇太子に捉まったのである。セヴランとエルローザは婚約しないのか?という問い合わせだった。それを聞きたいのはこちらの方だ、と思いながらイリスはふたりについて掻い摘んで話した。
結果はこの手紙が全てである。
「イリス様、エルローザお嬢様をお連れしました。」
「お呼びでしょうか?」
「ああ、ローザ。サジテール卿から手紙だ。ただし、私宛にだ。」
「‥‥、あ。」
「思い当たったか?」
「ええと、たぶん‥?」
昨日の今日だ。思い当たったらしいエルローザは頬を染めて、イリスから視線を逸らす。
「では端的に。ローザとの婚約を認めて欲しい、ということらしい。諾を返すが、良いのだな?」
「はい。イリス様、私は、セヴラン様をお慕いしております。」
「ああ。それならいい。おいでローザ。」
イリスが呼ぶと、エルローザは素直に近くまでやって来る。イリスはエルローザを抱きしめて、頭を撫でた。
「よかったね、ローザ。」
「はい‥!」
ぎゅぅ、とエルローザがイリスに抱きつく。娘を嫁にやるというのはこういう気持ちか、と湧き上がる言い様の無い感情にイリスは苦笑を漏らした。嬉しくて、愛おしくて、少しだけ寂しくて。ああ、誰が何と言うとこの子は、血が繋がっていなくても私の愛する子だ。イリスはそんなことを思うのだった。
* * * * *
アニュレイ伯爵から諾の返事をもらったセヴランとサジテール家はお祭りのように沸き上がった。
「あなた!セヴランが遂に!!」
「ああ、ようやくだな。それにしてもまさか、本当に婚約していただけるとは‥。」
「兄さん、はやくお姉さんをお連れしてきてね。」
「ね、姉さん!?」
「え、だって兄さんと結婚する方でしょう?それなら僕の姉さんじゃん。」
「いや、ローザの方がおまえより年下なんだが‥!」
「兄さんの奥さんなら姉さんでしょう?これで僕も安心して婿に行けそうだよ。」
ちなみにヒューゴは、アデーレの事を既に姉さん呼びしてる。
「ヒューゴの言う通りだわ!アデーレちゃんも呼んでお茶会がしたいの!まずは早く顔合わせさせてちょうだいな!」
「そうだな。本当にセヴランで良いのか聞かねば。」
顔合わせとはいえ、夜会の場で形式的な挨拶はしているので、サジテール一家はエルローザと面識はあるのだ。しかしセヴランとの婚約となれば、家同士の繋がりも出来る為、まずは婚約の挨拶と書類の作成、そして婚約式の日取り決めを両家で執り行う必要があった。
今シーズンの最後まであと3か月ほどで、次の社交シーズン開始時期はエルローザが宮廷薬師として働き始める時期だった。そのため、今シーズン中に婚約式を行った方が良いだろうと両家で話し合い、急ピッチでふたりの衣装をはじめとした準備が行われていった。
* * * * *
書類は無事に受理されて、婚約者となったエルローザとセヴランだが、ふたりにはある種の温度差があった。
皇太子から「溺死している」と言われたセヴランとは違い、エルローザが恋を自覚したのは最近のことで、友人だった頃と婚約者となった今との距離の差が大きすぎて戸惑っていたのだった。
「し、心臓が持ちませんセヴランさん!」
エルローザは腕をいっぱいに伸ばしてセヴランの胸を押した。現在彼女は彼の膝の上に横向きに座った状態だ。喫茶店の個室とはいえ、以前なら向かい合って座っていたのに、急にゼロ距離になり、エルローザが戸惑いを隠せないのは仕方のない事だった。
「ローザ、こっちを見てくれ。」
「うぅ‥‥近いので、無理です‥!」
「ローザ。」
「ひぅっ!?」
エルローザの腰と背に回していた腕に少し力を入れれば、簡単にエルローザはセヴランの胸に倒れ込む。近づいた彼女の頭にセヴランは唇を落とす。
「せ、セヴランさん‥‥ちょ、あの、もう少し私の心臓にご配慮いただけませんか‥‥。」
「難しいお願いだな。そもそも君が可愛すぎるのが原因と思うのだが。」
「ぅ‥‥‥‥そういうの、なんですけど‥。」
近くで声がすることに慣れないのか、エルローザが身じろぐが、セヴランの腕の中から抜け出すことは叶わない。
「それに、ローザ。俺は大分我慢している方だ。」
「???」
「‥‥そういう、可愛いことをするから‥。」
「何の話で‥?」
上目遣いでコテンと首を傾げるエルローザに、セヴランが目を覆って天井を仰いだ。良く分からないが、今の内だ、とエルローザがセヴランの膝から降りようとするが、屈強な男の腕はエルローザを捕まえておくのに1本で充分だった。
「ローザ、俺とこういうことをするのは嫌か?」
「そうじゃ、ないのですが‥。恥ずかしいのと、セヴランさんを、その、恋愛的な意味で好きだと気付いたのは最近なので、気持ちがついて行かないと言いますか‥‥。」
エルローザだって、セヴランに触れたいという欲は少なからずあったが、自分の気持ちに気付いたばかりで、友人との違いに対する戸惑いが尽きない。彼女としてはもう少しゆっくり距離を縮めて欲しいのである。
「こうやって抱きしめるのは、恥ずかしいか?」
「‥‥まだ、大丈夫です。ここまでなら、何とか、耐えられます。」
これ以上は無理だ、とエルローザが告げる。
仕方がない、と言うようにセヴランはエルローザの頭を撫でた。譲歩してくれたらしいセヴランに、嫌なわけでないのだと、エルローザは言葉を探して口を開く。
「セヴランさんを、好きだと、愛おしいと思っているのは本当なので。触れたいと、私も思うのですが、今は羞恥が強すぎるので、もう少しだけお待ちくださいね。」
「ぐ‥‥‥っ!!!!!」
「セヴランさん?」
何かが彼に刺さったらしい。エルローザの肩に額をくっつけたまま、セヴランは暫く動かなった。動けなかった、のかもしれない。




