31 幸せにしたい、と
エルローザから彼女の過去を聞いた日の翌日、セヴランはいつも通り出勤していた。
「サジテール閣下、お客様がお見えです。」
「‥‥通してくれ。」
セヴランは手を止めてペンを置いた。彼の執務室に約束もなくやって来るのはふたりだけである。皇太子か、第1騎士団長。
「仕事の邪魔をして悪いな、セヴラン。」
「リシャール殿下‥‥ご自身のお仕事はどうされたのですか。」
この日やって来たのは皇太子リシャールだった。
「抜け出して来たのだ。友を思って、な?」
「?」
セヴランは首を傾げた。しかしリシャールは意に介しておらず、慣れた様子で来客用のソファに腰を下ろした。セヴランの執事は既にティーワゴンに紅茶の入ったポットと菓子を用意している。セヴランは仕事を諦めて、幼馴染であるリシャールの向かいに腰を下ろした。
「今日はどのようなご用件で?」
「友を思って、と言っただろう?昨日、アニュレイ卿と会った際に、少し困っている様子だったから話を聞いたのだ。」
「はあ‥‥。」
「エルローザ嬢についてだったのだが。」
「!」
「セヴラン、君はそんなに分かりやすい奴だったか?」
リシャールは苦笑すると、紅茶のカップに口を付ける。セヴランは、つい反応してしまった事に羞恥し、額を抑えた。
「それで、殿下。アニュレイ卿は、エルローザ嬢についてなんと。」
「エルローザ嬢への求婚が絶えないので、断るのがそろそろ難しくなってきた。と言っていたな。」
「‥‥‥‥、は‥‥?」
「彼女はアニュレイ卿の弟子で、既にアニュレイ伯爵令嬢だ。そして何より陛下よりその腕を認められていて、更に私の管轄となった南公国内に領地を持つサジュス子爵でもある。縁を持ちたいと思うのは貴族として当然だろう?」
「それは‥‥そう、ですが‥。」
セヴランはそんな話、今までエルローザから聞いたこともなった。もちろん、想像はしていた。アニュレイ伯爵令嬢となったエルローザには、縁談が多く持ち込まれるのだろう、と。しかし、想像していただけのことと、現実を突きつけられるのとでは、全く違ったのだ。セヴランは暗い何かが胸に広がるのを感じた。
「そもそも、セヴランがエルローザ嬢との婚約をしないから、アニュレイ卿が困っているのではないのか?これまではエルローザ嬢へは会わさずに断っていたようだが、そろそろお茶会‥‥という名の見合いはすることになりそうだとぼやいていた。」
リシャールの口調は、部屋に来た時の軽い調子がなくなっていた。
お茶会と言う名の見合い。セヴランは、着飾ったエルローザが複数の男性と楽しくお茶を飲んでいる様子を想像して‥‥死にたくなった。
「それでいいのか?セヴラン。彼女の事、好いているのではないのか?」
「‥‥俺は‥彼女を愛しています。」
それを聞いたリシャールは満足げに頷いた。
「ただエルローザ嬢の幸せを願うのなら、そのままでいいだろう。しかし、違うのだろう?」
「はい。」
違う。セヴランは間髪入れずに頷いた。彼女には幸せであって欲しいし、笑顔でいて欲しい。だが、それは。
「他の誰にでもなく、俺が、彼女を幸せにしたい。彼女が他の誰かと結婚など、想像しただけで狂いそうです。」
「‥‥‥‥骨抜きだとは思っていたが、骨を抜かれたうえに溺死しているではないか、セヴラン。」
呆れたようにリシャールが笑った。
セヴランとて、エルローザが伯爵令嬢になった際に求婚するべきかと考えた。しかしそれは、あの馬車の中での会話で頓挫した。セヴランのことを純粋に友人と慕い、性別を隠していたことを真摯に謝罪し、それでも友人でいてくれるのか、と彼女は言った。そんな彼女に、求婚など出来る筈が無かった。
セヴランは、彼女のとの友人関係を続けることを選んだのだった。
しかし、心はそう簡単ではなかった。
エルローザに会う度に、セヴランはどうしようもなく惹かれていったし、彼女が笑いかける度に触れたくて仕方が無かった。
君の事が好きだ!!!と何度心の中で叫んだことか。自分が贈った服を着ている彼女は目の毒だった。可愛すぎて敵わない。セヴランは何度か理性に敗北しかけた。
その最たるは、昨日の告白だ。エルローザの過去は、セヴランの想像を遥かに超えていた。
初めての友人がセヴランだ。そう言っていたことから、色々と想像してはいたが。貴族としての振る舞いを身に着けるのがあまりにも早かったことや、男としての振る舞いの自然さ、逆に女性らしさに対するぎこちなさ。
―生まれと職が違うだけで、皆等しくこの国の民だからな。―
―生まれ‥‥―
最初の頃に少しだけ見た、彼女の抱える仄暗さ。
―ずぅっと前からの夢だったのです。いつかぜったい、この国に来るって約束だったので。―
―‥誰との?―
―わたしの、大切な人です。―
酔った時に少しだけ溢した話。ああ、あれは彼女の亡くなった兄、エルベルトの事だったのだと今なら分かった。それが、どれほど切ない約束だったか。
彼女を虐げた者達へ何度も殺気だった。居ない者として扱われ、実の父に殺され、罪を着せられ、そしてひとりきりで逃げ出した。そんなことが許されて良い筈がないのに、彼女が何もかも諦めたように話すので、セヴランはそれがなによりも苦しかった。
兄の妻アデーレとの再会を、あれほど喜んだことは当然だと思った。名付けのひとりで、正しく彼女の家族だったという。もうひとりの名付け人でアデーレの祖父は既に亡くなっているというので、過去に彼女の味方だったのはアデーレだけである。正直に言えば、その立場に嫉妬してしまったのだった。
決して涙を零さず、過去を話し切ったエルローザを、セヴランは抱きしめずにはいられなかった。抱えていたものを、少しでも自分に分けてくれたのだろうか。不謹慎にも、話してくれたことに歓喜した。
これから君に訪れるものの全てが、幸福であるように。そう心から思ったのに。皇太子リシャールの話を聞いて、自分の気持ちがそんなに綺麗なものではなかったと思い知った。
「アニュレイ卿のように、エルローザ嬢も未婚でいる可能性も無くはないだろうが‥‥それを望んでいるわけではないのだろう?」
「はい。‥‥殿下、ありがとうございます。」
「決心がついたのなら僥倖だ。私だって友として、君には幸せになって欲しいと思っているのだから。」
「友としても臣下としても、光栄なことです。」
「アニュレイ卿は、とりあえず今シーズンまでは茶会は開かずに文面だけで断るつもりだ、と言っていた。あまり時間はないぞ、セヴラン。」
「承知しております。」
良い報告を待っているからな、とリシャールは紅茶を飲み干して去っていった。
もちろんセヴランは、執務室を出た後のリシャールの独り言を知らない。
「最初の夜会で自分の瞳の色のドレスを着せておいて、セヴランは何をやっているのだ、まったく。」




