十一 指先
「玉田さまはわたしと一緒に」
柳が玉田ミヨに声をかける。葉末は縁を駆けだした。さざめくような笑い声を追い、障子を開けてべつの部屋へ入る。足音だけが走ったあとに、目の端に布のひらめきが映る。色や模様はわからなかったが、子どもが着ているものの一部だろう。葉末は部屋を横切って、襖を引き横の部屋に移った。
「どこに隠れているのでしょうか!」
部屋を見回し、大声で呼ぶ。そのとき、耳もとで笑い声がした。声が行ったほうを振り向くと、ちいさな足が駆けていく。葉末は即座にきびすを返し、うすよごれたその素足を追った。うしろから来た柳と玉田ミヨに、ぶつかりかけて頭をさげる。
「こっちですか?」
「こっちです!」
葉末は柳にうなずいてみせ、ふたたび縁を走り抜けた。つきあたりまで行ったとき、目の前を黒いものがかすめる。髪の毛、と気づいたときには、それは視えなくなっていた。
かくれんぼしましょ、かくれんぼしましょ────
声がまた遠ざかっていく。葉末はすぐさま追いかけた。さきほど話していた部屋に飛び込む。これではかくれんぼというよりは、おいかけっこになっている。けれどもすがたが隠れているので、やはりかくれんぼだろうか、ふとそんなことを考えて、葉末は大きく頭を振った。それはどちらでもよいことだ。
「水瀬さん」
柳に呼ばれ、葉末ははっとかえりみた。
「煙のようなものが廊下に」
柳は霊が煙のように視えるのだと先刻聞いたばかりだ。葉末はすぐさま廊下へ飛び出した。あたりをみまわすが、なにも視えない。目を凝らしても、なにも視えない。耳を澄ませても声がしてこず、周囲は静まりかえっていた。
「お師匠さん、玉田さま────」
みうしなったと、振り返った、とたんに目に飛び込んでくる。眼前にぶらさがっている、首。目をみひらいた首。
葉末はぎゃあと悲鳴をあげてあとずさり、その拍子に足がもつれた。うしろへ倒れかけたところで手を掴まれ、振りほどきかけて引き寄せられる。
「水瀬さん、わたしです。だいじょうぶですか」
「お師匠さんっ」
柳の腕に受けとめられて、葉末はその袖を握りしめた。
「お師匠さん、いま、首がっ」
「平気です。耳を澄ませてください。わたしにもなにか、うっすらですが聞こえます」
柳は落ち着き払って言った。その声を聞いて、目が覚める。手や足が出てきたのだから、首だけが現れることもあるだろう。むやみやたらとこわがっていては、玉田ミヨを不安にさせるうえ、ちいさな霊にも失礼になる。
「わかりました。お師匠さん」
葉末は柳の袖を離すと、首があったほうをもういちどみた。ゆっくりと息を吸い、感覚を研ぎ澄ませる。すると、ふたたび声がした。
────かくれんぼしましょ、かくれんぼしましょ……
声が近い。まだそばにいる。葉末はそろりと足を進めた。
「どこに隠れているのでしょうか……?」
かくれんぼしましょ、かくれんぼしましょ────
「近くにいますね、このあたりですね……?」
かくれんぼたのし、かくれんぼたのし────
「たのしいですか? よかったです……!」
そろり、そろりと足を動かし、葉末は前へ手を伸ばす。冷えてどろりと重い空気が、手に指にまとわりついてくる。そっとかき分けるようにして進む。ふいに、なにかが指先にふれ、ぞくりと背筋に寒気が走る。それはなにやらくらげめいた、ふよふよとした冷たいもので。ふれているのにふれていないような、ふしぎな感触のものだった。やわやわと撫でているうちに、葉末は似た手ざわりを思い出した。寿々だ。寿々にふれられたとき、おなじような心地がしたのだ。
それなら、いまふれているのかもしれない。すがたの視えない子どもの霊に、この手がふれているのかもしれない。葉末は手を引っ込めかけて、いやいやと思いとどまった。口の端を持ちあげて笑顔をつくり、手の先に向かってことばをかける。
「さあ、みつけてしまいましたよ? でてきてください、えっと……」
────文吉
幼い声が返される。葉末ははっとして前をみた。すぐ目の前に、顔だけがあった。
さかさまになり髪が逆立っている。天井から吊りさがっているようだ。葉末は悲鳴を飲みくだし、子どもの顔をじっとみつめた。煤けたようにうすよごれているが、くりくりと大きな目をした、かわいらしい子だった。葉末の手はその頬を、両側から包み込んでいた。
「文吉さん……なのでしょうか……?」
名前を呼びたいと思った。そのときにちょうど声が返った。だから、それがこの子の名ではないかと思ってしまったのだ。葉末がおそるおそる問うと、子どもはさかさまの顔だけのまま、こくりとひとつうなずいた。葉末はほっと、息をついた。
「文吉さんですね、ありがとう。みつけましたよ。こんばんは」
すると、文吉の冷たい頬が、ふうとゆるんだ。笑っていた。
────みつかっちゃった。
文吉は言い、そしてすがたを現した。首から下が視えるようになり、空中で逆立ちしているようすが明らかになる。それがなにかの曲芸のようで、おかしみがあり、葉末は思わずふきだした。文吉はにっこりとして、宙返りのように身体の向きを変え、とんと廊下に降り立った。
葉末はその場にかがみ込み、文吉と目線を合わせた。文吉は、ところどころ破れた短い着物に、長めの髪をぼさぼさとおろした五、六才にみえる男の子だった。肌も着るものも黒くよごれて、少し痩せているように思える。
「こんばんは、文吉さん。わたくしたちは、あなたとお話がしたいのです。かまいませんか?」
葉末が問うと、文吉はちょこりと小首をかしげた。
────もういっかい、かくれんぼしたら、いいよ。
それを聞き、葉末はすぐに応じた。
「よし、やりましょう、かくれんぼ!」
脚を叩いて、立ちあがる。
「もういちど、かくれんぼですか?」
柳がうしろからたずねてくる。玉田ミヨはそのうしろで心配そうに見ている。葉末は大きくうなずいてみせた。
「はい、もういちどかくれんぼです! そのあとお話ができるそうです」
ね、と文吉を振り向くと、ちいさな口に手を当てて笑った。
それから、かくれんぼをすること四回。文吉はようやく満足した。はじめに夜を待っていた部屋に文吉を含めた四人で入り、柳の仕事が始まった。




