09 苦くて甘いなにか
エルベルトとセヴランは、休日が重なる日には決まって剣を合わせた。エルベルトは飛躍的に剣の腕が上がったし、ふたりは友人と呼べる仲になっていた。
「今日もありがとうございました、セヴランさん。」
「大分剣がぶれなくなったな。次は一本取られそうだ。」
「取れるように頑張ります!」
まただ。セヴランはこのところ、エルベルトの笑顔に心臓が音を立てるようになっていた。エルベルトは成人男性にしては可愛らしい顔をしているので笑顔が眩しいのだ、とセヴランは理由付ける。セヴランにとってエルベルトは弟分であり、剣の弟子でもあり、友人でもあった。さっぱりしていて言い淀むこともなく、素直なエルベルトは、質実で真っ直ぐなセヴランとは馬が合った。仕事も身分も作用しないこの関係を、セヴランは存外気に入っていた。
「エル、酒は飲めるか?」
「強くはないですけど、多少は。」
「この後どうだ?折角友人になったのに、俺たちは乾杯もしたことがないなんて悲しいだろう?」
セヴランは大袈裟に眉尻を下げる。エルベルトはそれが可笑しかったのか、クスリと笑って承諾した。
「もちろん。明日の仕事に支障のない程度で。」
セヴランが案内するようにして、ふたりは居酒屋に入った。どうやらエルベルトは、居酒屋に来たことはないらしい。セヴランはビエールを2杯頼んだ。不慣れなエルベルトが注文をセヴランに委ねたのである。
「それでは、新たな友情に!」
「‥剣の師匠に?」
「「乾杯」」
キン、とグラスが軽くぶつかり、ふたりはビエールに口を付けた。セヴランはエルベルトに食べたいものを聞くが、それも委ねられてしまったので、この店定番の品を3つ頼むことにした。
「セヴランさんはよくお酒を飲むのですか?」
「まあ、それなりに飲む機会はあるな。」
「お仕事で?」
「仕事でもあるし、仕事仲間とも飲むぞ。そういうエルは飲まないのか。」
「あまり機会が無かったからか、飲みたい!と思うことも無かったですね。」
「汗をかいた後に飲むビエールは最高だぞ?」
「最高だと気付きました。」
「それは良かった。人生の楽しみが増えたな?」
「ひとつ後悔が減りました。」
ふたりは自分たちが剣でしか会話をしていなかったことに気付いた。友人とは言ったものの、お互いの事を良く知らなかったので、アルコールの力もあり、会話はそれなりに続いた。
ふと、エルベルトは考えるそぶりで黙った。
「エル、どうかしたか?」
「あの‥‥友人、ですよね?」
「そうじゃないのか?」
「いえ、ただ‥‥セヴランさんが、初めての友人だな、と気付いたので。」
ふにゃ。アルコールのせいか、気の緩んだ笑顔で、少し照れながらエルベルトはそう言った。セヴランは無意識に目を逸らし口元を抑えた。
「そう、か。それは光栄だ。」
取り繕えた自分を内心で褒め称えた後、セヴランは考えようとする自分と思考を放棄しようとする自分とで戦うことになった。
「剣を教えてくれる友人が出来て有難い限りです。」
「待て。なんだか"友人"がおまけのように聞こえるのだが‥?」
「そんなまさか。」
「目が泳いでいるぞ。」
ふたりは笑って酒をあおった。エルベルトなりの照れ隠しだったのかもしれない、とセヴランは思った。
「本当です。」
「なにがだ?」
「本当に、嬉しかったです。私を、友人と言ってくれて。」
一瞬、泣いているのかと思った。しかしセヴランが瞬きの後に見たエルベルトに涙は無かった。彼の言い方はどこか、終わったことのような、叶わなかった夢のような。そんな不確かな響きがあったが、セヴランはそれについて言及することはできなかった。
「そろそろ帰りましょう、セヴランさん。」
「ああ、そうだな。」
ふたりは会話の切れ目で席を立った。ふら、とエルベルトがよろけて、セヴランが腕を掴む。セヴランは自分の手のひらが一周してあまる腕の細さに驚愕して思考が止まった。
「うわ、すみませんセヴランさん。久しぶりに飲んだので‥‥セヴランさん?」
「あ、ああすまない!いや、倒れなくて良かった。」
慌てて手を離したセヴランは、店を出た後、エルベルトに対して頻りに「ひとりで帰れるのか?」と聞いた。エルベルトは「剣も持っているし歩けるから大丈夫だ」と言い、「また次の休みに!」と声をかけて立ち去った。
エルベルトの背が見えなくなるまで、セヴランは動けなかった。一体、自分はどうしてしまったのか。このところ可笑しい。特にエルベルトと一緒にいる時が。
「‥‥いったい、何だというのだ。」
友人が出来て舞い上がっているだけだ。そう言い聞かせながら、セヴランは火照った顔を冷ましながら帰るのだった。




