九 封筒
「ですが、みたところ霊は玉田さまのそばにはいません。いままでのお話からしておそらく、お宅にいるのだと思われます」
柳は玉田ミヨをまっすぐに見ている。柳の霊の視えかたはわからない。いまは視えにくくなっているとはいえ、この赤くなる目とはちがって、昼間でも霊を映すことができるというのを聞いただけだ。葉末は目をこらしてみたが、当然なにも見出せなかった。柳が「いない」と言っているので、きっとここにはいないのだろう。嘘をついたり、てきとうなことを言ったりするようには思えない。
「わたくしに取り憑いているのでは、ないということでしょうか、柳さま」
「はい、そう思うのですが……」
柳は一瞬口ごもり、けれど玉田ミヨから目をそらさず言った。
「じつは近頃わたしのほうは、霊が視えにくくなっていまして。この弟子に頼っているのです」
「えっ……」
葉末は思わず声を洩らした。柳が嘘を吐くとは思わないが、そこまで正直に述べてしまうとは考えていなかったのだ。柳は葉末をかえりみて、ちいさくうなずいてから続けた。
「弟子は夜になるととくに、霊が視えやすくなるのです。ですから、夜になってからいちど、お宅にお邪魔させていただくことは、できるでしょうか。玉田さま」
玉田ミヨが葉末に視線を向ける。葉末ははっと居住まいを正した。夜になってから家を訪問すれば、男の子の霊がいるのかどうかこの目で確認することができる。玉田ミヨにくっついているのか、そうでないのかも明らかになるだろう。だから、葉末は頭をさげた。
「どうぞ、お邪魔させてください」
「いいえ。頭をあげてください」
玉田ミヨが凛として言った。ためらいながらも顔をあげると、玉田ミヨは畳に手をついていた。
「こちらから、おねがいいたします。どうぞ家までおいでください」
端正な所作で頭をさげる。ありがとうございます、と柳がこたえ、葉末はふたたび頭を垂れた。
夜に玉田家へ行くことが決まり、玉田ミヨはひとまず帰っていった。湯呑を片づけたあとの台所で、葉末は柳に声をかけられた。
「水瀬さん」
「はい、お師匠さん」
葉末がこたえると、柳は朗らかな笑みで言った。
「協力ありがとうございます。今夜、よろしくおねがいしますね」
「いえ。お役に立てればよいのですが……」
「とんでもない、たすかるんです。霊のすがたが視えたときには、わたしにようすを知らせてください。煙のようには視えるんですが、細かいところはわかりにくいので」
「はい、了解いたしました!」
葉末が声を張って応じると、柳はまぶしげに目を細めた。そしてふいに懐を探ると、封筒をひとつ取り出した。柳はそれを葉末に渡した。戸惑いながらも受けとると、すべすべとしてさわり心地がよい。上等のものだとすぐにわかった。
「これは……」
「月方家のお嬢さんからです」
一瞬、なにを言われたかわからなかった。ようやく理解が追いついたとき、葉末はその場で封筒を開けていた。糊などは塗られておらず、すぐにひらくことができた。真っ白い便箋を広げると、うつくしい字が綴られていて、思わずちいさく息をつく。まちがいなく、鞠子嬢の筆跡だ。
「どうして……」
柳家にいることは知っている、と鞠子嬢は書いていた。困ったときには帰ってくるとよいとも、三月経ったら呼びもどすので、そのつもりでそこにいるようにとも。
「そんなことは、できません……」
もどることなどできるはずがない。そんなことをすれば、鞠子嬢がまた病にかかり、苦しむことになるかもしれない。それに、どうして鞠子嬢に居所が知れてしまったのだろう。
「勘のいいかたですね」
柳がおかしそうに言った。
「わたしがお邪魔したところ、すぐにわかってしまわれたみたいで」
まいったというふうに、頭のうしろを掻いている。葉末は便箋を胸に押し当てた。確かに、鞠子嬢は鋭いひとだ。隠しごとなどできはしない。今度も見破られてしまったのだ。
「ともかく、お嬢さんはお元気そうでした。わたしの相手もしてくださって」
「そうでしたか……」
「お嬢さん、お手紙では、なんて?」
柳が遠慮がちに問うてくる。葉末はすぐに内容をこたえた。すると柳は、静かに笑んだ。
「でも……」
柳の笑みを目にして、葉末は思わず言いつのる。流し台の向かいの窓から差し込んでくる日の光。その澄みきった明るさにふれ、ふいにとけそうだったから。なんだか急に、そう見えたから。
「もどることは、できません……」
口にしてから、はっとする。もどれないなどと言うことは、ずっとここにおいてほしいと頼むこととおなじになる。それもできない。柳に協力すると約束はしたが、柳の感覚が復活すれば、ここにいる理由はなくなるのだ。葉末が唇を噛みしめていると、柳がひょいと覗き込んできた。もう、光と同化しそうには見えない。
「わたしの感覚は、三月もすればおそらくもどると思います。それと、水瀬さんの赤い目も」
見透かしたようなことを言われ、葉末は思わず息を飲んだ。柳はにこりとしてから続ける。
「突然そうなったでしょう。三月もすればもとのようになりますよ。それってそういうものなんです」
柳のかろやかなことばを聞くと、ふしぎと身体の力が抜ける。
「そうなのですか……」
「はい。そうです。だからなにも気にせずに、いるべきところに帰ってください」
「いるべきところ」
「月方家です」
柳はなんのためらいもなく、そこがいるべき場所だと決める。鞠子嬢の筆跡をたどり、葉末はおぼえずうなずいていた。
「お嬢さまが、お呼びくださったら……」
「はい」
「でも、もしもとにもどらなかったら」
「もどります」
柳は言い切った。まっすぐ、葉末の目を見据えた。
「かならず、もとにもどりますから。水瀬さんはだいじょうぶです」
力強いそのことばに、葉末は安堵させられた。目に力をこめ、柳を見つめ返す。
「では……、それまでは存分に、この目をお使いくださいませ。誠心誠意ご協力いたします」
「それは、頼もしいですね。どうもありがとうございます」
柳は愉快そうに笑う。ぱたり、流し台から水滴が落ちた。




