12 エルベルト
双子が10歳になった年に、悲劇は起きた。
「 」
兄は絶句した。
「エルベルト様、お気を確かに!」
どうして、どうして。
「‥‥なん、で‥‥」
どうして、エルベルトが死んでいるのか。
「起き、て‥‥ねえ、」
バーティ、起きてよ。
その日も、双子は入れ替わっていた。いつものことだ。いつものことだった。
エズライ伯爵は、ふたりが10歳になって初めて双子の妹の方を思い出した。双子は似すぎていた。それが伯爵にとっては不都合だった。ただでさえ双子と噂のあるふたりが、ここまで似ていてはその噂が真実だと言っているようなもの。
「やはり、邪魔にしかならんな。」
要らなくなったので捨てよう。その程度の感情だった。
この国特有の毒は無味無臭で、少量で即死に至る劇薬だった。領地の山で取れる薬草から作れるその毒を調達するのは、伯爵にとってあまりにも簡単だった。
そうして、妹に入れ替わっていた兄、エルベルトが、毒の入った紅茶を飲んだ。
伯爵は、簡単に死んだ妹を見て、この毒の価値を確信した。低迷していた事業を見切り、新たな商売を始めようと躍起になった。自分の娘が死んだことなど、伯爵にとっては取るに足らない出来事だった。葬儀すらどうでも良かった。
死んだのがエルベルトの方だと気付いたのは、侍女のアデーレと老執事のジュストだけだった。ふたりが小さな葬儀を取り仕切ったことで、伯爵にすら、死んだのが兄だと露見してしまうことはなかった。
実の父が自分を殺そうとしたことよりも、自分の代わりに兄が死んだ事実の方が、エルローザにとっては耐えがたいものだった。
要らないのは、私の方だったのに。
エルローザは、エルベルトとして生きるしかなかった。代わりに死なせてしまったエルベルトの代わりに、彼が歩むはずだった人生を生きねばならなかった。
―今度は、違う国に生まれてこようね。―
一緒に死ねなくても、一緒に生まれて来られるだろうか。君の分を頑張るから、待っていてくれるだろうか。
エルベルトの気配を宿したルース石だけが、エルローザの拠り所だった。
エルベルトとして生きることになったエルローザは、妹の方だと伯爵に知られないために、可能な限り早くエズライ伯爵邸を出なければならなかったが、アルブズ国で成人と認められる13歳までは伯爵邸を出ることは叶わなかった。
エルローザにできることは、エルベルトが受ける筈だった授業を必死に学ぶことだけだった。
その中で、エルローザは、エルベルトが飲んだ毒について知った。無味無臭のその毒は、ティースプーン1杯の量で、成人男性をものの数分で死に至らしめるものだった。摂取した場合には呼吸困難と痙攣を引き起こし、触れた場合には皮膚に火傷のような炎症を起こす。特徴的なのは、摂取後に唇と舌の色が青くなること。エルベルトも、唇が真っ青になっていたことを思い出し、エルローザは泣き崩れた。
同時に、解毒剤の作り方も知る事が出来た。この頃から、エルローザはその解毒剤を自分で作り、決して切らさないように一定間隔で作り続けた。
13歳になると、エルローザは官僚の試験を受けた。この試験は身分に関係なく受ける事が出来たし、合格した後、ルース石による身元証明が必要なかった。そのくらい難関で、平民でも合格すれば採用するのだから、身元証明は不要となっていたのだ。
皮肉にも、入れ替わってエルベルトの授業を受けたりエルベルトから教わったりしていたお陰で、エルローザはエルベルトと同じだけ優秀だった。
エルローザは猛勉強の末に合格し、王都のタウンハウス住むことになった。王宮内に官僚用の宿舎があったが、そこは通常試験に合格した平民が住まう場所で、伯爵はそこに住むことは許さなかったのである。王都にある伯爵のタウンハウスは、立地が悪く、伯爵は王都に数か月居るときでも使わなかった。別の土地を買い上げ、豪奢なタウンハウスを建てたので、そろそろ立地の悪い方は売りに出そうと思っていたらしいが、エルローザが丁度良いと使うことにした。家賃は給料から払うと言えば、伯爵は好きにしろとその家をエルローザに与えたのだった。
エルローザが住むことになったタウンハウスは随分と王宮から遠かったので、馬を買うことにした。官僚は高収入な職業で、馬を買うことはすぐにできた。エルローザは領地の家に、自分がエルローザだと知っている侍女アデーレと老執事ジュストは置いて来た。これ以上、誰かを巻き込みたくなかったので、近くに大切な人を置きたくなかったのだ。
