十二 通訳
葉末は柳と並んでおり、うしろに玉田ミヨがいる。そして葉末と柳の前に、文吉がちょこんと座っていた。
「よろしくおねがいします、文吉さん」
葉末は文吉に頭をさげた。顔をあげると、文吉は目をぱちくりさせて、葉末をまねるようにお辞儀する。そのようすがほほえましく、葉末は口もとがほころぶのを感じた。
「水瀬さん?」
柳がふしぎそうに呼ぶ。葉末は急いで柳のほうを向き、文吉を示して弁明した。
「いま、文吉さんがご挨拶してくださったので。かわいらしくて、うれしかったのです」
「そうですか……わたしには煙がくゆっているようにしかみえなくて」
「だいじょうぶです。ご説明します」
葉末はさっそく文吉のすがたかたちを柳に話した。柳は懐から手帳と矢立てを取り出し、書きとりながら聞いていた。ときおり文吉のほうに視線を向け、目をぱちくりとさせる文吉にほほえみかけるなどしていた。詳しくは視えていないのだろうが、なにかを感じるのかもしれない。
「そんな男の子が、ここにいるのですね……」
玉田ミヨが感慨深げに呟く。柳が少しも取り乱さないので、玉田ミヨも安心して霊と向き合えているらしかった。おそれるというより興味深そうに文吉のいるあたりを見ている。葉末はそうですねとうなずいてみせた。
────おはなしするって、いってたね、おはなしって、なんのおはなし?
ふと文吉が問うてくる。柳がはっとこちらを見るので、葉末はすぐに通訳をした。
「なんのお話をするのかと、聞いていらっしゃいます」
「そうですね」
柳は手帳を置くと、文吉に身体ごと向けた。
「文吉くんが、ここにいるのは、少しふしぎなことなんです。わかりますか」
ゆっくりとおだやかな口調で話す。柳のことばは、文吉にとどくらしい。文吉はちいさく首をかしげると、ほどなくこくりとうなずいた。
────しってるよ。おれはれいなんだ。
葉末は急にどきりとして、思わず玉田ミヨのほうを見た。視線が交わり、どちらからともなく目を伏せる。文吉は、確かに霊なのだ。霊とは死んでしまったひとの情念がこの世にのこったものである。そのすがたは、生前のすがたとおなじなのだと柳から聞いた。つまり文吉はこんなに幼くして、なくなってしまっていたということだ。そして文吉は、そのことをちゃんとわかっている。いまさらながら、胸がぎゅっと痛み、葉末はおぼえず衿もとを押さえていた。
文吉はあまり身なりがよくない。痩せているし、じゅうぶんに生きられる環境にいなかったのかもしれない。しかし文吉は鼻をほじりながら、興味なさそうにことばを継いだ。
────おれ、しんじゃったからさ。しんじゃったら、てんじょうのくににいくって、だれかいってたのにいけなかった。わるいこだったからなんだ。わるいやつはいけないんだってさ。
「そんなことはありません」
葉末は急いで身を乗り出した。きょとりと目を丸める文吉に、それはちがうと言い聞かせる。天上の国のことはわからないが、文吉が霊になったのは、わるい子だったからではない。
「水瀬さん。文吉くんはなんと? わるいというのが聞こえましたが」
「はいっ」
柳に問われ、葉末は慌てて文吉のことばを伝えた。柳は一瞬、苦しげに目を伏せ、すぐに文吉に言って聞かせた。
「わるい子だったからではありません。強い思いがこの世にのこってしまったんです。そしてこの家にやってきた」
────うん。おれこのいえにきたんだ。
「そうですね。わかりました。文吉くんは、どこから来ましたか」
柳がそっとたずねると、文吉はすぐに地名をこたえた。それは帝都の中心あたりの、貧民街の名前だった。文吉が現れたときから、酸っぱいにおいが部屋に漂っている。その街のにおいの一部なのだろうと、葉末はようやく気がついた。柳は静かに話を進める。
「そうですか。じゃあ文吉くん、そこからここへ来たときまでのこと、覚えているかぎり話してくれますか」
────なんで?
文吉の率直な疑問を、葉末は柳の耳につないだ。柳はすぐに居住まいを正し、申し遅れましたと言った。
「わたしは、柳右作といって祓い屋をしている者です。きょうは文吉くんを祓うために来ました」
────はらう?
