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赤い瞳とお祓い屋  作者: 相宮祐紀
第二章 童子の声
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七   令嬢





**




 

 柳《やなぎ》右作《ゆうさく》は、自邸への帰路についていた。

 広く平らな道の両側に、昔ながらの茶屋や小間物屋、煉瓦造りの郵便局や銀行が立ち並んでいる。道行く女学生の笑い声や、人力車の車夫たちのかけ声、車輪の音、土を踏む足音、店先で話すひとびとの声が混ざり合って青空に響く。右作は少し空を見やって、そのまぶしさから顔をそらした。瑠璃を散りばめたような色だった。雲も濃い白色をしていて、その対照が目をくらませる。ついふらつきそうになったとき、どこからか来たあまい香りがふわりと鼻にふれていった。この先の喫茶店からだろう。煙のような霊のすがたが、すうと目の前を横切った。

 さきほど訪ねた月方《つきがた》邸は、瓦葺屋根の二階建て家屋と、白壁に青屋根の洋館とが横に並んだ豪邸だった。それでいて垣根には朝顔が伝い、手水鉢の水も澄んでおり、隅々まで手入れの行きとどいた清雅な住まいであるようだった。

 手の中にあるすべすべとした封筒を懐にそっとしまう。これは月方家の長女、鞠子《まりこ》嬢に持たされたものである。丁寧にしたためられた手紙であって、宛名はほかでもない、水瀬《みなせ》葉末《はずえ》。右作はこれを渡すようにと、令嬢より仰せつかったのだった。

 水瀬葉末が己のもとにいると、令嬢に話したわけではない。右作は月方家を訪ね、赤い瞳のひとがこの邸にいたと風の噂で聞いたので、影響がないか調べてさしあげようかと営業をしただけだった。

 普段は依頼を受けることが中心でみずから訪ねていくことはしないが、祓い屋の柳家といえば昔からそれなりに有名だ。とくに年配のひとのあいだでは、よく名が売れているのである。そのためか取り次ぎの使用人も、月方家の奥方も、ぜひ調べてほしいと右作に頼んだ。右作は月方邸に入り、令嬢に会うことにも成功した。主たる目的はこれだった。水瀬葉末が仕える令嬢の、容態を確かめることである。

 原因不明の病に倒れ、発熱に苦しんでいたという令嬢は、嘘のようにすこやかだった。色白の頬には桜色が差し、小柄ながら背筋をしゃんと伸ばして、くっきりとした声で右作と話した。つまりは赤い瞳となった水瀬葉末が去ったことで、月方男爵邸の内には平穏がもどったということらしい。

 右作はひとりため息をつき、令嬢とのやり取りを思い返した。牛酪の香りを漂わせる喫茶店の横を通り過ぎていく。

 月方家で応接の間として通されたのは、洋館のほうの一室だった。そこは濃紺の絨毯を敷き、揃いの柄のカーテンを掛けた重厚な雰囲気の部屋であり、天板に硝子を張ったテーブルと天鵞絨の長椅子が備えつけられていた。右作は、淡い紅の薄物に下げ髪の令嬢と向き合って座り、少し世間話をした。そのあと令嬢が手紙を書き始め、右作はそれを受けとった。

 右作があっけにとられていても、令嬢はおっとりとしていた。しかしふと憂い顔になり、葉末を守ってやれなかったと悔やむことばを口にした。水瀬葉末が祓い屋のもとにいると、はじめからわかっていたような振る舞い。なぜなのか問うてみたところ、勘だとあっさりした調子でこたえた。

 水瀬葉末は月方邸を出るとき、書き置きを残していたという。そこには、いままで世話になった感謝と、これ以上己のすがたのために迷惑をかけることができないので、出ていくがあてがある旨が、淡々と記されていたようだ。その行くあてというのが、祓い屋のもとであったということ。令嬢は右作を見たとたんに、勘づいてしまったらしい。

 月方邸の中では、令嬢の病について、瞳が赤くなるという尋常ではない様相を呈した水瀬葉末のせいではないかとの言説が流布していたという。水瀬葉末は月方邸にいづらくなってしまっていたのだ。夜半に出会った水瀬葉末の必死のようすを思い出し、右作は苦い気分になった。それは令嬢もおなじであり、いや、右作の何倍も、彼女を案じているようだった。

