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10 もういない

 エルローザは久しぶりに酒を飲んで、気分が高揚しているのを自覚していた。初めて、セヴランと酒を飲んだ。酒を飲むこと自体、エルローザにとっては珍しいことだった。遅くまで出歩くことはないし、特段酒が好きなわけでもない。というよりも、酒を飲む習慣が無かった。


 ああ、でも、今日は楽しかった。


 素直にそう思った。セヴランは剣の師匠で、年の離れた兄のようで、友人だった。友人だと、言ってくれた。エルローザにとって初めての、友人だった。

 それは本当に嬉しいことで、自分には勿体ないことのようで、胸の奥がむずむずするような感じがした。くすぐったい、というのだろうか。浮足立っているのだろう、とどこか客観的に自分を見る。



 それから、とても、泣きたくなった。嬉しさのせいではない。あんなに真っ直ぐで、誠実な良い人を騙しているという事実が、エルローザを苦しめた。


 自分は、性別を偽って、彼と友人になってしまったのだ。嬉しさの分だけ、申し訳なさで押しつぶされそうだった。


 騙していたのだと告げれば、軽蔑されるだろうか。今の関係は壊れてしまうのだろうか。まだ、もう少しだけ、エルベルトだと偽ったまま、友人でいさせてください。



 エルローザは見上げた星に願いながら、薬屋への帰路を歩いた。






 翌日、薬屋のお昼休憩の時間。お茶を用意するエルローザにイリスが声をかけた。


「エル、なんだかいつもより楽しそうだね。」

「そう、ですか?」

「ああ。花を振りまいているようだ。」

「花って‥‥昨日、セヴランさんとお酒を飲んだだけです。楽しかったので、そのせいですよ。」

「ほう?」


 イリスのこの反応は、「もっと詳しく話せ」というものだ。エルローザはなんだか気恥ずかしさを感じながらも、イリスの要求に答える。


「剣を教えてもらう以外の理由で、一緒にいたのは初めてだったのです。セヴランさんのお兄さんの話や、子供の頃の話を聞きました。」


 コトリ。エルローザは紅茶を注いだカップをイリスの前に置いた。イリスは紅茶の香りを楽しむと、エルローザに視線を寄越す。「それで?」という意味である。エルローザはイリスの向かいの席に腰を下ろして話を続けた。


「私は、師匠の話をしました。」

「美人で優しくて頭もいい、素晴らしい師匠だって?」

「美人で優しくて頭も良くて、男前で寛大な素晴らしい師匠だと話しました。」

「よろしい。」

「他愛もない、話ばかりだったと思うのです。でも‥‥それがとっても幸せで、楽しくて、ずっと続けばいいのにって。そう思ったのです。可笑しいですよね。」


 エルローザは困ったように笑った。イリスは紅茶を一口飲むと、夕日色の瞳を優しげに細めた。


「可笑しいことはないさ。家族と、友人と、愛しい者と、そうやって他愛無い話をしながら食事をするっていうのは、当たり前のようで、とても幸福なことなんだ。エル、そう感じたなら、その関係を大事にすることだ。」

「‥‥‥友人って、言ってくれたのです。彼は私を、友人だと。」

「初めての友人、だろう?」


 ひとつ、エルローザは頷く。


「はい、初めての友人です。でも、師匠‥‥私はその初めての友人を騙している。エルベルトだと嘘をついて、友人になってしまった。それがとても苦しいのです。」


 エルローザは胸元をぎゅっと握り、唇を噛む。意図して騙したわけではないけれど、嘘をつき続けていることは事実だった。次は言おう、次は言おうと思っている間に、言い出せなくなってしまっていた。


「エルベルトでいることが、辛くなったか?」

「いいえ!」


 イリスは穏やかな声だったが、エルローザは強く反応した。


「いいえ、私が、エルベルトでいることが辛いだなんて、そんなことは絶対にないです。」

「‥‥そう。」

「エル、だなんて言ってしまったから、エルベルトとエルローザのどちらで接すればいいのか分からなくなってしまったのです。苦しいのは、そのせい。きっと、そう。」


 エルローザは独り言のようにつぶやいた。


「‥‥なあ、エル。」

「はい、師匠。」

「サジテール家の次男と友人になったことが嬉しくもあり、苦しい。それが、どっちの感情か分かっているか?」

「    」


 はくはく。エルローザの口から言葉は零れなかった。頭を殴られたような衝撃に、エルローザは自分が立っているのか座っているのか分からなくなるほどだった。どっちの。エルベルトかエルローザか、どちらの感情か。そんな、そんなこと。



「エルローザ」

「   」


 ひゅっ、とエルローザの喉から空気の音が鳴る。


「それはエルローザの感情だ。」


 イリスの射るような視線を受けて、エルローザは頭を抱えて首を振った。


「ちが‥っ!ちがい、ます!そんなはずはっ‥‥だって!だってエルローザは!」


 エルローザは。


「エルローザは死んだのですから!!!」



 この感情は、この身体は、エルベルトの筈なのだ。


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