文吉はふしぎそうに首をひねる。柳の瞳はまっすぐに、文吉の瞳をとらえていた。
「そう。祓うというのはね、この世から消してしまうことなんだけど──」
「お待ちください」
葉末のうしろで、玉田ミヨが腰を浮かせた。
「やはり、お祓いはかまいません」
きっぱりとした口調で言いきる。
「わたくしにはなにも視えておりませんが、おっしゃるような坊ちゃんがおられるなら。坊ちゃんがここにおられても、困ることはございませんので」
「しかし、玉田さま。身体がだるく、肩が凝るとおっしゃっておいでで」
柳が玉田ミヨを振り返る。
「文吉くんが肩に乗っていたとき、肩が重いとおっしゃいました。それはまちがいなく霊障です。いまは肩が凝るだけでも、だんだんと影響が大きくなり、重い病気につながることもあります。霊障を伴う霊とともに暮らしてゆくことは難しいかと」
柳は淡々と説明をする。葉末は膝の上で手を握りしめた。玉田ミヨは眉をひそめ、胸もとに手を置いている。
「でも……この世から消すなどと……」
「それは仕方のないことなのです」
柳の声が少し、低くなる。吊りランプの明かりがかずかにゆらいだ。柳は文吉に向きなおり、覗き込むようにして呼んだ。
「文吉くん──」
────おれは、いいよ。
文吉はあっさりと言った。葉末は思わず息を飲んだが、文吉は頭をぽりぽり掻きつつ、気楽そうな顔をしていた。
────だって、おれがのっかったら、おばちゃんのちょうしがわるくなるの、しってた。なのにおれ、なんかいものっかった。わるいことしちゃった。だめだった。だからね、いいよ。もういいよ。
「文吉さん、そんなこと……」
────れいはあんまり、つまんないんだよ。だれもきづいてくれないし。かくれんぼもできないし。
「でも、文吉さん……」
────ねえちゃんと、おばちゃんは、おれに、きえてほしくないの?
葉末ははっと口をつぐんだ。気づけば、文吉のそばに寄り、両肩を掴むようにしていた。ふれているのは冷えた空気で、手を握りしめればすり抜けそうな、頼りないなにかでしかない。けれども、確かにふれていた。文吉は大きなこぼれそうな目で、じっと葉末を見あげていた。そのまなざしに、また胸が詰まる。
「わたくし、わたくしは、文吉さんと……」
祓うことは、消してしまうこと。霊障を起こす霊とひとが、ともに暮らすことはあやうい。この家に来る前に、柳からちゃんと聞いていたことだ。はじめて柳に会ったときにも、目の前で霊がはらはらと消えた。けれども、いざ目の前にいる男の子が消えてしまうとなると、どうしようもなくゆらいでしまう。
「文吉さんと、お話が……」
話をする。どうして、どのような情念がこの世にのこったのかを聞く。そうすればこの世にこびりついてしまった情念はほどけ、霊は消えてしまう。
「お話が、したいです」
葉末は文吉の肩を包み込んでいた。手のなかにすっぽりおさまるほどの、細くちいさな肩だった。文吉はいっときその目をまるめ、すぐににこりと笑みを咲かせた。
────うん、おれも。じゃあおはなしね。
葉末はその頭をやわらかく撫で、柳と玉田ミヨを振り返った。
文吉は少し上を見て、ときおり手遊びなんかしながら己の来し方を語った。柳は静かに相槌を打ち、文吉のことばを引き出し続けた。
────おれね、うまれたときからひとりで、にいちゃんねえちゃんにひろわれたの。だけどにいちゃんねえちゃんも、しんじゃったり、どっかいっちゃったりした。それでおれも、みずのんで、おなかがいたくなってしんじゃったの。しんじゃったのに、こうやってね、れいになってうごいてて、かくれんぼもできなくて、つまんなかった。でも、ここにきたらさあ、おれのことみえるこがいてね。いないいないばあってやったら、わらうの。
かくれんぼのようなことが、できたのだと文吉は声を弾ませた。
────おれのことみえてなくてもね、いっぱいいろんなこがいてね。みてたらたのしかったんだ。おばちゃんもやさしいし。みんなにやさしくしてあげて、おやつのだんごをあげるんだよ。おれはたべられなかったけどね、はいって、くれるこがいたよ。
文吉は両手を前に差し出し、はいって、としあわせそうに笑った。
────おれね、もっとあそんでね、もっといっぱいたべてね、それで、ねて、おともならしたかった。いっぱいいっぱいあそびたかった。みんなとあそびたかったんだ……




