26 嵐の長男
その日、サジテール侯爵家は10数年ぶりの騒ぎが起きた。
「あなた、私の見間違えかしら。」
「いや。私の目も可笑しくなったようだ。」
「僕も幻覚が見えます。」
「‥‥3人とも、現実です。」
セヴランがため息を付きながら、侯爵が読むのを放棄した手紙を拾い上げた。
「‥間違いありません。兄上の字です。」
「兄上って、地層だか地質だかの調査がしたいと家を飛び出して10数年音信不通だったフェリクス兄さんのこと?」
「お前の兄は俺を合わせて2人だけだろう、ヒューゴ。」
「それで、セヴラン。その10数年音信不通だった長男は、なんと?」
「父上、手紙を読むのを放棄しないでください。‥‥あー、ええっと「親愛なるサジテール侯爵家の皆様へ、お元気ですか、私は‥‥」」
「その辺は良いから本題よ、セヴラン。」
「‥‥「旅をする中で、愛する女性と出会い、婚姻を結ぶことになりましたので、一度帰国します。お許しいただけるのならば、一度お目通りしたく。」と、書いてありますが。」
「「「‥‥‥‥はぁ?」」」
3人は同じ表情で同じ声を出した。セヴランは苦笑して、手紙を仕舞う。
「まあ、あの兄上のことです。返信が無くても、訪ねてくるとは思いますが。」
「あの子は!!!私たちがどれほど心配していたのか分かっていて!?」
「は、母上‥。」
「いや、僕はいっそ感心すらしましたよ。貴族の嫡男でも、あんな風に颯爽と出ていけるものなのだなって。」
「そんなわけがないだろう。あれは規格外だ。」
「ヒューゴも、父上も‥。めでたいことではありませんか。あの兄を好いてくれる女性と出会えたのは幸運の極みです。」
こくり、とその場にいた全員が頷いた。サジテール侯爵の継承権は次男セヴランへ譲渡されているものの、長男フェリクスの籍はまだ侯爵家にあるのだ。邸宅に招いても問題はない。そしてその長男の性格を考えると、招かなくてもやって来るはずなのだった。
「久しぶりだな我が弟たちよ!」
「‥‥‥兄上‥お元気そうで何よりです。」
フェリクスは出て行った時とほとんど変わらぬ顔で戻って来た。出迎えたのはセヴランとヒューゴで、侯爵夫妻は邸宅の中で待っている。
「本当に、来た‥‥。」
「どうしたヒューゴ。久しぶりの兄に感動して声も出ないか?」
「いえ、やはりフェリクス兄さんは規格外だったのだなって。」
「なんだ、そう褒めるな。」
「‥‥。」
本当にこの兄が結婚するのか。とヒューゴは疑いの目を向けたが、フェリクスはどこ吹く風だった。
フェリクスに対するヒューゴの風当たりが強いのには訳があった。フェリクスとセヴランは7歳差で、フェリクスとヒューゴは13歳差の兄弟だった。現在20歳のヒューゴは、フェリクスが家を出た時はまだ10歳未満であり、その後セヴランがフェリクスの代わりに侯爵業の勉強を始めたのをずっと見てきたのだ。セヴランはその時すでに騎士団に所属していたので、当時はかなり緻密なスケジュールを熟していた。そうであったから、ヒューゴは自由に飛び出していったフェリクスに対して、あまりいい感情を持てないでいたのだった。
むすっと顔の弟に、セヴランは無言で肩を叩いた。ヒューゴが自分を思ってくれていることへの感謝。そして、「諦めろ」の意味を込めて。
そうして3兄弟は侯爵夫妻の待つ応接室へと向かい、デーブルを囲んだ。
フェリクスは調子を崩さず、というよりもこれが素であるので(侯爵夫人は10ほど言葉の剛球を投げつけたが)、すぐに雰囲気は家族のそれになった。
「で、フェリクス。その結婚相手のお嬢さんは連れてこなかったのか。」
「ええ。今日の家族の様子を見て、連れてこようかと思って。今は街の宿を取っているので、そこで待ってもらっていますよ。あ、そうそう。実は出会ったのは3年ほど前で、その後から実質結婚していたようなものなので、近くまで来たから挨拶しようと思ったのです。」
「‥‥フェリクス、あなた‥そのお嬢さんをまさか誘拐してきたとかじゃあないわね?」
「人聞きの悪い!俺がそんな男に見えますか!?」
セヴラン以外の3人は頷いたので、フェリクスは泣き真似をしてセヴランに縋った。
「弟よ!俺の味方はお前だけだ!!!」
「味方ではないのですが、兄上。それで、その女性とはどのような経緯で?」
「おお!よくぞ聞いてくれたな!」
フェリクスはすぐに調子を戻して意気揚々と話し出す。この男、話は上手いのである。
「大陸の反対側のルーフス国から商船に乗せてもらい、アルブズの港に着いた時だ!実家の家業を手伝っていた彼女に出会って、俺たちは互いに数秒見つめ合った。俺が差し出した手を彼女は取った!あれはまさに運命‥!」
「‥‥セヴラン兄さん、そのお相手の女性にも話を聞く必要があると思うのですが。」
「そうだな、ヒューゴ。それは同感だ。」
「どのくらいの慰謝料で許して下さるのかしら。」
「謝罪は早い方が良いだろうな。」
散々である。
「‥‥‥そういえば、兄さん。」
「どうした弟よ!」
「いや、フェリクス兄さんじゃなくて。セヴラン兄さんの方。」
「俺か?」
「ふと思ったのだけど、もしかしてアニュレイ伯爵令嬢もアルブズ出身だったりしない?」
「ああ。そう言っていたが‥。」
「やっぱり。名前の響きが、アルブズっぽかったから。ほら、この国出身なら、エルローザ嬢ではなく、エルローズ嬢のはずでしょう?エルベルト殿だったとしても、エルベール殿だったはずだしね。」
「確かに、そうだな。さすがヒューゴだ。」
「こんな偶然、あるのかしら?もしかしてお知り合いとか‥」
「さすがに、それは‥‥。いや、まさか。」
「ん?そのエルローザ嬢がセヴランの良いお方なのか?」
「ち!違います兄上!まだ違います!」
「まだって‥‥セヴラン兄さん、恋人にもなっていなかったの?」
「ヒューゴ!」
「なるほど、意中のお相手だが、まだ告白できないというわけか。で、そのエルローザ嬢がアルブズ国出身ということだな?俺の妻に聞いてみよう。特徴はあるか?」
「‥‥ミルクティー色の柔らかい髪と、アメジスト色の瞳の令嬢です。」
よしよし、とフェリクスは頷いた。
その後、侯爵夫妻は「負担でなければ明日にでもお会いしたい」とフェリクスが連れて来たという女性に対して手紙を認めた。
「そうそう、そのお嬢さん、お名前は何と?」
宛名を書いていた侯爵夫人がそう尋ねると、フェリクスは「俺としたことがお伝えしていませんでしたね。」と答え、満面の笑みを浮かべて最愛の女性の名を告げた。
「アデーレ、という女性ですよ。」
それはかつて、エルローザとエルベルトの侍女をしていた女性の名だったが、サジテール家が知る由は無かった。




