第二話:あれは、たしか、馴初
私の旦那が魔王になったのには、大して深くも無いが、それなりに経緯がある。
確かあれば一年前の春。
私がまだ娼婦だった頃、彼が人のナリをした客としてやってきたのが馴れ初めだった。
いや別に売りたくて身体を売っていた訳では無いのだけれど、都内の大学に通うにあたって、奨学金だとかいう借金を背負ってしまったのが運の尽きだった。周囲の子の生活水準に合わせながら学費を工面し、そうしてお金も返し――と考えると、結局この方法しか無かったって寸法だ。
無論のこと最初のほうこそ抵抗はあったものの、身を粉にして働くなけなしのバイト代の、その数倍の額を一夜にして稼げてしまう訳だから、なんというか全てはお金だ。学校の後となればどのみち酒場が専らで、そうなれば客のセクハラも当然受けてしまう。だったら素直に身体を売って、その稼ぎでストレス発散したほうが良いに決まっている。美味しいご飯を食べたり、可愛いお洋服を買ったり、それから好きなアニメのイベントに出たり――。
――と、まあその話は置いておこう。
ともかく娼婦として夜の仕事に就き、それなりに暮らし向きに余裕が出来始めた頃、彼、すなわち魔王は姿を現した。
最初は小汚い中年のおっさんとして。
次は歯の浮くような気障なイケメンとして。
最後はいかにも貴族といった風な、気品ある紳士として。
それも一人が一人につき一回では無く、ローテを組んでリピーターになっていた訳だから、中々に混乱する。
で、魔王の曰く。
「お前は誰に対しても平等に優しく、それでいて欲が無い」だとかの理由で、ある日突然に召し抱えられたって訳だ。
そりゃあ。
客に貴賎は無しなんだから、サービスに差なんて出す訳も無いし。
強請って集ろうなんて面倒もゴメンだから、すぐにさよならだし。
なんというか。勝手に先方に良い子だと勘違いされただけらしい。
そもそも。
自分の顔を鏡で見てみれば分かるが、決して最上級の美人という訳では無い。
スタイルだけはそれなりに維持しているけど、飽くまで顔の不出来を補う為の次善措置だ。
だから「また来るからね」と客に言われても「次はもっと可愛い子の所に行くだろうな」とか「いやいやそろそろ私にも飽きるでしょ」程度にしか考えていない。
悲しいかな家がそこそこ厳しかった所為で、真面目な優等生を演じるのは得意中の得意だし、控えめな見た目からしてとても良い子そうに見える。
自分で言うのもなんだが、私は色白で薄幸そうだし、周囲を押しのけても我を張るキャラでは無い。だから街を歩いていればすぐに道を聞かれるし、キャッチセールスにはカモを見つけたとばかりに声をかけられる。仕事でだって、他人に頼みづらい事を任されたり、要するに称賛とは裏腹に、損な役回りを演じやすい雰囲気を持っているんだろうなとは思っている。
そういう意味では、風俗業は性に合っていたのかも知れない。どうやら媚びを売られる事に慣れている大金持ちであればある程、私のこの自信の為さと引き際の淡白、それとは真逆の丁寧な接客に惹かれる傾向が強かったからだ。
つまりあの手この手で私を計っていた魔王とやらも、他の男性陣同様、私の見た目に騙された手合なのでは無いだろうか。
――最も、最初に騙されていると感じたのが私のほうであった事は疑いようも無いのだが。
* *
「目を閉じて下さい。ミス」
それは魔王が成りすました最後の客、如何にもな貴族の見た目の時。丁寧な言葉遣いに促され、私はゆっくりと目を閉じた。無論、なにがしかのプレイがあるであろうと推し量ったからだ。
(ちなみに私が働いていたのはきちんと個室のある娼館で、デリバリーじゃないぶん、身の安全が保障されていた。待機時間で学校の課題が出来たのも良好なポイントの一つだった訳だ)
「はい」
何かしらのプレイでも始まるのかなと内心で思いを巡らす私を他所に「素敵な世界にご招待しましょう」と低いビブラートがかった声で魔王は言う。
「あ――、はい」
何のことやらと気の抜けた返事をしてしまった私だったけれど、確かに次の瞬間には空に舞い上がっていたのが体感で分かった。薬でも使ってしまったのかと恐れから目を開けそうになる。
「駄目ですミス。もう少しだけ、時間を」
目を押さえられた私は、促されるまま幾許かの時を過ごし、やがて暫くすると「もういいですよ。失礼致しました」の声と共に瞼を開いた。
「えっ」
その瞬間、私の視界に飛び込んできたのは、これまでで一度も目にした事の無い本物のお城。
もちろん友達を遊びに行った事はあるけれど、そういう見せ物の、半ば観光地として開かれている身売りされた城では無い。現在進行系の、今まさに王族が住んでいる、金銀に彫刻に宝石にエトセトラに、少ない語彙の全てを投入して金目の元とでも言うべきそれらが、あちらこちらに飾られているガチの城だ。
「え……すごい」
いや凄いなんてものじゃない。創作の中でだってこんな奢侈はお目にかかれない、ひたすらに綺羅びやかで広大な空間。私が目を瞬かせていると、貴族の姿の魔王は恭しく一礼をして告げたのだった。
「ミス、どうか私の妻になって頂きたい」
今思えば、あの時こくりと頷いてしまった私の浅慮が、引くに引けない現状の始まりだったのだ。