八 依頼
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そのころ、葉末は柳邸にてひとりの婦人と向き合っていた。藍色の地に流水紋の着物をまとったそのひとは、名前を玉田ミヨといい、琴を教える先生である。葉末が予想したとおり、霊祓いの依頼のために柳邸にやってきたのだった。
葉末は、玉田ミヨを客間に通し、湯を沸かして茶を淹れた。留守中に依頼人が来ればそうするようにと、出かける前の柳に言われていたのだ。それが済んだあと、葉末は最初、玄関に立って柳を待った。
玉田ミヨから依頼内容を聞きとっていてもよかったが、葉末は柳の弟子をかたった単なる居候である。夜になれば赤くなる目を用いて柳に協力するとは言っても、霊が視えてしまうよりほかは、なにをしてよいか少しも知らない。依頼の中身を聞き出すことは、かえって迷惑になると思った。それに玉田ミヨにとって、話が二度手間になるおそれもある。しかし柳が帰らないので、葉末は客間へようすを見に行った。
玉田ミヨは背筋の伸びた、凛とした風情の女性なのだが、やはり祓い屋に依頼のあるひとだ。顔色が少し青ざめており、細い手が落ち着かないふうに、膝の上で幾度も握りしめられていた。それを見ていたたまれなくなり、葉末は彼女に声をかけたのだ。
「申し訳ありません、玉田さま……。柳はまだもどらないのですが、じきに帰ると思いますので……、もう少しだけお待ちください……」
すると玉田ミヨは顔をあげ、葉末ににこりと笑みを向けた。
「ありがとうございます、お弟子さん。このお茶、とてもおいしいですね」
「いいえ、そんな……」
「ほんとうですよ。それにしても、こんなすてきなお弟子さんがいらっしゃるなんて。お祓い屋さんも安心ですね」
「どうも、ありがとうございます……」
気丈な玉田ミヨに言われて、葉末は思わずちぢこまった。玉田ミヨは、先代のころから柳家の祓い屋を知っていたという。依頼をしたことはなかったが、もしものときには頼ればよいと、両親からも聞いていたようだ。そんな玉田ミヨは湯呑を置くと、葉末に向かって手招きをした。
「今度のことは、ほんとうに……ねえお弟子さん、聞いてくださる?」
きちんと聞けるとは思えなかった。けれども、玉田ミヨの顔を見ていると断ることなどとてもできず。そうして葉末は玉田ミヨの向かいに座ることになったのだった。
葉末が差し向かいに行くと、玉田ミヨはほっとした顔を見せた。「祓い屋の弟子」が話を聞くので、幾分安心したのだろう。葉末は腹の底に力をこめた。
「あのね、お弟子さん。わたしは家で琴を教えながら、ひとりで暮らしているのだけれど。近頃おかしなことが起こるのです」
「おかしなこと」
「ええ、そうなのです」
「それは、生徒さんたちも気にかかるのでは……」
「そうです!」
玉田ミヨは大きくうなずき、葉末のほうへ身を乗り出した。そのとき、がらりと音が響いた。思わずふたり、顔を見合わせる。音は玄関のほうから聞こえた。そして、ただいまもどりました、とよく通る声が客間にとどいた。
町からもどってきた柳を交え、さっそく聞きとりが再開された。その前に柳は葉末に目配せし、ふっとやわらかな笑みを見せた。そのような顔をするということは、きっと鞠子嬢は無事だったのだ。葉末は大きくうなずき返し、玉田ミヨの話に集中した。いまは依頼人を優先すべきだ。
「おかしなことというのは、具体的にはどのようなことですか」
柳が、おだやかな調子で玉田ミヨに問う。客間に置いてある文机の前で、細い筆を手に取っていた。手帳にいろいろと書きとりながら、話を聞いていくらしい。
「────ええ、それは」
いっとき口ごもり、玉田ミヨは柳にこたえた。
「夜に、夜になりますとね……、琴が、鳴り始めるのです」
口にすると思い出すのか、玉田ミヨは途切れ途切れに話し、話しつつときおり顔を歪めた。
「それも、上手なものではなくて、ちょっと戯れに鳴らしてみたような、音で。それでふしぎに思いまして、ようすを見に行ってみましても、琴のそばにはだれも、いなくて……」
玉田ミヨは泥棒ではないかと考え、警察に相談してみたようだ。しかし近隣で泥棒の話はなく、家の被害もまったくない。そして琴の音よりほかは、なんの物音もしないのだ。
「そうでしたか、それでこちらにいらしたのですね」
手帳に筆を滑らせながら、柳は落ち着いた声音で応じる。玉田ミヨは幾度もうなずいた。
「そうなのです。霊ではないかと、そのように思えてきましてね……、だって生徒さんのひとりが──六つの女の子なのですけれど。言うんです、男の子が、座ってるって────」
さきほど言いかけたことは、これだったのだと葉末は悟った。男の子が座っている。思わずこくりと唾を飲み込んだ。しかし柳は動じない。ふわりとうなずき、先をうながす。
「男の子ですか」
「ええ、そうです……、うちに男の子はいませんし、そのときは、そう言った生徒さんとわたくししか、部屋にいなかったのです。それなのに、そんなこと言うものだから……」
「そうでしたか、そうであれば、霊である可能性が高いですね。とくに幼い子どもたちには、霊が視えやすいですし」
祓い屋を継ぐ血筋でなくとも、瞳が赤くならずとも、霊が視える場合があるのだ。葉末は妙に感心した。確かに幼い子どもたちは、霊と近しい存在なのだと幾度か聞いたことがある。柳を見ると真剣な表情で、玉田ミヨに目を向けていた。
「男の子のようすは、お聞きになりましたか」
「はい……、わたくしたちを、見ていると。お行儀よく座って見ていると、その生徒さんは言っていましたね……」
「そうですか、ほかにはありますか」
「ええ、その生徒さん、男の子がおしゃべりするとも言って。なにを言っているかは、わからないけれど、口が動いて、声が聞こえると」
「声」
「はい、ああ、それと……」
ためらいがちに言いかける玉田ミヨを、柳は静かに待っていた。やがて、玉田ミヨは打ち明けた。
「じつは近頃、身体がだるくて。肩もよく凝るのです。これはかかわりないでしょうけれど────」
「いえ」
柳はそっと首を振り、いっとき、どこか痛むような顔をした。けれども、すぐに落ち着いた表情にもどって、玉田ミヨに告げた。
「それはおそらく、霊が近くにいることによる霊障ですね。教えてくださってよかったです」
玉田ミヨの身体から、力が抜けるのがわかった。葉末は柳の横顔を覗いた。やはりおだやかに、凪いでいた。




