十 足音
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夕暮れどき、葉末は柳とともに玉田家を訪れた。案内された部屋の障子が、夕焼けの色のなごりを透かしてものがなしげに思われた。畳に落ちた花瓶の影が、だんだんと濃くなっていくようだ。この部屋は琴の稽古場所であり、琴がひとりでに鳴り始めたり、男の子がいると言われたりしたところである。葉末は柳と玉田ミヨと、日が暮れるのを待っていた。
玉田ミヨにはすでに柳から、葉末の目のことが伝えられている。玉田ミヨはおどろきながらも、祓い屋の弟子のものとして赤い瞳を受け入れていた。部屋の吊りランプがかすかにまたたく。もうすぐ瞳が赤くなるころだ。
葉末は膝の上に手を握りしめ、背筋をぴんと伸ばしていた。目の前には年季の入った琴が一面置いてある。葉末の向かいに柳が座り、玉田ミヨは柳のうしろの、少し離れたところにいる。葉末の瞳が赤くなれば、すぐに見えてしまう位置だ。
玉田ミヨをこわがらせないだろうか、ちゃんと霊は視えるだろうか、柳の力になれるだろうか。不安がまるであぶくのようにつぎつぎと生まれ浮かんでくる。葉末は細く息を吸い込み、向かいの柳の顔を見た。ちょうど目が合い、柳はそっとほほえんでからうなずいた。そのうしろでは、玉田ミヨが真剣な表情でこちらを見ている。葉末は玉田ミヨと目を見交わし、大きくうなずいてみせた。すると玉田ミヨは口もとを引き締め、葉末にうなずき返してくれた。
「もう少しで日が暮れますね……」
柳がやや気の抜けた声で言う。
「まだここにはいないようですが……、いつ現れるかわかりませんから、玉田さまはご無理なさらず、いつもどおりに過ごしてください」
「はい、ありがとうございます────」
「いつもどおりは、難しいでしょうが……お楽にしていてくださいね」
霊祓いで依頼人の家に行くときは、留守の状態で仕事をおこなうことも多いと柳は言っていた。しかし今度の玉田ミヨは、立ち会うことを望んだのだった。そんな玉田ミヨは、霊が近くにいないいまのところは肩が凝ることもないという。
「わたくしは平気ですので、どうぞよろしくおねがいします」
玉田ミヨはそう言って、端正な所作で頭をさげる。葉末はお辞儀を返しながら、ますます身の引き締まる思いがした。
「はい。どうぞお任せください」
玉田ミヨに応じる柳の声が、かろやかながら落ち着いているから、もうかたくなってしまうことはないけれど。葉末はちらりと障子を見やった。さきほどよりも色が濃く、夜の気配が強まっている。夏は日暮れが遅いとはいえ、夜は夕焼けをなだめつつ、忍んで確かにやってくる。ふいに空気が冷たく濁り、とろりと渦を巻いて巡った。
「玉田さま」
柳が静かな声音で呼んだ。柳もなにかを感じたらしい。はっとして柳のほうを見ると、彼はゆっくりとまばたきをした。その反応で、葉末は悟った。この目はいま、赤く光っている。
柳のうしろにいる玉田ミヨが、手で口を覆っていた。しかしその表情に恐怖はなく、葉末は幾分安堵しながら玉田ミヨに笑いかけた。凛とした笑みが返ってきたとき、突然に高い音が響いた。
びくりと玉田ミヨが肩をゆらして、空気がさらに冷え重くなる。目の前にある琴の糸、一本が細かくふるえている。だれもふれていないのに、なにも視えていないのに。葉末はじっと目を凝らした。視えない。なにも視えてこない。
「水瀬さん。視えないんですね」
糸のゆらぎを凝視していると、ふいに柳の声がした。葉末ははっと顔をあげ、こたえた。
「はい、視えません」
「わかりました、わたしもです。でもまちがいなくここにあります。おそらく視えにくい霊なのでしょう……玉田さま。だいじょうぶですか」
「ええ、少し肩が重いですが……」
葉末は玉田ミヨに目を向けた。とたん、どくりと心臓が跳ねる。玉田ミヨの細い肩の上に、ちいさな手だけが視えたのだ。
「玉田さま」
声をあげたとたん、その手はすいと視えなくなった。そしてふたたび琴が鳴く。甲高い音が響きわたって、玉田ミヨが首をすくめる。直後ぱたぱたと畳が鳴って、葉末はちいさな足を視た。裸足で、黒くよごれている、それをみとめると、また消える。いや、消えてはいないのだろう。きっといまでもここにいるのだ。あたりをさっと見回したとき、耳がかすかな音を拾った。
────かくれんぼしましょ、かくれんぼしましょ
「お師匠さん!」
葉末は立ちあがった。
「おそらくちいさな子どもがいます。手と、足だけが視えました、かくれんぼしましょうと言っています!」
「了解」
柳もその場に立った。
「いまは視えますか?」
「いいえ……視えません」
かくれんぼしましょ、かくれんぼしましょ────
ぱたぱたと耳に足音がとどく。冷たい空気が肌に絡みつく。
「玉田さま、かくれんぼです!」
葉末は玉田ミヨに駆け寄った。その手をとって立ちあがらせる。
「いまからみんなでさがしに行きます! かならずみつけだしますからね!」
宙に向かって宣言すると、くすくすと笑い声が耳をかすめた。障子の向こうへ遠ざかっていく。葉末は障子を開け放った。夜に染まった風が涼しく、部屋の中まで吹き込んでくる。足音がぺたぺたと縁に張りつき、また遠くなる。追いかける。
「これからみんなでかくれんぼです!」
葉末は呼びかけるように叫んだ。