 右作は令嬢に、病はやはり赤い瞳のひとが近くに存在したせいであり、水瀬葉末がもどってくれば、再発のおそれがあると話した。そのため水瀬葉末自身が、もどることを望まないだろうとも言った。それはこれまでの彼女の態度からたやすく推し量れることだった。令嬢は右作のことばにうなずき、ほとぼりが冷めるまでは、彼女に帰ってくるようにとは言わないことにすると述べた。

「だって、頑固なのですもの」

 令嬢は口もとに袖をあてがい、ふっと遠い目をして言った。

「それは巌のように頑固で、そのうえ生真面目なのですわ。いま帰るよう申しましても、帰ってくるわけありません。だから柳さま、おねがいしたいのです」

 しばらくのあいだ、水瀬葉末を柳家に住まわせるように。令嬢は右作に頼んだ。あくまでしばらくのあいだ、彼女のよりどころとなれと。

「葉末のことですから三月ほどでしょうか、わたくし三月ほど経ちましたら、葉末を呼びもどしますから、それまで、おねがいしたいのです」

 令嬢がそう言ったとき、ちょうど使用人が入室した。そのひとは湯気の立つ華奢な茶器を令嬢と右作の前に置き、去った。令嬢は茶器をのぞき込み、花ひらくようにほほえんだ。

「ご覧くださいな、柳さま。葉末の瞳のようじゃありません?」

 言われたとおり見てみれば、なるほど金の細工の入った可憐な茶器の中身は紅茶で、のぞいた右作の顔を映してゆらゆらと赤くゆれていた。そのとき、昨夜竈のそばで己が言ったことが思い起こされた。瞳がまるで火のようだと、己は彼女に告げたのだ。思わずそれを口にすると、令嬢はほんとうにと、おだやかにこたえた。

「でもね柳さま。もしもですけれど。もし柳さまが三月のあいだに葉末を困らせるようなことなさったら」

 令嬢は至極たおやかな所作で茶器を取りあげ、笑みをにじませた。わたくし、ただじゃおきませんので。

 そのような話をしたあとに、右作は月方邸をあとにした。

 にぎやかな町を歩きながら、またため息をついてしまう。まさか、令嬢が水瀬葉末の居所に気づくとは思わなかった。三月の期限をつけてくることも、考えていなかった。けれども、これでよかったのだ。右作は令嬢からの手紙をしまった懐をとんと叩いた。

 師匠だの弟子だのと言って、いつまでか期間も曖昧にして彼女を利用しようとしていた。それは卑怯なことだった。わかっていながら、すがってしまった。灯火にも似たあの瞳に、たすけを求めてしまったのだ。そのうえ、ごまかしていることがまだある。

 瞳が赤くなる原因だ。水瀬葉末には、そういうこともある、くらいにしか言っていないが、じつのところは霊障である。つまり、水瀬葉末のそばには霊がおり、その影響で彼女には霊が視えている。よってその霊を祓ってしまえば、彼女は霊が視えなくなる。夜にも瞳が赤くならない。なにを気にすることもなく、令嬢のもとに帰れるだろう。

 けれども、すがたを隠すのが巧みな霊だ。そのような霊は祓いづらい。いまの状態ではよく視えず、祓うことも難しい。だが、やろうと思えばできる。だが。

 霊視には、感情が大きく作用する。なんらかの強い感情のために、夜には霊が視えるはずの彼女にも、その霊が視えていないのだ。それをいいことに、いろいろとごまかして彼女を留め置こうとしている。

 なぜか。たすけてほしいから。霊が視えにくく、祓いにくく、祓い屋として失格になりかけた己を、支えてくれるなにかがほしい。

 なんとも身勝手なことである。だから、令嬢に居所を見抜かれ、期限をつけてもらえてよかった。しかし、それは翻って、その期限までは水瀬葉末を利用できてしまうということでもあった。右作はまた空を見あげた。

 やはり、宝玉のようにまばゆい。すぐに顔をそらしてしまう。歩けば汗ばむ時季だというのに、無性に炎がこいしくなる。右作はふたたび懐を叩き、自邸への道を急いだ。

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