「エルベルト様、私は連れて行ってくださらないのですか?」
王都行きが決まった後、アデーレに「自分も連れて行って欲しい」と頼まれて、エルローザは顔を歪ませた。
「本当はアデーレもジュストも一緒に来て欲しい。でも、それと同じくらい、ふたりにはエズライ伯爵家から関係のない所で生きて、幸せになって欲しいんだ。分かって欲しい、アデーレ。今まで、あなた達だけが、私たちの家族だった。ここまでやって来れたのは、ふたりがいたおかげだ。本当に、心から感謝している。」
「おじょ‥‥エルベルト様、そんな‥。」
「エルベルトとエルローザを、嫌わないでくれて、ありがとう。一緒にいてくれて、ありがとう。名前を呼んでくれて、ありがとう。」
アデーレは泣き崩れた。エルローザはそんなアデーレを慰めはしたが、連れて行かない意思は変えなかった。エルローザが王都へ発った後、アデーレとジュストはそれぞれ職を辞し実家へ帰ったと、風の噂で聞いたのだった。
エルローザは懸命に働いた。人当たりが良く、身分もあり、仕事も早いエルローザは上官に気に入られ数年で驚く程に昇進した。エルローザは努力を惜しまなかった。だって、エルベルトならそうしたはずだから。
そんなエルローザは、同僚から嫉妬を買っていることに気付かなかった。気付いた時には、遅かった。
出る杭は打たれる、とは良く言ったもので、エルローザは仕事の大きな失敗を押しつけられ、官僚を辞めさせられた。悔しかったのは、エルベルトの人生に泥を塗ってしまったからだ。エルベルトなら、エルベルトならきっと、こうならなかったはずなのに。
その日のうちに、エルローザは王都を出た。金になるものと、ふたり分のルース石、護身用の剣。そして、勤めていた間ずっと行きと帰りを送り届けてくれた馬に乗って、王都を出た。何かが折れてしまったのだった。
―海を渡った、大陸の国ではね、双子が祝福されるんだって―
何日か馬を歩かせ、港街へ着くと、エルローザは大金を払って船に乗った。大陸へ渡る船だ。この世界に大陸はひとつしかない。昔エルベルトが言っていた国側は、かなりの日数船に乗らなければならず、愛馬を何日も乗せるのは躊躇われた。だから、反対側だが近い方に向かった。陸路でその国を目指そう。どうしても、その国に行きたかった。この国で死ぬのは、もう嫌だ。それだけだった。
そうして、エルローザの旅が始まった。その旅の中でも、エルローザはエルベルトとして生きていた。男装の方が都合がよかったし、今更エルローザにはなれなかったのだ。
旅は想像以上に過酷だった。忌まれ放置されていてもエルローザは貴族だったからだ。官僚時代の金が尽きる前に、エルローザはお金の稼ぎ方を学ばねばならなかった。野宿することもあった。動物を狩り捌くことも、雨を凌ぐ場所を探すことも、愛馬に食事を与える事も、全て自分でやらねばならなかった。
けれど。それでも。過酷ではあったが、苦しくはなかった。
剣の腕が立つことから、護衛を務める事が出来たエルローザは、旅の商人の護衛をしながら、目指していた国に辿り着く事が出来た。旅の中でも、エルローザは件の解毒剤を作る事だけは忘れなかった。忘れないように、作り続けていた。けれどその薬が使われることは一度もなかった。
「少年、ひとり旅なんだってな?」
「ええ、まあ。でもこの馬がずっと一緒なので、ふたりみたいなものです。」
時折、旅の中で商人たちはエルローザに声をかけた。年若い少年が、ひとり旅とは訳アリだと思ったのだ。
「へぇ。その年で剣の腕が立つとは、いいとこの坊ちゃんか?」
「剣が好きで、振り回していただけです。」
これ以上は踏み込まない、というのが礼儀である。商人はそのくらいで話を引き上げた。
「そういや少年、名前を聞いていなかったな」
「‥‥エル、です。」
「エル、エルか。良い名前じゃねぇか!」
「?」
「知らねぇのか?まあいいさ!あの国では割と有名なんだ。古い言葉だけどな!だからあの国、ウィリディス帝国へ行けばきっと分かるさ。」
エルローザは曖昧に頷いた。そう言った商人は機嫌がよさそうに仲間たちの会話に戻っていった。
そうしてウィリディス帝国に辿り着いた。帝国内の街々を回りながら、王都近郊にやってきたエルローザは、解毒剤用の薬草を探して山に入ったところで、熊に襲われそうだったイリスを助けることになったのだった。




